読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



砂漠


この本は以前にもUPされているかもしれないが、重複もたまにはいいだろう。

自分も以前単行本で読んだ覚えがある。読んですぐにブックオフにでも処分してしまったのだろう。

昨年文庫化されたと知り、あらためて読んで見て西嶋という男の素晴らしさに感激してしまった。

なんでだろう。
以前読んだ時のイメージはおそらく「うざい男」ぐらいのイメージしか持ち合わせなかったように記憶しているのに。

世界平和のために自分の出来ること。
麻雀で「平和」(ピンフ)という安い役があるのだが、ひたすら「平和」で上がることに固執し続け、毎回最下位の位置をキープし続ける。

それだけ読めばなんのことかわからないだろうが、西嶋という男は自分で出来ることをやり通すのだ。
しかも常に堂々としている。

「とにかく救ってあげればいいんですよ。」

という言葉通り、たまたま見つけてしまった動物保護センターのWEBサイト。
飼い主からはぐれてしまった犬の飼い主を捜すサイト。
そこは新しい犬で日々更新されて行き、その登録期限が過ぎれば、おそらく処分されてしまう。
そのサイトを見てしまった同級生の主人公氏は西嶋ならどうするんだろうな、と考える。結局、世界平和を、といくらいったって目の前の捨て犬の命一つ救えないんだろう、と。
あにはからんや、西嶋は救ってしまう。自分が飼い主だと名乗り出てしまうのだ。
「そんな!次から次へと犬を飼い続けるつもりなのか?」
に対しては、
「次からはあのサイトは見ないことにする」
という解決策を持っていた。

見てしまった以上は救い出さねばならない。
有言実行の男としてはそれ以外見てしまうわけにはいかないのだ。

駅前で募金をしている人を見て、ちゃんと届けられるのかどうかわからないし・・・としり込みする輩には、四の五の言わずに募金をしてあげればいいんだ、と切って捨てる。

過去のこととか先のことはどうでも良い。今できることをやるだ。
今、目の前で泣いてる人を救えない人間が、明日世界を救えるわけがない。
偽善は嫌だとか言っている奴に限って、自分のためには平気で嘘をつくんだ。

西嶋の考え、言動、行動は常に王道だ。
だが、その王道の考えの対極に居るのが大抵の連中で、世界平和だ!言ってろよ、と。
今、目の前で泣いてる人がいても見て見ぬふり。

それがどうだろう。
この3.11を境にして日本人は変わって来たんじゃないだろうか。
大抵は西嶋と対極に居たはずが、西嶋に近づいているんじゃないだろうか。

ゴールデンウィークには現地で断らなければならないほどボランティアの人が集結した。
いたるところで集めている義援金。
支援物資を送る人も大勢いた。
皆、今出来ることをまずやろう、としている。

震災後のテレビニュースにて、津波研究を専門とする学者が現地を取材している映像があった。
その手前で大きな余震があったのだろう。
遠くからその津波学者を目がけて、「逃げてー!」「逃げてー!」と女性が叫びながら走って来るのだ。
「津波が来るかもしれないから、とにかく早く逃げてー!」と。

自らが安全な場所にいて「逃げてー!」と叫んでいるのではないのだ。
彼らのいる場所まで走って来るのだ。
その映像を見た瞬間、あまりのことに慄然としてしまった。

彼らのところへ津波が来るのなら、自らも呑まれてしまうであるはずの場所に自ら駆けつけてまでしてでも人を助けようとするその女性。
自分のことはともかくも人を助けようとする。

西嶋と同じ魂か。
いや、もはや西嶋どころではない。

東北の人たちの強さ、優しさには本当に心を打たれる。

その強さがあまりの長期間の無策で萎えてしまわないことを願わずにはいられない。

砂漠 伊坂幸太郎 著



ねむり


いくら眠ろうとしても眠れない。
眠ろうと意識すればするほど、逆に目が覚めてくる。

そんな経験をしたことのある人は多いはずだ。

この主人公の女性、最初はそうして眠ろうと努力するのだが、途中から眠ろうと努力することをやめてしまう。

図書館へ行って眠りというものについてのある学説に出会ったのだ。

人間は知らず知らずの内に自分の行動パターンを作り上げてしまう。
一度作り上げた傾向はよほどののことがない限り変更出来ない。
眠りこそがその傾向のかたよりを中和する。

普段の傾向って、単なる家事じゃないか。
単なる家事による傾向とその是正、ならばいっそのこと眠りなど要らない。

朝、ご主人と子供を送り出し、買い物をし、午後にはスポーツクラブでたっぷり1時間スィミングをする。
子供と夫が寝てからの時間。
それが彼女の自由な時間。
誰にもじゃまされることのない、彼女だけの時間。

彼女はその時間を使って読書をする。
ブランディーを片手に「アンナ・カレーニナ」を何回も読み、トルストイのみならずドフトエフスキーなどの長い長い物語に浸ることを続ける。

そうして全く眠らない日々を一週間送り、ニ週間送っても、眠気が来たりまどろんだりもせず、衰弱するでもいない。
それどころか、ますます身体にはりがあり、若返っている自分に気がつく。

この本の独特なところは、二~三ページに一枚ほどの割で登場すつ精密な筆致のイラスト画だろう。決してライトノベルのようなアニメっぽいイラストでなどではない。

この本、そもそも短編として書かれたのは「ノルウェーの森」を書いた直後だった、と村上春樹氏はあとがきにて述べている。

単行本化したのはドイツにおいての彼の出版元であるヂュモン社なのだそうだ。
村上春樹氏ともなると、各国に自分の出版元を持っているのだろうか。
その出版社がもともと美術書を出す会社だったので、このような作りとなったらしい。

日本で出版するにあたって内容もかなり書き変えたのだという。

眠れない方は読んでみて下さい。

ロボットじゃないんだから、やっぱり眠ろうって思いますよ。きっと。

ねむり  村上春樹 著



犯罪小説家


最近やけに新聞の広告を目にしたものだから、新刊だとばっかり思っていたら、2008年刊行の本でした。
ストーリーとは別にまずそこを驚いてしまいました。

それとこのタイトル「犯罪小説家」。
あれだけバンバン広告打たれて、このタイトルなら期待度は上がってしまうのはもはや必然でしょう。
今後も広告を打つのかどうかは知りませんが、広告を打つということはさらなる読者を獲得しようということなのでしょう。

ですので事前に申し上げておくと、過度の期待を先入観として持ってしまうと少々期待外れになってしまうかもしれない、ということは言えるでしょう。

逆に過度の期待などこれっぽっちも持たずして読んだ方には、なかなか面白いじゃないか、という感想になるのではないでしょうか。

ミステリー系の新人賞をとってから三年目の作家が五作目にして出した本「凍て鶴」。
これが評判が良く、映画化の話が次々と舞い込んで来る。
その評判の良い本のあらすじも本の紹介されていますが、これがそんなに評判になるのかな?という筋立て。

美鶴というヒロインの描き方がよほど魅惑的でうまかったのでしょう。
それぐらいしか考えられない。
その映画化に当たって、超売れっ子の脚本家が名乗りを上げて、その脚本家の書いてくるプロットも紹介されているのですが、これがまた原作とは全く別物じゃないの?
というプロット。
その時代に生きた主人公が30年後からタイムスリップして来るという話になっている。原作者はそのあたりを突っ込むのかと思いきや、最後が主人公とヒロインが心中して終わるところだけを嫌がる。

そしてこの心中、自殺、というキーワードでこのそもそもの本「犯罪小説家」は成り立っている。

「落花の会」という名の自殺系サイトを運営していたメンバと作中のメンバをなんとか結びつけようと脚本家はしようとするわけですが、このあたりからこの本「犯罪小説家」は、犯罪を犯す小説家云々よりも「落花の会」という自殺系サイトメンバの動向、その主催者の生き様、などにの主題が移って行った感があります。

いずれにしろ作者は自殺サイトなるものをかなり研究したり取材したりしたのかもしれませんね。
で、なければこれだけのページ数をその話題だけでを割けないでしょう。

そこはそれなりに読み応えがある、と言っていいでしょう。

ですが、そもそもはこれだけリアルな殺人の描き方を実際に体験したことの無い人間に描けるはずがない、という自ら筆を取る脚本家の強い思い込みがストーリーを展開して行く。

そんなことを言い出したら犯罪にリアルな表現の作者は、実際に犯罪者なのか、となるわけですが、まぁそのあたりを読者に問うてみたいのでしょう。

まぁ、この本については賛否両論あるでしょうね。
冒頭に申し上げた通り、過度に期待して読み始めた人ほどその落差をののしりたくなるでしょう。
ですので、これから読まれる方には、さほど期待せずに読まれることをお勧めします。
ならばおそらく「面白い!」という感想になるでしょう。

犯罪小説家 雫井 脩介  著