月別アーカイブ: 12月 2009



ミレニアム2 火と戯れる女


スウェーデンのベストセラー ミレニアムの第二弾。
第一弾も第二弾も虐げられ、迫害される女性達に対する社会的な偏見、特に偏見思考の強い男を糾弾しようとする方向は同じであるが、第一弾はジャーナリストとしての有り方に比重が置かれていたが、第二弾はまさに探偵者である。

第一弾でヒーローとなったリスベット・サランデルに連続殺人犯の容疑がかけられ、彼女が何より秘密にしていた自身のプライバシーが連日、マスコミに書きたてられる。

その間なかなか姿を表さないリスベット。

でもやはりリスベットはヒーローそのものである。
第一弾でも明らかになったその明晰な頭脳。
リサーチャーとしての優秀さはこの第二弾でも如何なく発揮される。
天才数学者達が年十年という歳月をかけてその証明に取り組んだという「フェルマーの最終定理」をわずかな期間で解明してしまうあたりは、もはや頭脳明晰などという範疇をはるかに超越してしまっている。

コンピュータのハッキングなどという許しがたい行為であったとしてもリスベットが行うなら読者は許してしまえる。
そんな存在である。
彼女にかかったらネットワークにさえ繋がっているのであればどれだけファイヤーフォールをかましたところで必ず侵入されてしまうのではないだろうか。

少々違和感を感じたのは冒頭のグレナダでの滞在期間の結構長い記述。
後半のストーリー展開にも特に関係してくるわけではない。
作者がたまたまグレナダを旅行したので、ストーリーに関係しない冒頭の出だしに思いつきで入れたとしか思えない。

それにしても男女間格差が最も少ない、として日本のフェミニスト達がよく紹介する北欧の国で「この売女」と女性が罵られるシーンのなんと多いことか。
日本において、必ずしも全てにおいて男女は平等だとは言わないが、女性に対する敬意という様なものはもっとあるのではないだろうか。

作者はこの本が世に出る直前に亡くなってしまうのだが、自身でこの一連の本は自らの取材活動の中での体験を取り入れている、と生前に語っていたというのだから、ネオナチの人間が居たり、人身売買が行われていたり、というのも満更、創作というわけではないのだろう。
他の国に先駆けての男女雇用均等法なども逆を言えばそれだけ、放置すれば劣悪な状況だったということの裏返しなのかもしれない。

この上下巻、文句無しに面白いが、完璧に完結しきっていない。
やはり第三弾も読め、ということなのだろう。

ミレニアム2 上 火と戯れる女  スティーグ・ラーソン 著 ヘレンハルメ美穂 (翻訳), 山田美明 (翻訳)



数学的帰納の殺人


なんだかものすごい知的な読み物を読んだ気がします。

登場する新興宗教教団の教えは至極まっとうなもので、危険な臭いはしてこない。
・分かち合わなかればならない。
・収奪してはいけない。(収奪には同等の償いが必要)
・助け合わなければならない。
・思い悩んではいけない。
・個として重んじられるべき。
・但し自己を破壊する自由だけは認めない。

とはいえ、どんなカルト教団だって表面的な教義は至極もっともなことを書いているのだろうから、そんなものは信用に値しないのかもしれません。

ところが、この数学的帰納法(果たしてその表現が妥当なのだろうか)によるとこの極めてまっとうに見える教えであっても、一歩地雷を踏んでしまうと果てしもない連続殺人の教義となってしまう、というとんでもないお話なのです。

そのロジックを荒唐無稽と言ってしまえばそれまでなのですが、かつての世の中を騒がせた某オウムにしたって、エリート集団がとんんでもない荒唐無稽な行為に走ってしまったという現実も一方ではありました。

教祖は元財界の大立者で善人そのもの。
信者の誰にも悪意のかけらも無い。

この本では、航空機疑惑で失脚した元総理、その総理の資金源であった昭和の大政商、揉み消された航空機の構造的欠陥・・・などなど実際に有った話を仮名でいくつも登場させている。
それがオウムだけは仮名になっていない。
あの事件はもう歴史の彼方ということだろうか。
まだまだ歴史の彼方にはなっていないと思うのですが・・・。

それにしても大政商になった人の頭の中に世のため人のために資財を投げ打って教団をつくろう、などという発想が出て来るものでしょうか。
税金逃れの目的で宗教法人を作るならまだ納得できるのですが・・。
あの大政商の顔を思い出すと尚更。
航空機事故で亡くなった人の遺族への償いの気持ちで身を焦がす思いになるなどというナイーブな感情が出てくるタイプには到底思えない。

それは、まぁそういう設定の小説なのだ、というところで本来の突っ込みどころではないのでしょうね。

突っ込みどころはやはり数学的帰納法を用いて生まれた奇妙なロジックによる荒唐無稽な行動でしょうか。
どうしても「そんなやつおらんやろう」と突っ込みを入れたくなってしまうのです。

そんなこんなはさておき、この本、いろいろと勉強になります。

ピタゴラス学派の話有り、素数の話有り・・・と数学好きにはたまらないかもしれない。暗号の解説などでは、「カルダン・グリル」という暗号については図解で説明されているので非常にわかり易い。

惜しむらくは、最後の方の再度一からの種明かしをする一連は蛇足としか思えないのですが、必要だったのでしょうか。

種明かしはそれまでのストーリーの中で、過去を舞台に現在を舞台にした話の中で出来ていたでしょう。

まぁ、あらためて、という方にはいいのかもしれませんが。

最後の締め括りの部分に関しては・・・何も申しますまい。
そういう結末もありでしょう。

数学的帰納の殺人 ハヤカワ・ミステリワールド 草上仁 著



水深五尋


第二次大戦中の物語。
ドイツのUボートが現われるイギリスの港町が舞台。
主人公の少年は自国の貨物船が撃沈されるにあたって、この港町のどこかにドイツのスパイが居るのでは?と疑い、自ら捜査を始める。

と書くとまるで愛国少年、軍国少年のようだが、やがては自国の権力者達を嫌悪するようになる。

「水深五尋」というタイトルだから潜水艦の中まで冒険する物語かと思ったのだが、そうでは無かった。
舞台は陸上である。
寧ろ、Uボートにまつわる冒険話などではなく、国内の移民や様々な階層の人たちの有りようを描いている。

イギリス国内にもアンタッチャブルとも言えそうな、警察も手が出ない地域があったりする。
そんな中でのスパイ捜しは少年にとって危険でないはずもなく、それが冒険話として語られている。

スパイ捜しはともかくもその舞台となる地域でのことは著者自らが体験した話なのだと著者は書いている。

それにしても何故?
何故この本が本邦初訳なのだろう。
戦後60年以上経過し、既に著者も10数年前に亡くなっている。

日本人を敵視している表現があるから?そんなわけはない。
当時は敵国だったわけだし、戦中ならともかくも。
2009年になって何故今頃初訳なのだろう。

もう一つ、何故?
あのスタジアジブリの宮崎駿氏が表紙を飾り、挿絵を書いている。
もちろん、といえばもちろんながら隣のトトロ風でも無く、風の谷のナウシカ風でもない。
何故今頃挿絵なんて書いているんだろう。

と、物語の本筋とは違うところでどうしても何故?が発生してしまうのである。

水深五尋 ロバート・ウェストール著 宮崎駿 (イラスト)  金原 瑞人 (翻訳)  野沢 佳織 (翻訳)