月別アーカイブ: 7月 2009



レッドシャイン


俺はいったい何をやりたいんだろう。
何を目指すんだろう。

十代後半の若者ではっきりと「将来私はこういうことをしたいんです」と言える人の方が珍しいだろろう。

十代後半どころか二十代になったって三十代になったってそんな気持ちを持ち続けるのものじゃないだろうか。

特にこの不安定な時代ならば尚更か。
国を背負うべき官僚はいつもメディアから叩かれ、政治家はトップになる毎に毎回叩かれ、大企業のトップも然り。
片やベンチャー企業の起業家として一時メディアの寵児となった人も、もてはやされたと思えば、それは束の間で、拘置所に入り世間から罵られる。

そんなニュースばかりを嫌というほど見せられた若者に大人は何を目指せとなどと言えるだろうのだろうか。

それこそ生きたいように、後悔しないように生きなよ、ぐらいしか言えないのではないのだろうか。

サッカー日本代表の中村俊介選手のような高校時代から、中期目標、長期目標をと立てて、まずJリーグの一軍で活躍。次は日本代表。次は海外のメジャーで活躍出来る選手に・・などというときっちりした目標を持つ若者など一部の優秀なスポーツ選手以外にはそうそういないだろう。

この物語の主人公は「俺はいったい何をやりたいんだろう、どっちを向いて歩いていけばいいんだ、やりたいことが見つからない」という多くの若者なら当たり前に持っている感情を、自分だけがそうなんだ、と悩み、周囲もそういう目で見ている。

やれば器用でなんでもこなせてしまう。でも何が本当にやりたいことなのか。

本当にやりたいことなんて見つけている若者の方がかなり少数派だと思うのだが、そんな十代の悶々とした気分がまるで読んでいる側が十代に遡って気分になってしまうほどにうまく描かれているのだが、反面、やりたいことが見つからない彼が異質のように周囲からも見られ、本人もそう思っているという設定を考えると作者は案外、十代からやりたいことをはっきりと持っていた珍しいタイプに属する人なのかもしれない。

「レッドシャイン」というのは彼(主人公)が所属する高専のエネルギー研究会という同好会、どうやら正式な部活動としては認められていないらしい、の作成したソーラーカーの名前である。

高専というのは、特定の技術者を目指す人のための高等教育機関で、先生は教授、準教授と大学の如くの呼ばれ方をする。
技術者養成のための専門学校なので就職率も良く、5年卒業でそこから大学への編入も可能。その大学はほとんどが国立なのだそうだ。
この本を読むまでほとんどその存在を知らなかった。
今年のこのご時世でも果たして就職率が良いのかどうかは知らないが・・・。

で、その専門知識を発揮したクラブでのソーラーカー。
まさにエコ、エコと叫ばれる時代、今年の4月に出版されたばかりの本なので話題性もピッタリの狙いかと思いきや、「温暖化、ホントか?」などと主人公の先輩にまるで中部大学のナントカという(名前を失念してしまった)教授の温暖化疑念論者のような発言をさせたりしている。

いや、この物語はエコが良い悪いを議論する話ではない。
秋田の大潟村というところで行われるソーラーカーのロードレースに向けて情熱を傾ける若者達の青春物語、と言うのがおそらく自然なのだろう。
しかしながらどうも「青春とは情熱だ」的な某千葉県知事を連想してしまう言葉でこの感想を結びたくない。

青春いう言葉、情熱などと言う安直な表現よりもかつて吉田拓郎が歌っていたような、青春とは生きているあと味悪さを覚えながら、青春とは燃える陽炎か、とつぶやくような雰囲気の方がしっくりくるのだ。

ソーラーカーと聞けば、アラフォーのジャニーズが日本一週だと言って終わるに終われないのか、一周を目の前にして島巡りをして時間潰しをするあのソーラーカーを思い浮かべてしまうが、この物語はソーラーカーの物語のようで実はそうではない。
ソーラーカーは単なる小道具にしか過ぎない。

何をやりたいんだろう、何をすればいいんだ、どっちを向いて歩けばいいんだ、俺のやりたいことってなんだ、と叫ぶ若者がソーラーカーに関わる、いや寧ろそのチームに関わることで、やりたいことを発見するかもしれない、そんな燃焼しきれない陽炎が燃焼しようとする姿を描こうとしているのではないだろうか。

レッドシャイン 濱野京子 著 (講談社)



L 詐欺師フラットランドのおそらくは華麗なる伝説


このタイトルの先頭の「L」って結局なんだったんだ?

世界中の迷宮入り事件を次々と解決したあのまぼろしの世界一の探偵「L」をもじったものなのかと思いきや、全く関係無く、ってそんな他の著作品の名前を借りてタイトルにつけるなんてわけないか。
とうに他界した明治時代の文豪作品をもじるならともかくも、そうそうあるもんじゃないよな。

それでも、詐欺師の華麗な伝説・・などという言葉がタイトルにある以上、華麗な詐欺師の手口がわんさか出てくる読み物を多いに期待して、タイトルのみで発注をかけたのだが、届いた本は、想像に反してなんともマンガチックな表紙。

パラパラとめくってみると、ところどころにマンガの挿絵まで・・。
あぁこれはひょっとすると最近流行りだというライトノベルというやつなのか。

L なる人物は登場しない。
どの何が「L」というタイトルに紐付くことになったのか、最後まで不明。
まさか、嘘の英語略なんて言わないよね。
もろ、詐欺師という言葉と被るし。

Lは登場しないがバーン・フラットランドという男が登場する。
これが、詐欺師と名乗るにはあまりに厚かましい有り様の男で、単に女ったらしのジゴロ。
それじゃ詐欺師の名が泣きますよー。作者さん。

まぁ、読んでみると、当初の期待が外れた装丁の割りには、まぁなかなか別の面白さがあったりするもので、そこそこ楽しめたりするのですが。

詐欺師がジゴロだったってまぁいいっか。そのジゴロの華麗な手口が語られるのかと思いきや、話はそんな華麗なる話には一切飛んで行かない。

そのジゴロが「罪人竜の息吹」なる石と関わってしまうことでまったく想定外の方向へ走り出すのだ。

「人間の文明の発展は星を滅ぼす毒だ」と信じる竜従という種族(種族なのか?)の女の子のあまりの真っ直ぐさに打たれてか、そのジゴロの性格が変って行く。

内容について詳しく触れるつもりはないが、作者さん、詐欺師の華麗な伝説でもなんでもないじゃない。

それなりに面白いんだから、もっと見合ったタイトルネーミングしてくれたら良かったのに。



金魚生活


中国では縁起をかついで、時に人間より大事にされる金魚。

ひたすらその金魚の世話を店主から任される主人公の女性。
この女性は中国人のタイプというより寧ろ、控え目な日本人のタイプに近いように思える。
もちろん人口12億も居る国なので、一括りに「中国人のタイプ」などがあるわけもないのだが・・・。

それでもこの作者がそうであるように、大陸的な大らかさというか、細かいことを気にしない気風が一般的なのではないだろうか。

細かいことどころか他の民族はそうそう容易く国籍を捨てたり変えたりはしないだろうが、彼の国の人はいとも容易く他の国籍に乗り換えたりする。

主人公の娘はそういう意味で非常に彼の国の人らしい生き方をする。
日本の国籍を取得し、日本で働き、出産を迎えるに当たって未亡人であった母を呼び寄せ、そのビザの期限が切れる前になんとか母を日本人と結婚させて日本国籍を取得させようとする。
そんな彼の国の人らしい割り切りのはっきりした娘の親にしてはなんとも主人公の女性は奥ゆかしい。

まぁ、感想はそんなところです。

この「金魚生活」というタイトルは主人公に狭い金魚鉢の中で飼われる金魚を重ねようということなのだろうか。
良くわからない。
主人公の女性が日本へ来た時にも好んで着た金魚色の様な服と金魚を重ねて、結局自由に生きることを望まない主人公と鉢の中の囲われた金魚を重ねているのだろうか。

深い感想文にはならなかったが、芥川賞を受賞した作品よりも洗練されている様にも思えましたし、楊逸さんへの期待度は高まりました。

金魚生活 楊逸 著 (文藝春秋)