床屋さんへちょっと 


「やっとるかね」

それが先代の社長の口癖。
職人で中卒で一から菓子メーカーを築いた先代。

後を継いだ宍倉勲はたったの15年で会社を倒産させてしまう。
二代目として後を継いだ後も先代を慕う社員が多く、一度も会ったことのない若い社員までもがその「やっとるかね」 の口真似が口をついて出てしまうほどに先代の存在は大きかった。

オイルショックの影響があったとはいえ、誰しも二代目と先代との経営者としての才の差だと感じたことだろう。

いくつかの章立てで仕上がっている本で、各章は年代順ではない。
寧ろ年代を遡って行く。

冒頭の賞を読み始めた際には年老いた頑固オヤジと出来の悪い娘の話か、と思ってしまったが、そんな思いはだんだんと吹っ飛んで行く。

章を重ねる毎に宍倉勲という人の人生に対する誠実さがあらわになって来るのだ。

二代目として会社を継いだ時も、倒産をさせてしまった時も、倒産の後の再就職先での仕事においても、どの段階でも宍倉勲という人は誠実で真剣そのものだった。

章が進んで娘が小学生の時、父の仕事ぶりを独占密着取材する、と言って父の再就職先の仕事場へ付いて来た時の話などは圧巻だろう。

その頃からちゃんと娘は父の仕事ぶりを見て来たのだ。
父の言葉を、仕事ぶりを、ちゃんと取材したノートの内容を頭に刻み込んでいた。

そして父は単に平凡で真面目だけが取り柄の人ではなかった。
多くの人から信頼され、慕われる人だった。

娘にはちゃんと伝わっていたし、孫にも。

「さいごまでかっこよかったよ、おじいちゃんは」と孫から言われることは、おじいちゃんには最高の褒め言葉だろう。

各章に必ず一度は床屋が登場する。
それは同じ床屋ばかりではではなく、旅先の床屋、海外出張先での床屋だったり。

その床屋の場面がこの小説のいいスパイスになっているのかもしれない。

床屋さんへちょっと [集英社] 山本幸久 著