月別アーカイブ: 1月 2010



ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士  


スウェーデンのベストセラー ミレニアムの第三弾。
第一弾は密室探偵者っぽければ第二弾も探偵者っぽかった。ところがどうだ、この第三弾は。
政治の世界に切り込んでいるんじゃないか。
公安という組織、これは公安と訳されているが、原本はどうなのだろう。
CIAやKGBやイスラエルのモサド、韓国のKCIAの様な組織は規模はどうであれ、どこの国にも類似の組織はあるのだろう。
北鮮のように海外へ出る人間全てが諜報員というような国もある。

中にはアメリカのように、じゃんじゃん小説、ドラマ、映画に出て来るような国があるかと思えば、そういう存在があることすら一切タブーになってしまっている国まで、様々。
それでも小説でそれに触れようというのはおそらく大変なことなのではないのだろうか。オロフ・パルメという首相は実在し、実際に暗殺されているし、トールビョルン・フェルデーィンという実在のしかも4~5代前の首相をそのまま登場までさせて、ミカエルは証言を取っている。
これって日本で言えば、小説の中で中曽根首相に外国のスパイを亡命させましたね、って証言を取っている証言を取っているようなことじゃないだろうか。
もっとも日本の総理大臣その4~5代の間になんとまぁ、10数代代わっているのだが・・。
ここ何年かの一年毎の首相交代もお粗末だったが、今度の方は例の5月までに決める、の5月を待つまでもなく消えてしまうんじゃないだろうか。
となると一年も持たなかったことになるか・・・。どんどん軽くなるなぁ。日本の首相は。

余談はさておき、訳者は主人公のミカエルと作者をかさねて見ている。
ということならば、スティーグ・ラーソンはこんな危ない取材をしていたということを暗示しているのだろうか。
危ないことをしているからこそ、本来の妻の立場の人も籍には入れられていないのだという。
スティーグ・ラーソン自身はこの一連のミレニアム三作が世に出る前に亡くなってしまい、この爆発的なヒットを当のご本人は知らない。
籍に入っていなかったがため、共にやってきた妻の立場の人にもその印税やらの遺産を受け継ぐ立場にないのだという。
またまた、訳者によると実は第四作目も執筆していたのだという。

どう考えたって、この三作で完結してしまっているのだろうとは思うのだが・・・。
大金持ちになった後のリスベット・サランベルにはもはや興味は湧かないし。

それでも第四作目があるとすればやはり気になる。
絶対に買って読むんだろうな。

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士  スティーグ・ラーソン 著 ヘレンハルメ 美穂 翻訳 岩澤 雅利 翻訳



特命捜査 


この作者、かつて警察の鑑識とかそういう組織にでも居た人なんじゃないのだろうか、などと思わせるほどに警察内部の言葉などに詳しい。
死亡推定時刻の算定の課程、射撃残渣などの箇所も全く外部の人間が描いたとは思えないほどに描写が精密で、その臨場感があふれる。

招き猫の焼き物の工房を営む初老の男性の死体。物語はそこから始まる。
その被害者は実は10年前に公安を退職した人物だった。

その10年前に起こった出来事というのが、終末論を唱えているカルト集団が、自ら武器を製造して蓄え、最後には警察に施設を囲まれた中、教祖をはじめ集団自殺をしてしまう。
その残党のグループを根こそぎ、片付けたのが公安だった。

なんともあのオウム事件はいろいろな小説に影響を与えているらしい。

その公安の捜査官と警視庁、警察庁の刑事というのは根っから相性が悪いらしい。
刑事達は公安をハムという蔑称で呼び、
公安の捜査官は選民意識が強く、刑事達を「ジ(事)」という蔑称で呼ぶ。

この小説、そういう警察ならではの用語が散りばめられ、麻生幾の『ZERO』なども彷彿とさせるようなタッチで中盤から終盤の手前まではまではグイグイと引っ張り込まれるのだが、終盤がどうもなぁ、と残念でならない。

もちろん、結末を書くような愚は犯さないが、おそらくこれとこれは繋がっていたんだろうな、と徐々に想像を逞しくしていたものが、え?それとこれも実は繋がっていて、これとあれも実は繋がっている?ご都合主義と言う言葉を使いたくは無いが、何やらコナン探偵ものみたいなくっつけ方をしていかなくてもいいじゃない、と言いたくなってくる。
小説の中で「事実は小説より奇なり」を使うのはいかがなものなのだろう。

とは言え、そのような感想を持つのは少数派だろう。
何と言ってもそれまでの緻密な筆致があるだけで、まぁ充分に楽しめると言えば楽しめる小説である。

特命捜査  緒川 怜 著 光文社



ハイブリッドカーは本当にエコなのか?  


頭から冷や水をかけられたようなタイトルにまず驚く。
エコ減税、補助金もね!と散々コマーシャルされているハイブリッドカー、それがエコなのか?という問いかけのタイトル。

著者は車にはかなり詳しい。
書かれたこの本もかなり専門分野に踏み込んで書かれているので、熟読の覚悟で読まなければなかなか頭に入って来ないだろう。

ハイブリッドカーは本当にエコなのか?と問われれば、そりゃエコでしょう、と誰しもが答えたいところである。
だが、筆者が言うには、ハイブリッドカーでのCO2削減効果は既存の車でアイドリングストップをするのと変らない、もしくはそれよりも落ちるかもしれないのだという。

高速道路の土日千円効果で、土日や連休には各地の観光地は他府県からの車で渋滞状態。その超渋滞の横を歩いていると、その排気ガスむんむん状態に思わずハンカチで鼻と口を覆いたくなってくるほどである。

10分待って10mほどしか進まないようなところだったら、止まっている間だけでもエンジンを切ってくれたらどれだけ、その排気ガスむんむん状態は緩和されたことだろう。アイドリングストップ、大いに賛成である。

ハイブリッド車とは何かと問われれば、自動車の内燃機関をガソリンで動くエンジンと電気で動くモーターを併用させるものなのだろう、と単純に思っていたが、その併用の仕方にもいくつもの方式の違いがメーカーや車種やその車種の世代で存在するのだった。

あまりに専門的なので端折るが、内燃機関で発電機を動かし、そこで作り出した電力をモーターに送り込んで走行する、というのが一番わかりやすい。
これについて著者はハイブリッドが活きる状況は限定される、とばっさり。

ハイブリッドが燃費を稼ぐ最大のポイントは減速時のエネルギー回収。
加減速の多いほど回収率は良く、安定走行であればあるほど回収率は低いのだという。
つまり日本の市街地などのようにしょっちゅう信号で止まったり、という道にはまだ良いが、欧米の様な混雑しないハイウェイで一定速度で走る場合にはその効果を発揮しない、というのだという。
効果を発揮しないどころか通常ならエンジン一つで済むところへモーターなどを搭載しているために車体は嵩張り、重量も200kgも重くなった分、余分なエネルギーが必要になってしまうのだとも。

著者がもう一つ言及しているのは、日本のメーカーの燃費発表の際のお受験システム。
その車の最適な状況で出した燃費を公式数値として発表していることと、それに対して何も言わないマスコミへの批判だ。

著者の言及は燃費にのみとどまらない。
その消費行動が生み出す負の遺産である廃棄物処理の問題。
メーカーたるものモノ作りの際には製品の「解体」「分別」「回収」「再資源化」を設計時から頭に入れて作るべきものなのにその視点が全く抜け落ちているのだという。
それでエコなのか?と。

究極のエコカーと言われる水素自動車に関しても、水素を取り出す際にCO2を排出する、水素を運ぶにはマイナス253度以下にして液体にする必要がある。それら製造・供給のインフラ整備にかかるコストが多大。

従って、究極は水力、風力、太陽光、地熱などの自然エネルギーを利用した発電なのだろうが、最低でも20年という時間軸で考えていくことになるだろう、ということである。
どこぞのノーテンキなお方が2020年までに90年比25%減と根拠もないまま演説してしまったがために、その党の方々は問い詰められる都度、苦しげに、産業構造が変りますから実現可能です、などと言わざるを得なくなっている姿を良く見かける。

産業構造を変えるったって、2020年ってたったの10年しか無いんですよ。
産業界の人が言うならまだしも、政治屋というのは言葉遊びで生きているんだなぁ、とつくづく思う。
昨年末より新聞では首相のそして次にはその党幹事長の政治と金の問題の記事がの一面をかざる頻度が高くなっているが、政治資金云々よりもあの演説の方が後世に与える影響としてははるかに罪深いだろう。
後年、諸外国からあの25%はどうなった、と詰め寄られたら、お得意のあの演説草稿は秘書が作りました、とでも言うのだろうか。

そんなことはさておき、
著者の言いたいことはよくわかる。

ただ、ハイブリッドが活きる状況は限定されるのだとしても、いいじゃないですか。
実際にこれまでの車よりも燃費が悪くなっているわけではないのでしょうし。
実際に著者がL当たり38kmの三代目プリウスで実験した結果、カタログ燃費より10数パーセント低かったからと言っても既存車よりははるかに燃費がいいじゃないですか。
その御指摘のお受験システムにしたって、消費者は承知の上なんじゃないでしょうか。
かつてスーパーカブがカタログ燃費はL当たり150kmだったかな?確かそのくらいだったと思うが、そんなものは最低速度でしかも一定速度で走った場合なんだろ、って誰しも思って購入していたことでしょう。
実際にはその半分の燃費しかでなくても満足していたんじゃないでしょうか。
それにおもしろいのは、スムーズな運転をする人よりも緩急の激しい、どちらかと言うと運転の荒い人の方が燃費効率が良くなるという点でしょう。
これまで排気ガスを、巻き散らかしていた人ほどハイブリッドを利用するメリットがある。

何より自らアイドリングストップをしなくったって観光地の排気ガスむんむん状態が無くなるなら大歓迎じゃないですか。

今や日本経済は疲弊しきっている。
折りしも、本日1/18の日本経済新聞朝刊の一面記事の中に「ハイブリッド トヨタ、倍増100万台」の見出し。

当面は自動車、家電に再度、産業の牽引車になってもらわなければ、もっと疲弊してしまうでしょう。

この本を読んだからと言ってハイブリッドを買うのはやーめたって!っていう単純発想をする人ばかりじゃないでしょうが、あまりネガティブな側面を強調しすぎると日本経済は終焉してしまいかねませんよ。

著者がネガティブな指摘を行うために書いたとは思っておりません。
キチンとご自身で分析した結果を書いておられる。
その分析結果を踏まえて自動車業界は新たな技術革新を図れ、という業界への叱咤激励
なのでしょう。

技術者たちがこういう著者のような指摘者に対して、じゃぁこれではどうだ、とばかりにまた次の技術革新へと一歩を踏み出してくれることを期待して、結ばせてもらいます。

ハイブリッドカーは本当にエコなのか?  宝島社新書  両角岳彦著