月別アーカイブ: 3月 2010



ハッピー・リタイヤメント 


財務省に33年間ノンキャリアとして勤めあげた56歳の男。
財務省を退官するやいなや妻からは離婚届を出され、妻と、息子、娘は退職金と預貯金を山分けし、それぞれがバラバラに暮らして行こうとする。
明らかに山分けにしては少ない金額を残され、見事に捨てられた父でもある。

方や陸上自衛隊に37年間勤務。
防衛大学出でなければ、なかなか出世の出来ない世界で、叩き上げでありがら二等陸佐まで昇進したが、一等はかなわず。
カタカナの和製英語は日本語に置き換えてから理解しようとし、56歳になるまでにマクドナルドも一度も食したことが無いという現代日本人を超越したような稀有の人。

両者共、退官の後に用意されたのが、全国中小企業振興会(通称JAMS)という財団法人。
ん?そんな団体っていかにも実在しそうな気が・・・。

無一文で起業をする人に銀行は融資などしてくれない。
そんな起業家達にチャンスを与えることを目的として、戦後間も無くのまだマッカーサーの統治時代に設立されたのがこの団体。
無担保無保証の人の保証人にこの団体がなってあげる。
返済不能となれば、銀行はこのJAMSから取り立てれば良く、貸し手である銀行にリスクは無い。
借りた側はというと返済不履行となってそのまま音沙汰も無いままのケースが多々有り。その中でも二人が配属されたのは、債務保証をしてからほぼ30年近く経過した、紙くず同然の債券の管理場所。
借り手にしても、もはや時効なので、返済の義務は無い。

即ち、彼らに与えられた任務は、『そこで何もしなくて良い』ということだった。

日がな、本を読んでいても良し、居眠りをしても良し、囲碁、将棋をしても良し。
朝・夕の9時5時さえ守ればあとは、昼間中映画館へ行ってても良し。

そこへ来た大抵の人はこの状況を天国と感じる。
何をしていても良く、しかもお給料もちゃんともらえ、さらにそこを退官するせずともしっかりと退職金をもらえる。

皆、どこかを退官して、もはや終わった人たちだ。彼らは口々に言う。これぞハッピーハッピー・リタイヤメント!と

ところがどっこい。
この二人はまだ終わっていなかったのだった。

そこから物語は面白くなる。

久しぶりに会った娘が40万のシャネルのバッグを「タダみたい」とはしゃぐのを聞いて、バカにみがきがかかったと感じる元財務省のノンキャリア。

誠実、実直、朴とつそのものが歩いているような元自衛官。
どちらも味があって浅田氏好みのタイプの二人ならでは、と言ったところだろうか。

さて、天下り、渡り、などともうさんざん報道されたのでそういう言葉を知らない人の方が少ないだろう。

浅田次郎氏はこの天下り人事を全て仕切っている男、言わば悪玉なのだが、その男に発言させることで、この天下りの構造を見事に浮き上がらせている。

終身雇用と言うのは江戸時代から連綿と続いて来た武家の伝統。
終身どころか末代までの雇用を約束している。

方や年功序列と出世主義からなる三角形のピラミッド型の組織体。

終身雇用を維持するのには、入省した時の人数がそっくりそのまま年を取るまで居続ける四角形型の組織となるが、年功序列と出世主義の下では組織は三角形型でなければ機能しない。
そこで四角形でありながら三角形である、という手段を思いついたのだ。

と、とうとうと語るのが、この天下りという方式の素晴らしさ。

このオヤジ、天下りの人事を握ることで、人の心を鷲づかみにするような野郎なのだが、そんな美味しい汁をすすらせるだけじゃなく、組織の外へ出たらまずい行動に出るかもしれない人間などをこういう天下り組織ですっかり骨抜きにしてしまう、などという芸当もやってのけるのだ。

公務員制度改革は現政権の選挙時のマニュフェストの一項目だが、手をこまねいているのか、どうなのか。
小手先はあっても抜本改革を行うようにはとても見えない。

単に天下りを無くす、無くすとは言いながらも結局ピラミッドから溢れた人の受け皿をどうするのか。
そもそもピラミッドじゃなくしてしまうのか。
じゃぁ年功序列はやめないと、それはそれでとんでもない人件費がかかってしまいそうだ。

制度改革を行うのなら、年功序列の廃止は避けては通れないはず。
ところがこの肝心の給与法の改正が進まないばかりか、OBによるあっせんは天下りでは無いなどと屁理屈のような理屈で、天下り根絶どころか、かつての行革推進時より後退している感が拭えないのが現状。

何事も言うは易し。行うは難し。と言うところか。

ハッピー・リタイヤメント 浅田次郎 著(幻冬舎)



ヤッさん 


かつて「たんぽぽ」という伊丹十三監督の売れないラーメン屋を立て直す映画があったのを思い出してしまった。
その映画の中のでの一場面。
ホームレスの人たちが「○○の店も落ちたもんだ」などと有名店の味を語ったり、ワインについての薀蓄をたれたりする場面がある。

この本に登場する「ヤッさん」というホームレスは清潔がモットーなのであの映画のホームレスたちとはかなり様子が違うが、こと食に関するこだわりは天下一品。
自身の味覚も素晴らしければ、食材の動向を知り尽くし、築地市場と一流料理店の中を取り持ち、双方から頼りにされる存在。

そもそもこの人、ホームレスという範疇に入るのだろうか。

ホームレスの定義とは何か?
「定まった住まいを持たない人」のことを言うのだろうが、中央アジアなどの放牧民はホームレスの範疇ではないし、ネットカフェを泊まり歩く人たちにしたって定まった住居を持っているわけではないがホームレスの範疇ではないだろう。

ダンボールで囲った場所に寝泊りをしないが、公園のベンチなどで寝泊りをしている以上、その生き方がどうであれ、やはり一般にはホームレスと呼ばれる範疇に入るひとなのだろうが、そんな呼称はどうであれ、なにものにも一切束縛されない自由人という立場、自由人としての行き方をする人というのが正しいのかもしれない。

トラブルに出くわしたら、それを解決してやり、道を踏み外そうとしている人間を見れば、軌道修正してやり・・、何よりこのヤッさんという人はホームレスとしての矜持を持つ。ホームレスとしての矜持というと変な表現に聞こえるが、自身でそう言い張るのだ。
生き方に矜持を持つ人なのである。

人の内わけ話を聞いたあげくに、「ありきたりな身の上話はそんだけか?」というのが口癖。

エコノミストの浜矩子氏が良く語られる言葉に「成長・競争・分配の三角形は正三角形が理想の姿だ」という言葉がある。
今や、中国は正三角形どころか、成長だけが特出して飛び出している変形三角形。
方や日本は、というと分配だけが特出してしまった異常な三角形。
いやそもそも成長がゼロなのだから三角形としても成り立たない。

ヤッさんはまかり間違ってもその分配に預からない人である。

ヤッさんが提供する情報やコンサルの見返りは金であったためしはない。
常にその店が、問屋が提供するうまいものを食することだけ。

矜持を持つ人は人からの施しを受けることを望まない。
まかり間違ってもヤッさんなら年越しホームレス村でお世話になったり、さらにお世話になった上で「行政の対応がなっていない」などと文句をたれることはしないだろう。

政治や行政への文句は税金を払っていない自分たちは言う資格はない、と断言する人なのだから。

最近にこれが出版された、というのは偶然ではないだろう。

物乞いに対するような過度なサービス分配時代への提言なのではないだろうか。

ヤッさん 原宏一 著



狼・さそり・大地の牙


筆者は前段で新聞記者の有り方、取材の仕方というものを書いています。

これぞかつての新聞記者魂というものなのでしょう。
筆者には近頃の警察、検察発表をそのまま垂れ流しのテレビニュース、新聞記事が多いに気に入らないことでしょう。

松本サリン事件の頃のジャーナリズムも批判していますから、「最近」でもないですが、筆者ほどの超ベテランにかかると14、5年前でも最近のうちなのでしょう。

狼、さそり、大地の牙とは「東アジア反日武装戦線」というテロ集団を構成するそのグループの名前。
グループと言ったってそれぞれ二人、三人やそこらの集団で、日本赤軍などよりもはるかに小規模。

丸の内の三菱重工本社ビルを爆破したのに続き、三井物産本社ビル爆破、大成建設、鹿島建設、間組と大手ゼネコンのビルや資材置き場を次々と爆破。
いずれも1970年代の事件で全てこの東アジア反日武装戦線を名乗るテロ集団の巻き起こしたこと。

中でも三菱重工ビルの爆破では死者8名。筆者が現場を歩いた時にはざっと400名ほどの人たちが血まみれになって道路に倒れていたという。

「警察の発表でしか記事を書けない記者は、新聞社を辞めて、他の仕事を見つけろ!」と部下の若手記者たちにはっぱをかけます。
部下の優秀な若手記者たちは、山谷のドヤ街へ数日間潜り込んだり、ある時は容疑者と思わしき人物が見張れる場所にある家具屋に身分を隠して店員となって働き・・、新聞記者とはそこまでするものなのか、店の人にまで驚かれる。

取材をするというよりもはや捜査ではないか、と思われるような仕事ぶりである。

そうして、この筆者がキャップをしていたその当時の産経新聞の社会部は次々と特ダネ、スクープをものにして行く。

この本の後段では、この連続爆破事件を起こした、狼、さそり、大地の牙の構成員のそれぞれの生い立ちや裁判の過程などが書かれているのだが、それを読んでも尚且つ、彼らの行いたかったことはやはり見えてこない。

昨今流行りになりつつある、誰でも良かった的な殺人犯とどう違うのか。
思想的な背景と言ったって、ビル爆破で死んで行った人たちはごくごく普通のサラリーマンやウーマンだっただろう。
彼らは浅間山荘事件の赤軍派やよど号をハイジャックした連中を冷ややかに見ながらも自ら行うのは連続爆破、それこそ無差別テロじゃないか。
「腹腹時計」という教本を作り、爆弾の作り方やら、普段の目立たない行いやらを指南し、自らもごくごく普通の平凡なサラリーマンとして平日昼間を過ごし、夜中にこつこつとこんな計画を練っていたわけだ。

もはや狂信者のようなものなので、連中の行動云々をあげつらっても仕方がないだろう。
それにしても問題は裁判だ。

法廷では「東アジア反日武装戦線兵士」と名乗るだけで自分の名前さえ名乗らない。

自ら「兵士」と名乗る以上、敵に捕らえられた以上、死ぬ覚悟ぐらい出来ているであろうに、待遇改善を主張し、権利ばかりを主張する。
兵士というぐらいなんだから、裁判などちゃっちゃと終わらせて全員銃殺刑にしたところでそれが兵士たる彼らの本望だろうに、そこは法治国家、そんな人民裁判のようなことは行われない。
主犯の大道寺何某への死刑の確定まで事件から13年も経過している。
それどころか死刑確定以後執行されずに平成の世でも生きている。

それにしてもこんな連中を支援する団体があったり、弁護する人間がいたことにあらためて驚く。いや、過去形ではないのだろう。おそらく今もいるのだろう。そういう人たちは。

彼ら服役した自称兵士達の中には、時の首相のあの有名な「人命は地球より重し」の言葉で、超法規的措置とやらで大金渡された上で出獄し、海外でテロ活動を継続した者もいる。
その際の日本の首相の判断には海外から日本はテロリストを世界にばら撒くばかりか、テロリストに活動資金まで渡すのか、と非難轟々だったにも関わらず、首相の耳にまで届かなかったのか、首相はどこ吹く風。

なんか、「命を守りたい!」といきなり施政方針演説を行った誰かさんに近いものがある。
誰かさんも「非難轟々」にはいつもどこ吹く風だし。

この本の中には同じ実行犯でも実名で書かれている者もいれば、M子、F、Uなどと実名を伏せられている者もいる。

実名を伏せられているということは、もう既に実刑を終えて世に出て来ている、ということなのだろう。
こんな連中が今や60過ぎとは言え、世の中に出てしまっているわけだ。

その60過ぎの兵士さんたちは20代後半から壮年期を塀の中で過ごし、出て来た後に何を思うのだろう。

子供手当てだの、高校無償化だのの政策の傍らで高い高い法人税を取られながら青息吐息状態の企業などを見るにつけ、おお、これぞ我々の目指した帝国主義的資本主義の崩壊だ!爆弾を使わずにやり遂げたか同志首相!とでも思うのだろうか。

狼・さそり・大地の牙 「連続企業爆破」35年目の真実  福井惇 著