月別アーカイブ: 4月 2010



難民探偵 


今や、バブル崩壊後の就職氷河期を上回る就職難の時代だという。
新卒者の五人に一人がまだ就職先を見つけられないでいる、という話も飛び出している。その新卒者とはこの3月の新卒者なのか来年3月の新卒者なのか。

やはりこの3月の新卒者なんだろうなぁ。
となるとかなり厳しいこととなってくる。
この春3月の新卒者はもうすぐ新卒者とは呼ばれなってしまう。
新卒と呼ばれる間に就職決定しなければ、その後はもう学生という立ち居地を失ってしまうわけで、状況はますます厳しくなってしまうのではないだろうか。
その割りには政府の出した新卒者向けの緊急雇用対策、就職先が決まらないまま卒業した人への1ヶ月間の体験雇用の制度などは、たった1件の成果も上がらなかったと、ニュースで報じていた。
そこまで雇用する側が疲弊している、ということなのか、制度が不十分だったのか。

この本の主人公である窓居証子という人も、もう気がついた時には手遅れの手詰まり状態。
日本国憲法の国民の三大義務の内、勤労の義務、納税の義務という義務を果たすべき機会を奪われてしまっている。

そんな手詰まり状態で相談に行ったのが祖母のところ。
祖母から紹介されて叔父の人気小説家の窓居京樹の家の家事手伝を半年限定で勤めることになり、さらにその小説家の縁で難民探偵こと元警視庁警視のお手伝いをすることとなる。

ちょっとこれまでの西尾維新氏の作品とは毛色の違う作品。
要所要所に西尾維新氏らしさはあるものの、なんだか別の人が書いたものじゃないか、とまで思えてくるほどに、本来のらしさが少ない。

帯には 『怪心の新・スイリ小説』 とある。
敢えて、スイリ小説としたのは、推理小説では無い事を強調したかったのかもしれない。確かに推理小説としての読み物としては少々もの足りない。

またまた西尾維新氏そのものが直近では零崎人識の人間シリーズなどで推理小説そのものをこき下ろしている。

零崎人識の人間シリーズは四巻同時発売というシリーズものでは考えられないような奇策で零崎シリーズを終えているが、これが今年の3月発売、この難民探偵は昨年の12月の出版。
書いている時期はおそらくだぶっていたのではないだろうか。

方や推理小説やそこに登場する「探偵」という存在をこきおろし、方や推理小説というジャンルにしては少々推理に物足らないものを書く。
そこらあたりに何やら西尾維新氏の隠された意図がある様な気がしてならない。
「新・スイリ小説」と敢えて推理という漢字を使わなかったところにもその意図が見え隠れするのである。

いや、そこまで考えるのは穿ちすぎか?

ちなみにこの本、講談社の「創業100周年記念出版書き下ろし100冊」の企画ので出版された本らしい。
100周年記念出版書き下ろし10冊ならまだしも100冊と言われれば、思いいれは違ったものになるのではないか。
自分のスタイルはそんな100冊の一冊に紛れてたまるか。
思いっきりスタイルを変えてみてやろう。
さて、どんな評価が出るのだろうか、とその反響ををまるで楽しんでいるかの如くにほくそ笑んでいる顔が浮かばないでもない。
顔を浮かぶも何も西尾維新氏の顔など写真でも拝見したことはもちろんないのではあるが・・。

ネットカフェ難民だとかなんだとか言いながら、そのネットカフェの設備の充実さ、綺麗で清潔で、ちょっとしたホテルも顔負けどころかそれ以上。
設備だけではなく、サービスもドリンク飲み放題、マッサージチェアにシャワーの利用、ネットし放題、マンガ読み放題・・・、とこれが難民と言えるのか、格差社会と言いながら下流でも充分セレブじゃないか。負け組でも危機感を抱きにくい。
そんな、現代の難民というメディアのネーミングに対する風刺。

また、主人公の証子にしても四回生になるまでに百社ほどの企業に履歴書を送りつけ、尽く断られたとされているが、明らかに自らハードルを上げて、しかも何が何でもやりたい仕事だからというハードルでもない、意味の無いハードルを上げてしまった結果であり、計画性もヴィジョンも何も持ち得なかった自分自身に責がある。

小説家の叔父(つまりは西尾維新氏の分身なのだろうが)の出発点は、出版社から「お前は応募してくるな!」と言われ続けながらも執筆しては送り続けに続け、そのあげくに小説家としてのステージを獲得した。

つまるところ、目標とそれに向けての熱意の差か。

ネットカフェ難民という言葉が社会用語となり、氷河期という言葉は就職のためにあるような叫ばれ方、そういうものを風刺してみる、そしてそれだけではなく柄にもなく若者達よ、甘えるな!というメッセージを託した試みをこの一冊で試してみたのではあるまいか。

などと勝手に想像しながら読むのも一考だ。



マイルド生活スーパーライト 


なんともなぁって感じだね。
文芸賞を受賞ってどこかに書いてあったのだが、どうやらその受賞作というのは前作らしい。受賞後第一作がこの本というわけ。

まったくもって なんともなぁ、なのだ。

主人公として登場するのはダメダメ君。

彼女から「あなたとの未来が見えない」と言われてふられるのだが、本人は意味がわからない。

彼女とメシを食いに行ってもオーダーも決められない。
だから彼女が決めると、その注文に文句をつける。

デートの行き先も決められない。
じゃぁ、とばかりに彼女が決めるとそれに文句をつける。

そんなこんながたったの1年で積もりに積もってとうとう彼女がぶっちぎれて「あなたとの未来が見えない」ということに至ったわけなのだが、その理由を教えてもらってもまだなお、その理由を理解できない。

本当にダメダメ君なのだが、さてどうだろう。
見渡してみるとそんなダメダメ君てそこらじゅうにいそうじゃないか。

その逆のタイプの方が稀有なぐらいに、今やこの手の決められないダメダメ君は主流派なんじゃないのか。
なんと言っても、一国の総理がその筆頭なんだから。

このダメダメ君をふった彼女に一言。
そんなことで男をふっていたら、おそらくキリがないんじゃないの。

そこは、母性本能とやらでダメダメ君を包み込んでリードしてあげるぐらいの気持ちが無ければ、日本の少子化はとまらないんじゃないの。

現在の立ち位置すら見えているのかどうかが怪しいんだから、未来なんて見えるわけないじゃない。

そんな理由でダメダメ君をよりダメダメ君にしても仕方ないと思うなぁ。
ダメダメ君をこき使うぐらいじゃなけりゃ。
あなたもまた未来の見えない女性になってしまいますよ。

マイルド生活スーパーライト 丹下健太 著(河出書房新社)



洋梨形の男 


この本は所謂SFホラー短編が6篇納まっている。
ホラー、ホラーというがそうなのだろうか。
SF的要素は多分にあるが、ホラーと呼ぶ世界とは少し違う様な気もする。

人間の持つ欲望野望があまりにもシュールな世界から復讐を受けているような風景を描いているともでも言えばいいだろうか。
シュールなどと言う表現は、我々シロートにはちょっとおこがましかったかもしれない。

次の三篇が面白かった。

「モンキー療法」
幼いころから嫌いなものは親が遠ざけ、好物ばかりを与えられ、好きなだけ食べてぶくぶくと太った男がダイエットに目覚める。
数々のダイエット療法を試みるが、どうしても食べながらやせる式に流される。
そんなものがうまくいくはずもないとは思えどこんなおいしい話はないだろう。
かつてぶくぶくに太っていた友人が細くスリムになった理由を聞き出したのが「モンキー療法」なるもの。
果たしてどんなダイエット法なのか。

「子供たちの肖像」
作家という職業、身近なものなんでも小説の題材に書いてしまう。
小説の題材は何も身近なものばかりではない。
自らの願望や若い頃そんなことをしてみたかった、みたいなこと。
自らの失敗談、または自分がその仕事をしていたらそんな失敗をしていただろう、みたいなこと。皆題材である。

身近なものである家族はもちろん養い、子供は育てるが小説の中の登場人物もしかり。
そのキャラクターを作り出し、個性を持たせるのは当然だが、それが連作となれば、更に育てて行く。
まさに子供たち同然だ。
そんな小説の主人公が絵の中から飛び出して目の前に現れたらどうなるのだろう。
主人公が殺し屋だったら・・・。

この6篇の中では最後の「成立しないヴァリエーション」が秀逸なのではないだろうか。
この一篇だけは短編とはいえないような長い物語だ。

学生時代に出場したチェスの大会。
4人でのチーム戦だ。
主人公はチェスのプレイヤーだっただけではなく運営にも携わっていた。

卒業して10年
自ら何をやってもうまくいかない主人公には学生時代にそのチェスのチームを母校から6チームも大会に出場させたことだけが、唯一の誇りであり過去の実績。
一つの大学から6チーム出場は過去にもその後にもない記録。

自らは母校のBチームとして出場したチェスの大会。
そこでのチームメートの一人が優勢な局面で責めに出てさえいれば、チャンピオンチームに勝利出来たところ、責めに出ず、受けに入ってしまったために、彼らは勝者ではなくなってしまった。
当然ながら残りの三人はその一人を臆病者と呼び、残りの学生時代を過ごした。
その臆病者の彼が卒業後エレクトロニクスの世界で成功し、10年たった今、三人を自宅に招待する。
そんな始まりだ。
そのエレクトロニクスの彼がまた執念深い。
10年前のそのチェスの大会での盤面をそのまま残していた。
そうその負けた男はその後もずっと、ありとあらゆる責め手でその局面をシュミレーションしていた。
彼の執念深さはそのチェスに対してだけではない。
彼の失敗を臆病者と呼んだ残りの三人に向けての執念深さは並み大抵のものではない。

馬鹿にした三人はそれぞれの世界で成功者にはならなかった。
敗者と言ってもいいぐらいにツキに恵まれなかった。
臆病者と呼ばれた男の執念深さがその原因だった・・・。

臆病者と呼ばれた男はとんでもない発明をしていたのだが、それには触れない。

作者のマーティンそのものが学生時代のチェスのチームを自分の大学から6チーム出場させていてそれは30年間破られなかった記録だった。と訳者があとがきで述べている。

このチェスの話、フラッシュバックのSF的要素を除けば、作者の体験を元に書かれていたのかもしれない。
まさに「子供たちの肖像」の作者のように。

何故、この本のメインに「洋梨形の男」を持って来たんだろう。
ひょっとして本のタイトルにもってくるのには一番だったからだろうか。

甘く、酸っぱく、濃厚な臭い。ゴミ箱の中の古いバターと腐った肉と野菜が混じったようなにおいのする、洋梨形の体形の気持ちの悪い男。
それだけでもインパクトはあるし、タイトルにも持って来いかもしれないが、ストーリーとしては「成立しないヴァリエーション」の方がはるかに面白い。

確かに本の表紙タイトルには不向き気はするが・・・。