読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



アゲイン


純粋な「お笑い番組」と言えば関西ではやはり元祖は「吉本新喜劇」だろうか。
関東では「笑点」か?
「笑点」はともかく関西の純粋なお笑い番組ならたまに見なくもない。
「探偵ナイトスクープ」とか。
そんなお笑いでもない、ニュース番組なのかなんなのか。いわゆる情報番組とでもいうのだろうか。
そんな中途半端な番組を好んで見ることは滅多にないが、関西ローカルには多々あるようでたまたまテレビをつけたらやっていたりする。
コメンテーター席に座っているのはやはりお笑い芸人さん達なのだろうが、ほとんど名前も知らない。
そんな名前すら知らない芸人さん達でもテレビに顔を出すまでには相当な関門を突破して来ているのかもしれないのだ。

この本、そんなお笑い芸人さんを取り上げた一冊である。
ポプラ社小説大賞の特別賞の受賞作なのだとか。

大阪の若手芸人の登竜門である「FLAT劇場」。
若手はそこで鍛えられ、F3、F2、F1とランクアップを目指す。
F3からF2へランクUPするには3年もかかるのだという。
それでもテレビへ登場するレベルにはまだまだで、そのまさにF2のランクで上を狙っているのが主人公のピン芸人氏。

同期の連中にはうぬぼれの強い連中や我がままなだけが取り柄の様な連中が、相方を作って漫才コンビになって、解散するだのコンビ解消だとわめくだの、そんな話である。

そんな中に全国でもトップレベルのお笑い芸人。ちなみに保坂という名前になっている人物が登場する。
18歳でデビューし、二年後には頭角を表し、これまでのお笑いになかった斬新さで、今や芸人の頂点と言われている。
皆がその人を目指すというトップ中のトップの人が彼らの「FLAT劇場」の芸人を使って映画を撮る、という話が持ち上がって来る。

主人公氏は実は父親がかつて芸人で一時は売れたものの頂点を境に下る一方で最後は鳴かず飛ばずになって亡くなってしまっている。
保坂というトップ芸人は実はその父親のかつて弟弟子だった。

誰がモデルなのだろう。
お笑いのトップって、大阪出身の芸人ならさんまか紳助か。映画を撮るというのなら大阪ではないが北野武か。
松本人志も映画を撮ったんだったっけ。
その映画は観てないので出来映えのほどは知らないが・・。

おそらくこの人というモデルは存在しないのだろう。
作者の作ったキャラクターなのだろう。

だが、この話の設定そのものは作者の作ったものではなくおそらく実話なのだろう。

彼らが舞台に出ての一回のギャラはわずか500円。
一日何回の舞台をこなすのか知らないが、到底それだけでは生活は出来ない。
だから、稽古の時間を削ってアルバイトに精を出す。

彼らの出身のお笑い芸人の養成所には東京・大阪合わせて毎年1000人ほどが入学し、お笑い芸人を目指す。
他のプロモーションからもお笑いを目指す連中は出て来る。

一般的な勤め人と同様の給料をもらえるのは千人に一人。
千分の一しかいないのだという。

その千分の一の狭い関門の更なる先を目指してF3、F2、F1の芸人がしのぎを削る。

そう言えばたまたま飲みに行った居酒屋の店員で、芸人目指してるんですわ、なんていうのにちょくちょく出会ったりすることがあるから、案外そこら中に居たりするのかもしれない。

これも所謂勝負師の世界なのか。
プロの囲碁・将棋の棋士を目指す人などと同じように。

それでも千分の一で普通の勤め人並みと言うのだから、って普通の勤め人っていうのがどんなレベルなのかは定かではないが、少なくともその収入で家賃を払ってメシを食って行けるレベルぐらいなのだろう、人並みより上となると万分の一ぐらい?

もしそうなら、そこまで行けば、もはやダメでもともとぐらいの気持ちなのじゃないのだろうか。

最終的にあきらめがつくまでやってみたって、それまでの居酒屋の店員という道を副業から本業にするだけのことなのかもしれない。

この主人公氏、保坂というトップ芸人に「あきらめろ」とダメだしをされてしまう。

そこで諦めるのか、それでも自分の大好きな世界で生きるのか、そこが別れ道だ。

先日、プロスポーツの中でも日本ではあまりメジャーではないバスケットボールのBJリーグでプレイする日本人選手と飲んで話をする機会があった。
彼らの年収もプロの一部リーグでありながらも相当悲惨なものだったように聞いた。

聞いてみると学生時代に選手権でトップに立った様なチームに所属していたわけでもない。
学生トップでプロへというのは寧ろ少ないのかもしれない。

今現在、日本のプロのトップリーグに所属しながらでも尚且つそうなのだとしたら、千分の一、万分の一を目指すが頂点に立てば人も羨むような世界が待っているお笑い芸人よりも悲惨ではないか。

結局は人の生き様というもの人それぞれ。
勤め人が大嫌いな人が嫌々勤め人を続ける事は如何に生活のためとは言え、あたら人生の貴重な時間を浪費しているに過ぎない。
自分の大好きな道を選んだのだから、と自分で納得出来るかどうかが大事なのかもしれない

第5回ポプラ社小説大賞 特別賞 アゲイン 浜口倫太郎 著



木暮荘物語


小編が七編と思ったら、繋がっていた。
木暮荘というボロアパートの住人やその勤め先の人などがそれぞれ主人公となり、その脇役の人が次の小編の主人公となる。

「シンプリーヘブン」
花屋で働く女性の部屋に三年間も行方知れずだった元彼が、ごく当然の如くに上がり込んで来る。
部屋には半年前から付き合い始めた現在の彼氏が居るのだが・・・。
「別れるとは言わなかったはず」と言い張る元彼氏のあっけらかんとした雰囲気とやけに物分かりがいい現彼氏に挟まれての一つ部屋での三人暮らし。
結構居心地が良かったりして。

「心身」
木暮荘の大家さんのおじいさんの親友が亡くなりかけている。
二~三年に一度しか会わない友人だが、この世に「親友」という存在が居るとしたら、その彼一人だろう、という。

案外そんなものかもしれない。
友達と呼べる人間は結構いたとしても真の親友と呼べるのは人生の中では一人ぐらいしかいないのではないか。
というところからこの小編は始まる。
その後のこの木暮老人のちょっとした色狂いは少々微笑ましくもあり、何やら物悲しくもある。

「柱の実り」
ヤクザのお兄さん、いやオジさんの優しさが心に沁みる一編。

「黒い飲み物」
夫の浮気が元でもめるドタバタ。
「コーヒーが泥の味がする」
という表現が妙に心に残る。
この泥の味はその後の小編にも登場する。

「穴」
女子大生の部屋を覗くのが日常化した男の姿を想像するとあまりに情けないが、そこから垣間見える女性の日常の努力というものに気が付き、当初ムカつきしか憶えなかった女子大生と気持ちが一体化して行く。
それにしてもまだ女子大生という若さでそこまで念入りに化粧をするものなのか?
いずれにしてもこういう女性の日常の努力というものは女性作家で無ければなかなか書けないだろう。

「ピース」
その女子大生が主人公。
彼女はまだ親になるということがどんなことなのかもわからない中学生の頃に一生子供が産めない身体だと知らされている。
そんな彼女のところへ妊娠したことを親にも彼氏の親にも告げられなかった友人が産まれたばかりの赤ん坊を預けて行く。
名前もまだない赤ん坊に名前を付けて、だんだんとその女子大生に母性が目覚めて行くという話。

「嘘の味」
他人が作った料理を食べるとその人が嘘をついている人なのか、浮気をしているのか、がわかってしまうという特技を持ってしまったために他人の作った料理は食べない主義の女性。
そんな女性の住まいに冒頭のあっけらかん男が居候する。

そんな七編を読んであらためて、本の帯を見直してみる。
「私たち、木暮荘に住みたくなりました」
って、それはまず無いんじゃないの。

掃除機の吸い込みだけで隣室との間に穴があいてしまうってほとんどベニヤ板だろうに。震度2の地震でも崩壊してしまいそうだ。

かつて、ボロアパートを転々としたことがある。
三畳一間のボロアパートでは物を置けば寝る場所が無くなってしまうので、小さな冷蔵庫だったが、夏場は冷蔵庫に頭を突っ込んで寝てたっけ。

ある時は不動産屋が紹介した時は、今電気を止めているので、と間取りしかわからなかったが、いざ住んでみると壁一面にびっしりと黒い小さな虫がわんさかいたこともある。
不思議と三日も経てば慣れてしまうもので、そこへ泊りに来た友人も最初は気味悪がるが、すぐに慣れる、そこは四畳、六畳と二部屋もあったので、友人がそのまた友人を連れて来て、そのまた友人なのか知り合いなのか、知り合いですらないのか、ある日帰ったら、顔も見たことのない、知らない連中で一杯になっていた。
そろそろ、移り時と思っていたので、最初に来た友人にあと住みたきゃ、お前が家賃払っとけ、と言い残して自分一人でまたまた段ボール箱一つの引っ越しをした。

ワンルームでバス・トイレ付きが当たり前だと思っている連中にはボロアパートなんて実感としてわかないだろうな。

別に郷愁などはこれっぽっちもない。
あそこへもう一度住め、と言われたら「絶対に嫌だ」と言うだけの場所でしかない。
窓を開けるとそこは隣のボロアパートの便所窓だった時のあの臭さ。
夏場に窓すら開けられないあの部屋の暑さ・・などなど。
ボロアパートに関しての思い出ならことかかない。

さて、この「木暮荘物語」、三浦しをんにしては珍しくどの小編も「性」というものが前面に出ているものばかりだ。
とは言え、「性描写」があるわけではないので、そちらをご期待の向きにはむかないのだが、それでもそんな三浦しをんを読んでみたいという方にはお勧めしておこう。

木暮荘物語 三浦しをん著



津波災害――減災社会を築く


著者の河田惠昭という人、この震災直後より何度かテレビにてお顔を拝見した。
確か内閣の肝煎りで発足した復興構想会議の一員にもなったのではなかったか。

この本はこの度の震災の直前に刊行されている。
2010年のチリ沖地震津波をきっかけに書かれたものであり、津波被害に対する警笛を鳴らしている。

著者の警笛がもっと浸透していたら今回の津波被害は少なくなったか、というと多少は、とは言えても必ずしもYESと断ずることは難しいだろう。

この本には津波被害についての恐ろしさや津波のメカニズムの解説、津波に対する対処などがふんだんに述べられているのだが、よもや一つの地方そのものがほぼ壊滅状態になり、町や村全体が流されるような事態までは想定していまい。

著者は通常の津波にて、住民の避難率が低いことを問題視しているが、それは今回の震災と津波にも当てはまるだろうか。

この度の震災に関してはいずれ歴史的検証もはじまるだろうが、確かに万を超える多くの方が亡くなってしまったわけだが、行方不明の方の大半は、巨大地震で家が倒壊しその直後の津波にて家ごと流され、その戻り波にて家ごと海へと持って行かれてしまったような、もはやどうしようもない状態の方が大半だったのではないだろうか。

寧ろあれだけの津波が押し寄せたにしては、こと避難という意味ではかなりの人が避難され、避難率は低いどころか、状態から見れば高かったのではないだろうか。

特に小学校などは普段の避難訓練が行き届いていたのか、小学校の校舎はもろ被害に遭いながらも小学生は全員無事だった、という報道を何度も聞いた。

東北地方沿岸部はそれだけ、津波に対する用心を行っておられたが、その用心のレベルをはるかに超える津波が来、しかも大震災で崩壊した家で動けない人はもはや逃げるという選択肢すら持てなかった。
そんな方々が大勢おられたのではないかと推察する。

「東北の万里の長城」と言われる防潮堤を築いた町がある。
岩手県宮古市の田老町。高さ10M、最大幅25M、延長2.4Km。

津波を減殺するはずの無敵の防潮堤ですら、今回の津波にあっては破壊されてしまっている。

筆者は津波は防波堤に激突した段階でそのエネルギーは増加され1.5倍の高さになると述べられておられる。
10Mの津波に対応したはずの防波堤であっても防波堤にぶつかり15Mの津波になってしまうのだ。
この度の津波報道を見ていてもある工場などでは、はるか天井近く高さ16Mの位置まで海水が押し寄せた跡などが映されていた。

筆者が述べるように100%の事前対策などはないのだろう。
減殺ではなく減災。
完全無欠の防潮堤があったとしてもそれに驕らず、逃げるにしかずなのだろう。

かつて、京都の桂イノベーションセンターというところを訪れたことがある。
京都市内の賑やかなところではなく、京都の中でもすこしはずれた場所で近隣には歓楽街どころか飲食店すらほとんどなかったのではなかったか。そんな場所に京都大学の土木工学科の研究施設があった。
そこではビルの中にすっぽりビルを作るという途方もない研究が行われていた。
外ビルがどれだけの強度の地震にあってものそこで揺れを吸収してしまい、まるでぶら下がっているかの如くの内部の建物には一切揺れ感じさせない、そんな研究をしていた。
そこで言う外ビルがまたビルの中にある研究施設なのだからどれだけ巨大な施設か想像がつくだろう。
それを見たのはもうかれこれ10年近く前だったと思うが、その後の耐震ビルと言ってもそんな技術が用いられたなどはトンと聞かない。
巨額な重要施設では案外用いられているのかもしれないが・・。
いずれにしろ、民間使用するにはそんな耐震施設など莫大な費用がかかりすぎて実用化は難しいだろう。
だが、揺れを吸収してしまうというところに津波にも同じようなヒントはないだろうか。
津波に関してもじゃぁ10Mで足らないなら15Mの、20Mの防波堤を作ろうという発想は土台無理がある。
こと相手は自然なのである。
真っ向から向かうのはもう辞めにして、そのエネルギーを緩やかに吸収するような技術、誰か研究を始めないかな。
高く高くするよりも吸収する技術と言うのだろうか。
サッカーでどれだけ強いボールが飛んで来てもすっと足元に落とせるのは瞬時に引いてボールの勢いを吸収してしまうトラップという技術があるからである。
ボクシングにしたって真っ向から顔面ストレートを受けたら途端にダウンだろうが、瞬時に引くことで相手のパンチの勢いを吸収してしまう。
吸収と言ってもサッカーボールやパンチを例に出せば、規模が違いすぎるだろうが!とお叱りを頂戴しそうなので、表現を変えれば、津波を真っ向から防波する堤ではなく、その勢いを逃すような技術とでもいえばいいだろうか。

河田先生の本のことを書くつもりが後半は思いつきのことを書いてしまった。
この本には貴重な記述が多々あるし、教わることも多々ある。
せっかく2010の年末に刊行したばっかりではあるが、1896年の明治三陸地震のことや、1933年の昭和三陸地震のことや、1993年の北海道南西沖地震のことや、2004年のスマトラ島沖地震のことや、2010年のチリ地震のことなど過去の地震津波のことは写真も交えていろいろな計測値で満載なのですが、いろいろな意味で既に我々に伝わり済みのこともありますし、今回の震災を踏まえて新たな減災社会に向けてあらためて加筆、いえ書き直して頂く必要があるのだろう。

とは申せ復興構想会議の委員をなさっておいでなので、その結論が無ければおそらく何も始まらないだろうし、始める気もなさそうな気配濃厚なので、河田先生には本を書き直す暇などありますまい。

一刻も早く復興構想会議からの提言を出して下さいませ。

津波災害――減災社会を築く 河田 惠昭 (著) 岩波新書