読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争


2010年11月23日の祝日の午後のニュースで 北朝鮮が韓国に砲撃をしている映像のニュースが飛び込んで来た。
軍事境界線での小競り合いでも無ければ、領海侵犯して来た船との撃ち合いでもない。
見れば、砲弾はあろうことか民家へ次々と襲いかかり、民家は燃えさかり、人々は逃げ惑う。
これはただではすまない。すわっ朝鮮戦争勃発か!と頭をよぎる。

この攻撃を受けたのがアメリカだったとしたら、アメリカは必ずや報復行動に打って出ただろう。
アメリカという国、独立以来、自国を直接攻撃されたのは2回だけ。
一度目は日本軍による真珠湾攻撃。二度目があの9.11のマンハッタンのWTCをはじめとする同時多発テロ。
どちらも相手を完膚無きまでに叩きのめした。
9.11の時など直接攻撃すべき敵国が見当たらなかったので、テロリストをかくまったとの名目でアフガニスタンを葬り去った。

本書、『ザ・コールデスト・ウインター』は、現在のこの緊迫した東アジア情勢の背景を知るにはまさにうってつけの本であった。
あの『ベスト・アンド・ブライテスト』を執筆したハルバースタムの渾身の一作である。
当時の新聞を漁り、当時の生き残りの人達への取材を行い、重たい口を開かせ、山ほどの伝記ものからの引用、もしくはその作者への直接取材を経て10年の歳月をかけて書き上げたのだという。
本書を仕上げるた一週間後にハルバースタムは交通事故で亡くなってしまうのだが、その偉業はその数年後に起こるこの事態をまるで予期していたかの如くである。

朝鮮戦争は、世界の近代史を考える上で非常に重要な戦争であったにも関わらず、アメリカ人にとっては「忘れられた戦争」と呼ばれるのだという。
太平洋戦争やベトナム戦争は本になり、映画になり、またある時は何かの象徴みたいに取り上げられたりする。
ところが朝鮮戦争のその取り上げられることの少なさと言ったらどうだろう。
それは朝鮮戦争があまりに誰も語りたがらない戦争だったことにも起因しているのだ、とハルバースタムは着眼する。

この戦争、冒頭から各国指導者の敵国に対する過小評価や、思い込み、誤算が錯綜する。
元々の一番の読み間違いは金日成。
「アメリカは絶対に介入して来ない。中国の国民党軍が共産軍に駆逐されるのでさえ、手出しをしなかったほどだから・・」
と、ソ連のスターリンへ南への侵攻の許可を求めに何度も足を運び、ようやくソ連は軍事的には関与しないという前提付きで許可を与える。

介入したアメリカの読みの甘さも相当なものである。
その最たる人物として取り上げられるのがあのダグラス・マッカーサーである。
というよりもこの上下巻のかなりの部分をマッカーサーのために割いている。
「中共軍は絶対に介入して来ない」
と断言していたにも関わらず、介入してきたこと。
仮りに介入して来たとしたら、コテンパンにしてしまうはずがコテンパンにされてしまうわけでし。

「敵を知る」という基本をまるで忘れたかのように、この最高司令官は朝鮮半島に一泊することすらせず、空調のきいた東京の第一生命ビルから指令を発していたのだから。

その当時の日本(敗戦直後の日本)というのはアメリカ兵にとってはかなり居心地のいい場所だったらしい。もっともそれは日本人にとってみればうれしい話でもなんでもないが・・・。
現地妻も持てれば、召使いも雇える。
ちょっと物資を横流しすれば、かなりのおこずかいが稼げる。
日本への駐留は危険も無ければ、軍事演習の厳しさもない、ちょっと長めの観光気分。
そんなものを味わっていた米兵達が朝鮮半島へ楽勝のつもりで乗り込んで痛い目に合う。
当初釜山のギリギリまで追いつめられるが、その後、マッカッサーの考え出した奇策、仁川上陸作戦が見事にあたり、それゆえにただでさえ本国が遠慮をしていたマッカーサーに誰も盾つけなくなってしまう。
当時の米大統領であるトルーマンなどは核を使うかどうかの判断さえ、マッカーサーに委ねる発言をしている。
仁川上陸後、南からの部隊と北朝鮮軍を挟み撃ちにすることが出来たにも関わらず、勝利のイメージに拘るマッカーサーはひたすらソウルを目指す。
ソウルに到着するや否やの勝利宣言。
なんだかバクダッドでフセイン像を引き倒す姿を大々的に報じて勝利宣言をした姿に似ていなくもない。
マッカーサーはソウルへ入ったことで満足したわけではなく、鴨緑江(中国と北朝鮮の国境)を目指せと一路北進へと兵を急がせる。
鴨緑江どころかマッカーサーは旧満州まで攻め入ろうとしていた。
中共軍(毛沢東はあくまで義勇軍だと言う。それは正規軍が介入したという事実によっての全面戦争は避けたかった)との戦い方は、かつてのロシアがナポレオンを叩いた作戦のようにどんどん敵を進軍させるだけ進軍させ、その兵站の伸びきったところを集中的に攻め、米軍の各隊を孤立させる。
攻撃をしかけるのは夜中になってから。そかも四方八方から集中攻撃で、米兵に恐怖心を植え付ける。
そして昼間になると、見事にその軍隊は消え失せてしまうのだ。

マッカーサーやその腹心達が所詮「洗濯屋」だと思っていた中共軍は、この朝鮮戦争のほんの少し前に弱小兵器でアメリカから支援された強力武器を持つ国民党との内戦を戦いぬいた、言わば弱小兵器での戦い方を熟知していた軍隊なのだった。

マッカーサーはあまりに神格化されてしまっていたので、彼を信奉する取り巻き達は彼の耳に痛い事は、耳に入らないようにする。
そしてマッカーサーが任命した彼の腹心の将軍などは、中京軍が何十万と居るにも関わらず、中共軍はいない、聞く耳さえ持たない。
もうすでにこの戦争は北と南ではなく、アメリカと中共の戦争になっていたにも関わらず。
部下の進言を無視するばかりか、部下が零下30度という極寒の中で苦戦をしている中、風呂付のトレーラーの中で自分専用のコックの作った料理を平らげ、ワイングラスを傾ける。
そんな無能な上官のためにはるばる朝鮮半島まで来て命を落とした兵達はさぞや口惜しかったことだろう。

最もひどかったのが、ついに北進をあきらめ、南へ退却する時だ。
もはや、戦いでは無かった。一方的な殺戮に近い。
生き残った兵達はその道を処刑場に例える。

だから、帰還した米兵達はこの戦争を語ろうとしなかった。
命からがら逃げて来たことを恥じているわけではない。
助けられたかもしれない同胞を見捨て無ければならなかった、その事実を語りたくなかったのだという。

アメリカ軍はその後、リッジウェイ司令官の登場でようやく立て直しを図るわけだが、なんとも悲惨な戦いをしたものだ。

それでも死者の数では圧倒的に中共軍の方が多かっただろう。
スターリン、毛沢東、金日成というこの時代の3人の共産国家の独裁者の中では断トツにスターリンの存在が大きかった。
毛沢東は何度もスターリンとの面会を申しかけてもなかなか会談してもらえない。
まるでこの秋の日本の首相が中国首脳への会談を持ちかけてもなかなか実現しなかったその姿を思い出してしまう。
毛沢東にしてみれば、何がなんでも米軍を釜山まで追いつめて、そんな弱い国から早く脱却したかったということだろうか。
そのためなら人命などどれだけ落としたって痛くも痒くもないといったところか。

いくらアメリカ軍が処刑場のような攻撃を浴びたとはいえ、死者の数では圧倒的に中共軍の方が多かっただろう。
中国も北朝鮮も公にしていないので、実際にどれだけだったのかは不明なのだが・・。
圧倒的に死者の数では上回ったとしても、やはりこの戦争は米中の関係で言えば、中共軍はアメリカ軍を、国連軍を押し戻したことによる自信を持った分、中国側に分がある。
アメリカは最終的に中途半端な形ではあるが終わることに漕ぎつけられた格好だが、結局その中途半端さゆえに次のベトナムへの道へ、つまり『ベスト・アンド・ブライテスト』が描く世界へと突入してしまう。

スターリンも毛沢東も亡き今、金日成体制だけは世襲三代目に入ろうとし、最も忠実にスターリンの恐怖政治を踏襲し続けている。

はてさて、今度の緊張の先には何が待っているのだろう。

ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 (上・下)ディヴィッド・ハルバースタム著



幸福を知る才能


京都に「ソワレ」という喫茶店があって、その喫茶店には東郷青児さんの絵がたくさん飾られています。

彼の絵にあまり興味はないのですが、大学時代に先輩がアルバイトをしていたので何度か足を運びました。

この本を母にもらって、しばらくは興味がもてなくてほったらかしていたのですが、ぱらぱらっとめくったら東郷青児さんの名前が見えて、なんだか気になったので読み始めました。

でも、この本は東郷青児さんにについての本ではなくて、彼とも親しかった宇野千代さんの本。
宇野千代さんのエッセイです。

宇野千代さんは作家ですが、なかなか波乱に満ちた人生を送った方のようで、東郷青児さんとの恋愛もなかなかドラマチック。

別の女性と心中未遂を図ってすぐの東郷青児さんと出会い、その日のうちに彼の家へ行き、一緒に暮らし始めたそうな。
家には心中未遂の時にできた真っ赤な血に染まったシーツがあって、それを見て一緒に暮らそうと思ったというから、世の中いろいろな人がいるものです。
これが運命の出会いで、一生を東郷青児さんと共にしたのかと思えば、4年ほどで別れて、また他の男性といろいろな恋愛模様を繰り広げます。

これだけドラマチックな人生を送った人は、ドラマチックな人となりなのだろうと思ったのですが、本を読み進めてみるとそうでもない。

でも、恐ろしく前向き。
そして打たれ強い。

ドラマチックな人生を送った人は、それにに耐えうるガッツのある人なのでしょう。
宇野千代さんなんて98歳まで生きているわけですから、きっと相当なガッツの持ち主。

そして、ドラマチックな人生を乗り切っていくには、あらゆる出来事の主導権を握る事、もしくは握っていると思い込むことが大事なのかもしれません。

宇野千代さんの離婚十戒というのがこちら。

第一条 妻はその新婚生活の始めから、ただ一刻も夫の傍らを離れることなかれ。
第二条 妻はその夫の最初の浮気の時、徹底的に、めちゃくちゃにヤキモチをやくこと。夢にも『あたし、あなたを許すわ』などと言うことなかれ。
第三条 家庭の中を警察署にすることなかれ。
第四条 ケンカしてくしゃくしゃした時に、直ぐに表へ飛び出すことなかれ。
第五条 『あなたと違ってあたしだけはいつも正しい人間よ』と言う風にすることなかれ。反対に、妻はいつでも、夫の悪いことの共犯者になることです。
第六条 夫の描く夢を、方っ端から叩き潰すことなかれ。
第七条 夫の欠点を夢にも言葉に出すなかれ。また心の中でも、繰り返して考えることなかれ。夫に関してはオノロケ以外は口にすることなかれ。
第八条 絶えずブツブツこぼしていることなかれ。
第九条 いつもどこか体の調子が悪い、と言って訴えることなかれ。
第十条 何事にも、陰気で深刻な表情をすることなかれ。

夫を逃がさないための必死な十戒ではなくて、ちょっと賢く振舞えば、うまく物事運べますよというアドバイス。

夫の浮気で一人耐えて悲しみに暮れるより、「めちゃくちゃにヤキモチ焼いたほうが、この先だんなさんは浮気しにくくなるみたいだから焼いておくか」
くらいの気持ちでしっかり手綱を握ってしまうわけです。

実際、そこまでタフにはなれませんが、自分の人生の行方を自分以外のもののせいにしていると、楽しめるものも楽しめないのかもしれません。
せっかくだから、自分の人生の主導権をしっかり握って、いろいろな出来事を楽しく乗り切っていきたいと思ったのでした。


幸福を知る才能 宇野千代著



横道世之介


何のことはない、大学一年生の1年間の生活を描いたお話。
まったく何のことはない、話なのだが、不思議と心に残るお話である。

滅多に合わないがたまに昔の同級生と会ったりして、「あぁ、そんなやつ居たよなぁ」みたいな、取り立てて目立つ存在でもない代わりに、皆の中である種の存在感を残しているやつ。そんなやつって案外いたりするものだ。

世代は少し違えど、今から16~7年前が舞台になっているだけに、いろんな出来事が懐かしく被っているせいもあるのかもしれない。
話の途中に大韓航空機爆破事件のニュースが出て来たり、ペレストロイカの話題しかり、クルーザーを乗り回すバブル時代ならではの若者が出て来たり、地上げ屋が出て来たり、ボートピープルが長崎の大村海岸に漂着したり、雑誌のタイトルや映画館で上映している映画のタイトルが妙に懐かしかったり。

大学へ入学したての1回生。これから自分が何を目指しているのか、まだまだこれからそれを見つけようという時代。

これは案外著者の回顧物語なのかもしれない。
舞台となる大学、著者の略歴の大学ではないのだろうか。

この一見懐かしいと思われる風景こそ、著者の学生時代をなぞっているのではないだろうか。

この本が出版されたの2009年の9月。
バブルはもうとうの昔に破裂し、登場人物たちは皆それぞれに歳を経て、ラジオのDJになった女性は、六本木ヒルズにあるスタジオから、「リーマン・ブラザーズ」の看板をがまだはずされていない、云々を話題にしている。
そう、リーマンショック後の時代に生きる人たちが、16~7年前の一時期に出会った横道世之介というどこにでもいそうな若者を懐かしく思い出す。

世之介と青春時代に出会わなかった人と比べて、出会った自分達は何か得をした、という表現は少々大袈裟かもしれないが、何か安心出来る、ホッとする、今どきの言葉で言えば「癒される」なにかをこの横道世之介という若者は持っていたのかもしれない。

何人かの友人たちや先輩や恋人?が登場し、世之介はともかく、彼らはそれぞれに後の人生を生きて行く。
その中の話にはいくつか置いてけぼりになったままのような話もあるのだが、まぁそれはそれで、読者で勝手に想像しろ、ということなのだろう。

それにしても印象に残るのは与謝野祥子という同じ世代の女性。
友達との待ち合わせに運転手つきの黒塗りの高級車で現れ、話し言葉も貴族か華族というほどにお上品。

そうかと思うととんでもなく行動力があったり、世之介の帰省に先駆けて世之介の実家へ赴き、世之介の母の手伝いをして、と甲斐甲斐しく料理上手だったり、といろんな意味で常識をぶっこえた存在。
彼女のどこをどうしたら、アフリカの難民キャンプで日焼けしながらたくましくワイルドに働く女性に変貌するのだろう。

人間は、変われるものなのだ。
特に大学1年生の頃がどうたったとしたって、15年も20年もすれば、驚くほどに変貌を遂げる、ということなのだろう。

今や新聞を手に取ると最悪の就職氷河期を超える、だとか、就活をする学生をインタビューするニュースではもう100社も落っこちてとか、大学生にとっては暗い話題ばかりが目に飛び込んで来る。

なんとか彼らに勝負をするチャンスぐらいはあげる社会で有りたいものだ、とつくづく思う。
学歴一つ、履歴書一つ、面接一つで彼らの何がわかるのか。
与謝野祥子のようにどんな大化けするかもしれないのである。

ちょっと蛇足脱線気味だったか。

『横道世之介』 吉田 修一著(毎日新聞社)