読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



幻庵(上)(下)


百田尚樹氏の熱烈なファンだったとしても、囲碁の経験が全く無かった場合、その方々はこの本を楽しめただろうか。

この本、江戸時代のプロの碁打ちの物語で、結構史実に忠実に書かれているように思えるので、どこからが百田氏の創作なのかは良くわからない。

たぶん、囲碁の専門用語について来れなくなった読者は上巻で脱落するだろう。

だが、この本は下巻からが、俄然おもしろくなっていく。

幻庵と名乗る前の井上因碩(いんせき)と本因坊丈和(じょうわ)との凄まじい戦い。

井上因碩は孫子の兵法を用いて、策を弄しすぎたために後に後悔する。

それにしても囲碁の戦いを文章で綴ることはかなり至難の業だろう。

読んでいるこちらも棋譜を見せて欲しくなる。

棋譜はポイントポイントで登場するのだが、打ち掛けとなったその一手のみ、もしくは、これが改心の一手と言われる一手のみにマークをつけられてもなぁ。

棋譜に①から順に全ての順を書いてくれとは言わないが、その直前の数手ぐらい記してもらわないと、その一手の凄味がアマチュア碁しか知らない人間には、なかなか伝わりづらい。

この本を書くにあたっては、百田氏、囲碁そのものや囲碁の古文献も調べまくっただろうし、現役のプロ棋士にもさんざん話を聞きに行ったことだろう。

ただ、その努力が万人に受け入れられたのかどうかは、疑わしい。

江戸時代の命がけの囲碁であったとしても、その一部の棋譜から面白さを感じ取れるのは、アマチュアでもかなり上段者じゃないんだろうか。

まぁ、別の読み方みあっただろうけど。

幻庵  百田 尚樹著



コーヒーが冷めないうちに


実に軽い読み物。

一時間程度で読めてしまった。

とある喫茶店の都市伝説にまつわる話。

特定の席に座ると過去に戻っることが出来るという。

但し、条件が厳しい。
過去に戻っても、その特定の席を立って移動すると、即座に現在に戻る。
その喫茶店を訪れた事のない者には会う事はできない。まぁ席から移動できない以上、当たり前と言ったら当たり前。

あと戻れる時間。
コーヒーをカップに注いでから戻り、そのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ。
それ以上、そのまま戻らないと、地縛霊のような幽霊になってしまう。

実際にその特定の席はいつも同じ女性が占有しており、使えるのは、一日一回その女性がトイレに行った時だけ。
で、その女性はコーヒーを冷ましてしまった幽霊なんだそうだ。

その喫茶店をめぐる四話。

・「恋人」
 彼氏にフラれた女がそのフラれる瞬間に戻る。
・「夫婦」
 認知症を患って、妻の顔さえ思い出せなくなった男の妻が夫の記憶のまだある瞬間に戻る。
・「姉妹」
 旅館を営む実家を飛び出して来た姉と残された妹、妹は姉に会いに来るが、姉はなかなか会おうともしない。そんな妹に不慮の事故が・・。
その妹に会いに戻る。

・「親子」
 この喫茶店のマスターの妻が妊娠。
しかしながら、病弱な妻は出産をしてしまうと自分の命が危うくなる。
出産を取るか、自分の命をとるかの選択肢を迫られた妻が過去ではなく、未来へと向かう。

ざぁーっと、かいつまんだ点だけを書きならべてみたが、感想は?と問われると、冒頭に書いた通り、なんて軽い読み物なんだろうの一点。

前宣伝が大きすぎて期待させられてしまうが、さほど泣ける話でもない。とにかく軽い。

タイトルのつけ方がうま過ぎるだろ。

コーヒーが冷めないうちに 川口 俊和著



日本軍はこんなに強かった


日本軍は確かに強かったんでしょう。

だからこそアメリカを本気にさせてしまった。

この本、まず真珠湾から始まる。

真珠湾攻撃はゼロ戦の脅威的な航続距離が可能にしたわけだが、いくつもの本に書かれている通り、これを勝ち戦として絶賛するのは当時の日本と同じじゃないだろうか。
叩くなら戦艦だけじゃなく空母を見つけ出して徹底的に叩いてしまわないと。
ただ、そうしたところで敗戦が少し遅くなるぐらいのことだろうが・・。

いずれにせよ、真珠湾攻撃がアメリカを本気にさせてしまったことだけは確かだろう。
真珠湾さえなければ、アメリカがあれだけ徹底的に日本を叩くことも、戦後徹底的に骨抜きにしようとすることも無かったかもしれない。

山下奉文将軍のマレーの虎や、マレー沖海戦と勝ち戦の話が続くが、いずれも序盤戦。
序盤、強かったことは、誰しも知っている。特に秘録でもなんでもない。

この本、負け戦に対する分析が無さすぎて、どの局面でも強かった日本軍、勇敢で優秀な日本兵の記述一辺倒。

井上さんにこれを書かせた背景には、戦後あまりに戦時中の日本軍が貶められているので、それに反駁する気持ちからなのは良くわかるが、これだけ勝ち戦の箇所ばかりを強調して書かれると、まるで大本営発表?との誹りを受けてしまいかねない。

ラバウル航空隊の時代には数多の歴戦のエースパイロットが揃っていたのだろう。
その個人成績を並べる記述よりも、百田さんの「永遠の0」の方がしっくりくる。

序盤戦、エースパイロットが揃っていたにもかかわらず、どんどんその数は減って行き、アメリカの方は、どんどん熟練パイロットが育って行く。

個々の兵は確かに勇猛果敢で優秀だったかもしれない。
でも片道燃料で出撃させる指揮官は優秀と言えるのか。

果ては、特攻隊の成果を褒め称え、人間魚雷に至っても褒め称える。

日本軍は序盤は強かったかもしれないが、兵の命の重みを軽んじすぎたんじゃないのか。

この本の貴重な点は、体験談の大半は、生前ご健全であられた時にに残された文章を拾っているが、まだご存命の方が残っている間にこれだけ生の取材を試み、言葉を残している点についてだろう。
もう何年かしたら、こんな言葉はもう拾えない。

日本軍はこんなに強かった! 大東亜戦争秘録 井上和彦 著