読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



犯罪小説家


最近やけに新聞の広告を目にしたものだから、新刊だとばっかり思っていたら、2008年刊行の本でした。
ストーリーとは別にまずそこを驚いてしまいました。

それとこのタイトル「犯罪小説家」。
あれだけバンバン広告打たれて、このタイトルなら期待度は上がってしまうのはもはや必然でしょう。
今後も広告を打つのかどうかは知りませんが、広告を打つということはさらなる読者を獲得しようということなのでしょう。

ですので事前に申し上げておくと、過度の期待を先入観として持ってしまうと少々期待外れになってしまうかもしれない、ということは言えるでしょう。

逆に過度の期待などこれっぽっちも持たずして読んだ方には、なかなか面白いじゃないか、という感想になるのではないでしょうか。

ミステリー系の新人賞をとってから三年目の作家が五作目にして出した本「凍て鶴」。
これが評判が良く、映画化の話が次々と舞い込んで来る。
その評判の良い本のあらすじも本の紹介されていますが、これがそんなに評判になるのかな?という筋立て。

美鶴というヒロインの描き方がよほど魅惑的でうまかったのでしょう。
それぐらいしか考えられない。
その映画化に当たって、超売れっ子の脚本家が名乗りを上げて、その脚本家の書いてくるプロットも紹介されているのですが、これがまた原作とは全く別物じゃないの?
というプロット。
その時代に生きた主人公が30年後からタイムスリップして来るという話になっている。原作者はそのあたりを突っ込むのかと思いきや、最後が主人公とヒロインが心中して終わるところだけを嫌がる。

そしてこの心中、自殺、というキーワードでこのそもそもの本「犯罪小説家」は成り立っている。

「落花の会」という名の自殺系サイトを運営していたメンバと作中のメンバをなんとか結びつけようと脚本家はしようとするわけですが、このあたりからこの本「犯罪小説家」は、犯罪を犯す小説家云々よりも「落花の会」という自殺系サイトメンバの動向、その主催者の生き様、などにの主題が移って行った感があります。

いずれにしろ作者は自殺サイトなるものをかなり研究したり取材したりしたのかもしれませんね。
で、なければこれだけのページ数をその話題だけでを割けないでしょう。

そこはそれなりに読み応えがある、と言っていいでしょう。

ですが、そもそもはこれだけリアルな殺人の描き方を実際に体験したことの無い人間に描けるはずがない、という自ら筆を取る脚本家の強い思い込みがストーリーを展開して行く。

そんなことを言い出したら犯罪にリアルな表現の作者は、実際に犯罪者なのか、となるわけですが、まぁそのあたりを読者に問うてみたいのでしょう。

まぁ、この本については賛否両論あるでしょうね。
冒頭に申し上げた通り、過度に期待して読み始めた人ほどその落差をののしりたくなるでしょう。
ですので、これから読まれる方には、さほど期待せずに読まれることをお勧めします。
ならばおそらく「面白い!」という感想になるでしょう。

犯罪小説家 雫井 脩介  著



アゲイン


純粋な「お笑い番組」と言えば関西ではやはり元祖は「吉本新喜劇」だろうか。
関東では「笑点」か?
「笑点」はともかく関西の純粋なお笑い番組ならたまに見なくもない。
「探偵ナイトスクープ」とか。
そんなお笑いでもない、ニュース番組なのかなんなのか。いわゆる情報番組とでもいうのだろうか。
そんな中途半端な番組を好んで見ることは滅多にないが、関西ローカルには多々あるようでたまたまテレビをつけたらやっていたりする。
コメンテーター席に座っているのはやはりお笑い芸人さん達なのだろうが、ほとんど名前も知らない。
そんな名前すら知らない芸人さん達でもテレビに顔を出すまでには相当な関門を突破して来ているのかもしれないのだ。

この本、そんなお笑い芸人さんを取り上げた一冊である。
ポプラ社小説大賞の特別賞の受賞作なのだとか。

大阪の若手芸人の登竜門である「FLAT劇場」。
若手はそこで鍛えられ、F3、F2、F1とランクアップを目指す。
F3からF2へランクUPするには3年もかかるのだという。
それでもテレビへ登場するレベルにはまだまだで、そのまさにF2のランクで上を狙っているのが主人公のピン芸人氏。

同期の連中にはうぬぼれの強い連中や我がままなだけが取り柄の様な連中が、相方を作って漫才コンビになって、解散するだのコンビ解消だとわめくだの、そんな話である。

そんな中に全国でもトップレベルのお笑い芸人。ちなみに保坂という名前になっている人物が登場する。
18歳でデビューし、二年後には頭角を表し、これまでのお笑いになかった斬新さで、今や芸人の頂点と言われている。
皆がその人を目指すというトップ中のトップの人が彼らの「FLAT劇場」の芸人を使って映画を撮る、という話が持ち上がって来る。

主人公氏は実は父親がかつて芸人で一時は売れたものの頂点を境に下る一方で最後は鳴かず飛ばずになって亡くなってしまっている。
保坂というトップ芸人は実はその父親のかつて弟弟子だった。

誰がモデルなのだろう。
お笑いのトップって、大阪出身の芸人ならさんまか紳助か。映画を撮るというのなら大阪ではないが北野武か。
松本人志も映画を撮ったんだったっけ。
その映画は観てないので出来映えのほどは知らないが・・。

おそらくこの人というモデルは存在しないのだろう。
作者の作ったキャラクターなのだろう。

だが、この話の設定そのものは作者の作ったものではなくおそらく実話なのだろう。

彼らが舞台に出ての一回のギャラはわずか500円。
一日何回の舞台をこなすのか知らないが、到底それだけでは生活は出来ない。
だから、稽古の時間を削ってアルバイトに精を出す。

彼らの出身のお笑い芸人の養成所には東京・大阪合わせて毎年1000人ほどが入学し、お笑い芸人を目指す。
他のプロモーションからもお笑いを目指す連中は出て来る。

一般的な勤め人と同様の給料をもらえるのは千人に一人。
千分の一しかいないのだという。

その千分の一の狭い関門の更なる先を目指してF3、F2、F1の芸人がしのぎを削る。

そう言えばたまたま飲みに行った居酒屋の店員で、芸人目指してるんですわ、なんていうのにちょくちょく出会ったりすることがあるから、案外そこら中に居たりするのかもしれない。

これも所謂勝負師の世界なのか。
プロの囲碁・将棋の棋士を目指す人などと同じように。

それでも千分の一で普通の勤め人並みと言うのだから、って普通の勤め人っていうのがどんなレベルなのかは定かではないが、少なくともその収入で家賃を払ってメシを食って行けるレベルぐらいなのだろう、人並みより上となると万分の一ぐらい?

もしそうなら、そこまで行けば、もはやダメでもともとぐらいの気持ちなのじゃないのだろうか。

最終的にあきらめがつくまでやってみたって、それまでの居酒屋の店員という道を副業から本業にするだけのことなのかもしれない。

この主人公氏、保坂というトップ芸人に「あきらめろ」とダメだしをされてしまう。

そこで諦めるのか、それでも自分の大好きな世界で生きるのか、そこが別れ道だ。

先日、プロスポーツの中でも日本ではあまりメジャーではないバスケットボールのBJリーグでプレイする日本人選手と飲んで話をする機会があった。
彼らの年収もプロの一部リーグでありながらも相当悲惨なものだったように聞いた。

聞いてみると学生時代に選手権でトップに立った様なチームに所属していたわけでもない。
学生トップでプロへというのは寧ろ少ないのかもしれない。

今現在、日本のプロのトップリーグに所属しながらでも尚且つそうなのだとしたら、千分の一、万分の一を目指すが頂点に立てば人も羨むような世界が待っているお笑い芸人よりも悲惨ではないか。

結局は人の生き様というもの人それぞれ。
勤め人が大嫌いな人が嫌々勤め人を続ける事は如何に生活のためとは言え、あたら人生の貴重な時間を浪費しているに過ぎない。
自分の大好きな道を選んだのだから、と自分で納得出来るかどうかが大事なのかもしれない

第5回ポプラ社小説大賞 特別賞 アゲイン 浜口倫太郎 著



木暮荘物語


小編が七編と思ったら、繋がっていた。
木暮荘というボロアパートの住人やその勤め先の人などがそれぞれ主人公となり、その脇役の人が次の小編の主人公となる。

「シンプリーヘブン」
花屋で働く女性の部屋に三年間も行方知れずだった元彼が、ごく当然の如くに上がり込んで来る。
部屋には半年前から付き合い始めた現在の彼氏が居るのだが・・・。
「別れるとは言わなかったはず」と言い張る元彼氏のあっけらかんとした雰囲気とやけに物分かりがいい現彼氏に挟まれての一つ部屋での三人暮らし。
結構居心地が良かったりして。

「心身」
木暮荘の大家さんのおじいさんの親友が亡くなりかけている。
二~三年に一度しか会わない友人だが、この世に「親友」という存在が居るとしたら、その彼一人だろう、という。

案外そんなものかもしれない。
友達と呼べる人間は結構いたとしても真の親友と呼べるのは人生の中では一人ぐらいしかいないのではないか。
というところからこの小編は始まる。
その後のこの木暮老人のちょっとした色狂いは少々微笑ましくもあり、何やら物悲しくもある。

「柱の実り」
ヤクザのお兄さん、いやオジさんの優しさが心に沁みる一編。

「黒い飲み物」
夫の浮気が元でもめるドタバタ。
「コーヒーが泥の味がする」
という表現が妙に心に残る。
この泥の味はその後の小編にも登場する。

「穴」
女子大生の部屋を覗くのが日常化した男の姿を想像するとあまりに情けないが、そこから垣間見える女性の日常の努力というものに気が付き、当初ムカつきしか憶えなかった女子大生と気持ちが一体化して行く。
それにしてもまだ女子大生という若さでそこまで念入りに化粧をするものなのか?
いずれにしてもこういう女性の日常の努力というものは女性作家で無ければなかなか書けないだろう。

「ピース」
その女子大生が主人公。
彼女はまだ親になるということがどんなことなのかもわからない中学生の頃に一生子供が産めない身体だと知らされている。
そんな彼女のところへ妊娠したことを親にも彼氏の親にも告げられなかった友人が産まれたばかりの赤ん坊を預けて行く。
名前もまだない赤ん坊に名前を付けて、だんだんとその女子大生に母性が目覚めて行くという話。

「嘘の味」
他人が作った料理を食べるとその人が嘘をついている人なのか、浮気をしているのか、がわかってしまうという特技を持ってしまったために他人の作った料理は食べない主義の女性。
そんな女性の住まいに冒頭のあっけらかん男が居候する。

そんな七編を読んであらためて、本の帯を見直してみる。
「私たち、木暮荘に住みたくなりました」
って、それはまず無いんじゃないの。

掃除機の吸い込みだけで隣室との間に穴があいてしまうってほとんどベニヤ板だろうに。震度2の地震でも崩壊してしまいそうだ。

かつて、ボロアパートを転々としたことがある。
三畳一間のボロアパートでは物を置けば寝る場所が無くなってしまうので、小さな冷蔵庫だったが、夏場は冷蔵庫に頭を突っ込んで寝てたっけ。

ある時は不動産屋が紹介した時は、今電気を止めているので、と間取りしかわからなかったが、いざ住んでみると壁一面にびっしりと黒い小さな虫がわんさかいたこともある。
不思議と三日も経てば慣れてしまうもので、そこへ泊りに来た友人も最初は気味悪がるが、すぐに慣れる、そこは四畳、六畳と二部屋もあったので、友人がそのまた友人を連れて来て、そのまた友人なのか知り合いなのか、知り合いですらないのか、ある日帰ったら、顔も見たことのない、知らない連中で一杯になっていた。
そろそろ、移り時と思っていたので、最初に来た友人にあと住みたきゃ、お前が家賃払っとけ、と言い残して自分一人でまたまた段ボール箱一つの引っ越しをした。

ワンルームでバス・トイレ付きが当たり前だと思っている連中にはボロアパートなんて実感としてわかないだろうな。

別に郷愁などはこれっぽっちもない。
あそこへもう一度住め、と言われたら「絶対に嫌だ」と言うだけの場所でしかない。
窓を開けるとそこは隣のボロアパートの便所窓だった時のあの臭さ。
夏場に窓すら開けられないあの部屋の暑さ・・などなど。
ボロアパートに関しての思い出ならことかかない。

さて、この「木暮荘物語」、三浦しをんにしては珍しくどの小編も「性」というものが前面に出ているものばかりだ。
とは言え、「性描写」があるわけではないので、そちらをご期待の向きにはむかないのだが、それでもそんな三浦しをんを読んでみたいという方にはお勧めしておこう。

木暮荘物語 三浦しをん著