読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



三国志(三)(四)


第三卷の前段は、第二巻同様に後漢時代の腐敗が続く。
第十二代の霊帝という人、官位を金で売るという金の亡者ということが書かれているのだが、どうもわからない。
その国を統べる皇帝でありながら、金を欲するとはどういうことなのだろう。
外国との貿易が盛んな様子も描写にはない。
この霊帝という王はどんな時に、誰に支払うためにそんなに金が必要だったのだろう。

霊帝亡き後に、永らく続いた宦官の時代は終わりを告げる。
宦官は尽く抹殺される。

そしてその次に現れるのが、まるで第二巻の梁冀の再来の様な董卓という男。

この董卓の登場を持って、後漢の時代は終わったと宮城谷氏は書いている。

霊帝の次の少帝を廃して弘農王とし、そのその弟の献帝(陳留王)を擁立したばかりか。先の帝であった弘農王を殺害。その母である何太后も殺害。
政権を掌握する前までは黄巾との戦いなどでも、決して前面には出ず、安全な場所に居て、自らの兵の安泰のみを図って来た男。

何故、そのような男が政権の座に居座り続けられたのか。

董卓許すまじ、と袁紹や袁術の元に諸将が集まるが、討ちに行こうとするよりも自らの地位や権力を拡大することに腐心してしまう。

方や政権内ではどうか。
董卓は王朝の権威を重んじる人の勤皇の心をうまく利用してしまう。
数々の武勲を立てた皇甫嵩などの名将も王朝の権威を重んずるばかりに自分より上の位に立った人物を討伐しようという発想が無い。

実際に宦官達を倒したのは董卓ではない。
董卓はたまたまそこに居合わせて、たまたま権力を握ってしまった。
たまたま拾った権力だから、そんなことになるのか。

富豪の家をことごとく襲って金品を奪う。
またある村では男を全員皆殺し。
女は凌辱し放題。

何故か、中国の歴史にはこのような男が何度も登場する。

日本の戦国時代をはじめ各時代で権力を握った人がこのような野盗のようなことをした例があるだろうか。
織田信長が叡山焼き討ちをしたからと言って彼は野盗だっただろうか。
楽市楽座を開き、旧来の権威を破壊することで新時代を切り開こうという国家運営の指針があったのではないか。

それに比べて梁冀といい、董卓といい、あれだけの広大な国を支配出来る立場にいながら行っていることは尽く野盗のようなことばかり。

董卓を野盗と言ってしまうと、野盗に対して失礼にうなるかもしれない。
なんせ、人を殺す時に舌を抜き、目をえぐり、熱湯の煮えた大鍋に放り込んで、それをみて笑って平然と酒を飲んでいるというから尋常な所業ではない。

人間、悪いところがあれば良いところもあるだろうに、と思ってしまうが、この有り様はもはや人間ではなく悪魔そのものだ。
宮城谷氏はあくまでも史書を忠実に、とことん読み込むことでその時代の風景が見えるようになり、その風景を著して読ませてくれるのだから、そのそもの史書に善行の記述の無かった人間の善を勝手に探し出して書いたりはしないということなのだろう。

第四巻に入ると、さらに混とんとした状態となる。

董卓は、一番信頼していた者に誅殺される。
董卓が誅殺された際に、その子孫、妻妾や親戚はおろか、90歳の母親まで命乞いも虚しく切られる。
この時代に90歳というのは、ちょっとすごくないのか。
はるか後の中共になった頃の中国よりこの時代の方が平均寿命は永かったりして。

そして、また誅殺した側も三日天下とばかりにすぐに討たれる。

天下の12州にはそれぞれ州牧(州知事みたいなもの)が任命されたわけでもなく名乗りを上げ、それぞれの州を修め、他へ攻め入ったり、同盟したり。

春秋時代のようか、と言えば全く異なる。

春秋の時代は晋、楚などの大国や、鄭、衛などの小国が入り乱れて、それぞれが攻め入ったり同盟したりするが、それぞれの国は独立した国であって、それぞれが王を戴いていた。

それに比べるとこの第四巻のような端境期、群雄割拠の時代ではあるが、群雄達は自ら王となるのではなく、王朝に全く尊敬の念は無くとも天子を担ごうとするか、王朝とは別の天子を担ごうとするか。

だから支配体制としての後漢は終焉していたかもしれないが、時代としてはまだ漢王朝の呪縛から抜け出せないそんな第三卷と第四巻なのでした。

三国志 第3巻 第4巻  宮城谷昌光 著 (文春文庫)



少女不十分


10年前、まだ学生だった作者がとある交通事故に遭遇する。
ロードレーサーの自転車で通学の途中で信号待ちをしていたところ、目の前で小学生の女の子が赤信号を渡ってしまい、ダンプカーに跳ねられ、跳ねられたという表現では足りないぐらいバラバラに破壊されてしまう。

その女の子と一緒に歩いているもう一人の女の子が居た。
女の子は手にゲームを持っている。
共に歩いている子が跳ね飛ばされたことに気が付くが、まず行ったことは、駆け寄ることでも悲鳴を上げることでも無かった。
まずゲームの方へ向きあうのだった。
ゲームをセーブポイントまで持って行って、セーブする。
そうしてゲームを仕舞ってから、友達のところへ駆け寄る。
その事故は多くの人が見ていたのだが、皆、事故の当事者だけに目を向け、誰もそのことに気が付かなかった。
が、10年前の作者だけはしっかりとそれを見ていた。

そして彼女の持つ優先順位を異常だと思った。
まだ、そのままゲームを続けてくれたなら、と思った。

三十路を迎えた作家、西尾維新自身が10年前の大学生時代の自分を振り返るという話。これは物語ではなく一つの事件だ。
実際にあった話なのだ、と語られて行く。
そう言いながらも作家たるものは嘘を付く人間だとも語っている。

当時も今も極めてルーチン的な生き方をすること。
交通事故に遭遇する頻度が高いこと。
友達がいないこと。
他人の家に上がるなど幼少時代から数えても10回~20回程度なこと。
修理屋に出すぐらいなら、新品を買い替える性癖を持つこと。
編集担当が寿退社をする記念にこの本を書く決心をしたこと。

どこからどこまでが本当でどこからどこまでが作り話なのか。
出だしから読んで行く限り、その内容の正確さはさておき、全て本音で語っているように思わせられる。

そうして事件は起こる。
その事件が無かったら、彼は作家不十分のままで終わり、作家になれていなかっただろう、と自ら語る事件が。

そのトリガーとなるのが上記の交通事故だ。

この10年前の僕は、この少女にナイフを突き付けられ、この少女の自宅の物置に監禁される、というのがその事件なのだが、ここまで行くと、もう物語に入っているな、と思わせられる。

監禁だとか、そんな状況は寧ろどうでも良く思える。
作家志望の作家不十分君がもし、そんな事態に遭遇したら、いくら逃げおおせる状況だって、そんなもったいないことをするはずがない。

その「もし」を語っているだけで、もしそうなったなら、自分はこうしたであろう、というのがドキュメンタリーとして書いているとする所以ではないかと思えなくもない。
物語に入ってはいるが語っているその考え方などは、本音のままなのかもしれない。

十分に道を外れた少女ではあるが、「道を外れた奴らでも、社会から脱落してしまった奴らでも、ちゃんと、いや、ちゃんとではないかもしれないけれど、そこそこ楽しく、面白おかしく生きていくことはできる」
この言葉こそが、西尾維新の描いて来た物語そのものなのだろう。

そういう意味でこの本は10年間で世に出した作品を総括する集大成なのかもしれない。

少女不十分 西尾維新 著



吉田キグルマレナイト


当初、読み始めた時はさほど期待していなかったのだが、エンディングが最高。
何やら自身のモチベーションまで上がって来そうな本だ。

吉田キグルマレナイトの吉田は主人公の在籍する京大の隣の吉田神社の吉田。
京大の学生でありながら、大学そっちのけで子供向けヒーローショーのアクション劇団に入り浸る青年。

本番の前には必ずトイレへ行かないと本番で腹が痛くなるという神経性の過敏性腸症候群だろうか。

そんな持病のため、アクション劇団はクビになるのだが、次に出会った「鞍馬からかさ一座」というのは相性が良かったようだ。

着ぐるみをかぶれば、何故か失敗しない。
とんでもない失敗をするはずが、偶然にもいい結果になってしまう。

着ぐるみの中から自分を叱咤する声が聞こえて来るし、着ぐるみが勝手に動いてくれる。
この著者自身、自ら人形劇団での役者や脚本を担当した経歴を持つ、と背表紙の裏に書いてある。

着ぐるみが何でも勝手にやってくれるとしたらそれはファンタジーだろうが、それは単にファンタジー的な誇張ということだろう。
どんな着ぐるみも一旦身に付けてしまえば、その外面の役に成りきって自分はもはや自分ではないということなんじゃないのか。

昨年、ゆるキャラコンテストなるものが世を騒がしたが、あれにしたって有名キャラのかぶり物をしているからこそ、子供に握手を求められ、美女とハグをしたり、キャーと騒がれもするが、中にいる人単体では女性に握手をしようとした途端、痴漢呼ばわりをされるのが落ちだ。

やっぱり着ぐるまれて、着ぐるみのやりたいことように動いてあげる、それがこの本で言うところの着ぐるみに全て委ねてしまえ、ということなのだろう。

なんだか、そんなに感動するほどのものでもあるまい、と思いながらもラストシーンのシーンなどはなかなかどうして感動してしまっている自分に気がつく、というちょっと変わった本なのだ。

なんでも「日本ファンタジーノベル大賞」の優秀賞を受賞したのだとか。
ちょっとジャンルが違うような気がしないでもなかったのだが・・・・とするとやっぱりファンタジーだったのか?

吉田キグルマレナイト  日野 俊太郎 (著)「日本ファンタジーノベル大賞」優秀賞受賞作品