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バーティミアス サマルカンドの秘宝


ハリーポッターの物語では、魔法界とマグル(人間)社会では切り離されて、同じイギリスの中に人間界の政府があり、魔法界の魔法省がある。マグルはマグルの学校へ、魔法使いは魔法学校へ、各々が同じイギリスの空間に住みながら、棲み分けられているのに比べて、この物語の世界では、魔術師と人間はお互いの存在を知って、そして共存しています。
共存というより、魔術師が人間を支配していると言った方が正確でしょう。
魔術師は魔法使いの様に自ら魔法を使うのでは無く、妖霊といわれる悪魔を召喚し、その悪魔の助けをもらって、存在力を誇示する。

この物語ではイギリスの総理も大臣も官僚も支配階級は皆、魔術師なのだそうです。
そう言えば、鉄の女・サッチャーなどはそう言われてもおかしくないかな・・。
チャーチルはもっと人間臭いかな。
ブレア首相はやっぱり人間かな?そう言えばブレア首相もそろそろ退陣だとか・・・。
などとつまらない妄想にひたってしまいそうですが、人間臭いと言う表現は実は正しく無く、魔術師は人間そのものなのです。
先天的な才能では無く後天的な努力。つまり徹底した教育もしくは独学によるものです。
この魔術師の人達、どうも子供を作らない主義の様です。
世襲制度は無い。
政府が売られて来た子供(捨て子の様なものか)を順番で魔術師に弟子として引き取らせる。
子供が好きだろうが嫌いだろうが、関係無く。
世襲制度は名門を生み、派閥を生み、いずれ抗争事件へと発展するからという理由から。
そういう意味では魔術師は特権階級と言いながらも一代限りな訳であって、おそらく貧困の為に捨てられた捨て子が次代の特権階級になる、という非常にユニークな支配形態です。
また、魔法使いの様に何百歳も生きるという訳では無いですし。

この本の印象としてはやはりイギリスはプライドの高い国なんだなぁ、という点。
もちろん物語の上での話なのですが、中華思想の如くに大英帝国時代そのままの大イギリス思想と言いますか、イギリスで一番つまり世界で一番みたいなところがあります。

現に世界で一番通用する言語は英語ですしね。その普及頻度にはアメリカの貢献も大きかったでしょうが、なんと言っても英国で生まれた英語ですから、言葉の世界でも元祖。
世界で一番人気のあるスポーツのサッカーもイギリスが元祖。

主人公はナサニエルという少年の魔術師見習いと彼が召喚したバーティミアスという悪魔。
バーティミアスそのものは「悪魔」と呼ばれる事を嫌います。
ジンと呼ぶのが正しいそうです。
妖霊といわれる悪魔は強い順にマリッド、アフリート、ジン、フォリオット、インプ。
いわゆる異世界の住人達で、妖霊とも精霊とも魔物とも怪物とも悪魔とも呼ばれ方はさまざま。
ここでは悪魔としておきましょう。

この悪魔というのが、何百年、何千年の昔からの存在で、魔法を扱える。それだけ歴然とした力の差があれば、悪魔が魔術師に仕える必要は無いと思うのですが、そこがルール、掟というやつですか。
ペンタクル(五芒星)の絵の中から魔術師に召喚された悪魔はその命令を聞かなければならない。
ですが主人に対する忠義心などはかけらも無く、その裏をかこうとする。

バーティミアスの場合もそのあたりは抜け目がなさそうなのですが、どうも主人に対する愛情と言うかそこまでしなくても、と思えるほどに主人思いなのです。
バーティミアスが語り部になっている章ではやたらと注書きがあります。
またその脚注が面白い。
バーティミアスの独り言と言うか頭の中でのよぎった事、もしくは読者に対するサービスが書いてあります。
脚注など面倒だから、飛ばしてしまえ、とばかりに本文だけを読んでしまうと損をしますよ。
バーティミアスの背景、物語の背景が書かれていますから。

どうもこの本によると、いやバーティミアスの独り言によるとこの地球上の歴史の様々な出来事は全て、悪魔の仕業によるものらしいのです。

それにしてもハリーポッターと言い、バーティミアスと言い、イギリスという国にはこういう物語を発想させる何かがあるのでしょうか。
そういう日本だって忍者もの忍術ものは多いです。
忍術だって一般人からしてみれば魔術みたいに見えるかもしれない。
ですが忍術は魔法の様な異世界のものでは無く、あくまでも人力の範囲。
それは忍者の技術であったり、相手の目の錯覚を利用したものであったり・・・。
それに日本の忍者はマンガにある様なものでは無いとしても実在しました。
となると・・・。イギリスには魔法使いや魔術師と言われる人達が実在したのかもしれませんね。

バーティミアスⅠ サマルカンドの秘宝  ジョナサン・ストラウド (著) 金原 瑞人 (翻訳) 松山 美保 (翻訳)



手紙


あなたは犯罪者の弟を許せるか?

何も弟は犯罪者ではないのですから、許せるも何も罪すらなーにも無いですよね。
ごくごく当たり前の話だと思います。

ですがこのテーマ、重たいですよ。

犯罪者の弟。

重松清の『疾走』とその部分は共通のテーマですかね。

そもそも犯罪者そのものをあなたは許せるか?と聞かれたなら、そりゃ「犯罪の質による」と答えるでしょう。
いくらなんでも女子高生をコンクリート詰めにして殺害したり、幼女を殺害してその写真を携帯で送信したり、小学校に乱入して無防備な子供をかたっぱしから殺害する様な犯罪者を許せる訳が無いでしょう。

つい直近ではバージニア工科大学での銃乱射事件なんかがありました。
あれ、ちょうど同時期に長崎市長の殺害のニュースがありましたから、そちらの扱いの方が大きくて少しかすんじゃいましたけど・・・。
選挙期間中の政治家に対する凶弾というのは民主主義を冒涜するものであって絶対に許されるべき事ではないでしょう。

政治を志している人に限らず、ビジネスマンだって他社との戦いをしているなら、どこかで恨みをかったり、とばっちりもあるでしょう。
ここでも前に取り上げられている城山三郎の『男子の本懐』の井上準之助も選挙中に凶弾に倒れたのでしたよね。

それに比べてバージニア工科大学で殺害された32人の学生達はどうなのでしょう。
正に学び舎のど真ん中。無傷だったのはたったの4人だったとか・・。
死者以外の重軽傷者の数までは見ませんでしたが、ほとんど教室内の全員殲滅を図ったとしか思えない。
銃にそれほどの殺傷能力があった事にも驚きですが、やはり驚くべきはそういう場所で、まさかそんな事なのではないでしょうか。

アメリカではここ数年毎年の様に大学構内での乱射事件があるといいます。
なんなんでしょうね。
戯言の匂宮や零崎じゃあるまいし。

あまりに主題から離れていますよね。

話を戻しましょう。

このお兄さん、『疾走』のお兄さんとは違って、壊れたわけじゃないんですよね。
弟の事だけを思い、弟を大学に行かせるためにどうしても学資を得なければ、ともうそれだけ。
ものすごく純粋な方なんですよね。
だから弟は恨みを抱いてもそれを兄には伝えられない。

でもです。でも単に空き巣に入っただけなら罪は軽いでしょうが、いくら見つかってしまったからといっても、いくら110番をかける電話を持っていたからと言っても、ほとんど無力に近い老女をしかも逃げ込んだ部屋へ押し入ってまでして殺害してしまうというのは、そこに至った理由はどうであれ、絶対に狂気の沙汰、いや凶悪犯罪者そのものだと思うのです。

仮に空き巣で済んだとしたって、弟はそんなお金で大学へ行きたいとは絶対に思わないでしょう。

この兄の発想の貧困さで弟はどれだけ苦しめられたか、兄は知る由も無い。

弟の直貴は兄の存在ゆえにバンドのメンバーと一緒にデビューする事を断念し、
結婚を断念し、ようやく掴んだまともな就職先でも同じ理由で倉庫番にとばされてしまう。

周囲の人間が取り立てて直貴の事を嫌っている訳では無いのです。
ただ、一旦事実を知ってしまうと周囲が返って気を使ってしまう事を経営側は気にした。殺人事件のニュースなどが流れたとしても、「ひどい話だよな」とこれまでなら平気でしゃべる事が出来たものが直貴の存在がある事でそんな話をする前に皆、口を噤んでしまうでしょう。
そういう事での周囲の職場の雰囲気が乱れる事を気にした。

この直貴が勤める先の社長は弟に言います。

「差別はね、当然なんだよ」
・大抵の人間は、犯罪からは遠いところに身を置いておきたいものだ。
・犯罪者、特に強盗殺人などという凶悪犯罪を犯した人間とは、間接的にせよ関わりにはなりたくないものだ。
・犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。
・自己防衛本能なんだ。
と。

これが世に言う常識というものなのでしょう。
この社長は真正面でそれを言っているところが返って立派だと思います。

そういう真正面な言葉というものなかなか言えるものでは無いと思います。
何か禁句の様に、とにかく避けて通る。
それが一般の人なのだろうと思いますよ。

この本を読んだ人は大抵兄に同情してしまうのでないでしょうか。
兄を切り捨てようと思う直貴に失望してしまうのではないでしょうか。

兄は被害者の遺族にも何度も手紙でお詫びをしています。
本当にしてはいけない事をしたとの反省も並々ならぬものでしょう。

でも人の命を絶つという犯罪は、どんな謝罪もどんな贖罪も、どれだけ刑期を経ようともう拭い去れないもので、残りの生涯全てが償いのためにあるのではないかと思うのです。
過去にその例外があまりに多かったですよね。
決して許されない様な凶悪殺人をおかしておきながらも少年犯罪だったがために、遺族もその名前を知らない。もちろん被害者の遺族への償いももちろんない。
少年ではなくなり社会人となったその人は「もういい加減放っておいてください」という様な。
はたまた、かつてパリで若い女性の人肉を喰らった人などというとんでも無い事件を起した人も精神鑑定で無罪になってその後芸術家だか作家だかになったり・・と。本なども書いたらしいですが、私は読んだ事も読む気もありません。

この直貴の親が健在ならば、親は息子のしでかした犯罪を生涯かけて償わなければならないでしょう。

であれば弟はどうしたらいいのか。

凶悪犯罪者の家族だろうが、元凶悪犯罪者そのものを喜んで受け入れてくれる類の社会もあろうでしょう。そういう人達の受け皿として。

また、宗教という世界に救いを求める人もいるかもしれない。

またボーカルとしてデビューする時だって、立場の逆利用では無いですが「凶悪犯罪者の弟」として破滅的な歌詞を引っさげてデビューした方が下手に隠してデビューしようとするより良かったかもしれない。
それが決して素晴らしい事だとは思いませんが、隠してデビューしたところでいずれ週刊誌の餌食となって捨てられる日が来たでしょうから。

弟に罪はありません。

でもまっとうな社会人として生き、妻子にも差別の及ばない自分達の人生を守るのであれば、兄弟の縁を切って過去のしがらみの無い場所で生きる以外にどんな生き方があるのか。

直貴を薄情だと言う意見は山ほどあるでしょうが、直貴の最終的な判断は正しいでしょうし、もっともっと早くそうすべきだっただろうと思うのです。

手紙  東野 圭吾 (著)