読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



カデナ


ベトナム戦争当時の沖縄が描かれている。
『あの夏、私たちは4人だけの分隊で闘った』という本の帯にはかなりそそられるものがある。
実際に読んでみると『分隊で闘った』の文言から想像するイメージとはだいぶん違うものだったが、もちろん期待を裏切る本ではなかった。
タイトルの『カデナ』とは言わずもがなかもしれないが沖縄の嘉手納米軍基地のあるあの嘉手納のことである。

フィリピーナと米兵の混血児で米国籍を持ち、米空軍に籍を置く女性。
戦時中に沖縄からサイパンへ行き、サイパン陥落前時にアメリカ兵に収容され、戦後、沖縄へ帰って来た朝英さんという男性。
米軍基地でロックバンドを演奏する中の一人である若者。
それぞれが交互に語り部となってストーリーは展開される。

中でも朝英さんの語り部の箇所は戦時中からの誰かの体験談を聞いているが如くに読みごたえがある。
十三歳で父親の出稼ぎで家族と共にサイパンへ渡り、自身もサイパンで機関士見習いとして働き、アメリカのサイパンへの空襲が始まると父母は沖縄へ帰る船に乗り、硫黄島沖でその船は潜水艦に沈められ、乗客500人全員が死亡。
兄は徴兵にとられ、戦死。
沖縄へ帰って故郷を訪れてみると、親戚をはじめ知り合いも全て失ってしまったことを知る。
知っている人たちの中で生き残っているのは自分だけ、という心にぽっかり穴の空いたような状態。
結婚した後も朝英さんには子供が居ない。
つくらないのか、出来なかったのかは不明だが、世の中には先祖から引き継いだ家を子や孫へと増えていく家もあれば、たった一人生き残った自分の一家はここで閉じるべき家なのだと思っている。

三人の語り部がいるがこの人の語りの箇所の文体はなんとも重みがある。
こんな話を作者が想像で書いたとは思えない。
おそらくこの話を語ってくれた実在の人が居たのではないだろうか。

長引く戦争の最中、米軍の指揮官の奥さんの中に、平気で「核を落として終わりにすればいいじゃない」などと言う人が登場する。
まさか、と思うがどうもまんざら議論に上がらなかったわけでもないのかもしれない。
長崎・広島への原爆投下を指揮し、東京や主要都市の人々に対しての焼夷弾で周囲を焼け野原にして逃げ場を失わせた上で爆撃して民間人を皆殺しにする作戦をたてたカーチス・ルメイは戦後、勲章をもらい、昇進した。
そのルメイの部下だったマクナマラがその当時のアメリカの国防長官だったのである。

米空軍の爆撃ももうすぐ終わりになるという手前の最後の二週間でなんと150機で700回の出撃。落とした爆弾はなんと2万トンだったという。
2万トンと言われてもなかなかピンと来ないものがある。

実際に空軍基地に居た人たちも同じだったようだ。
B-52のばかでかい爆撃機には最大27トンの爆弾を搭載できるのだという。
爆撃機は一旦飛び立ったら、その27トン全てを落として来なくてはならない。
落とし漏れを抱えたまま帰って来ることは非常に危険で着陸時に爆発したらそれで一巻の終わりだからだ。

だから、爆弾落下と落としきって帰ることだけに専念するパイロットたちにも落下した後の状態など実感が無かったかもしれない。

そのB-52一機が離陸に失敗する。
その先には核爆弾の弾薬集積所がある。だから機長はゲートにぶつけて止めた。
そしてゲートにぶつかると同時に大爆発。
辺り一面が火の海となり、地面から空までが燃え、雲底が真っ赤になった。
その状態を見て初めて基地の人たちもこのB-52一機の搭載する爆弾の凄まじさを知ることとなる。

この物語はフィクションであってもそこで描かれている情景はフィクションでは無く、ノンフィクションなのではないだろうか。

ベトナム戦争が長引くに連れて、厭戦感の漂う中、嘉手納基地から飛び立ち、ハノイへ向かう爆撃機乗りの心境や基地の人びとの話、作者はどうやって取材したのだろう。

米軍基地が嫌いでありながらも米軍基地があることで仕事を得ている人たち。
彼らは基地があればあったで「なんとかなるさー」と生き、ベトナムの戦争終結で基地がなくなって、仕事もなくなるかも、に関しても「なんとかなるさー」と大らかではありながらも複雑な沖縄の人々の心情。

本書は4人だけの分隊で闘ったというストーリー展開を描きながら、やまとんちゅう達が東海道新幹線の開通、東京オリンピックの開催、大阪での万国博覧会と高度経済成長を謳歌している最中で、やまとんちゅうの人びとの内、一体何人がこのうちなーんちゅの人びとの生き様や、沖縄で起こっていたことを知っていただろうか。
知り得なかった沖縄での戦後史を自ら沖縄へ移住してまで取材をし、実感した作者ならではの沖縄史なのではないだろうか。

カデナ  池澤夏樹 著(新潮社)



チャイナ・レイク 


アメリカの一地方での新興のカルト教団をめぐる話である。
日本と欧米では宗教に対する寛容さはかなり違いがあるだろう。
日本人はその人が信じている宗教の内容、教義というのか?に対してまでそうそう口出しをしたりはしない。
ただ、自分が入信を薦められたら、お断りをするだけで、滅多に馬鹿にしてみたり、などはしない。
それは寛容というよりも怖いからなのかもしれないが・・。
いずれにしても春・夏の甲子園にでも過去結構な数の宗教の関係の学校が出場して来ているはずだが、それに違和感を感じる人は少ない。

欧米ではキリスト教以外は異教であるから、どうしても新興の教団と言ったってキリスト教から大きく離れるわけには行かないのかもしれない。

大きく離れるどころかもっと原理主義的なまでに熱烈なのが新興カルトとして度々登場する。

結構平気でその人達の目の前で、教義をからかってみたり、ジョークにしてみたり出来てしまうのは国民性の違いなのだろうか。

日本でも例外はもちろんある。
ハルマゲドンだったか、終末論を煽り、実際に予言が当たらないとなると、自らサティアンなるところに信者が籠もって化学兵器を製造し、東京の地下鉄にサリンという猛毒をばら撒いたあの教団である。

この小説に登場する教団も終末思想を唱え、聖書を引用しながら、自らその終末を起そうとする。
日本のあの事件をかなり参考にされたのではないだろうか。

ここではサリンでは無く、狂犬病ウィルスを用いようとする。
そのメリットは潜伏期間が永いため、犯人が特定されづらいこと。非常に致死率が高いこと・・などだが、読みすすめると結局なんでも良かったんじゃないのか、とも思える。

この教団、死者を冒涜し死者に鞭打つ。
エイズで亡くなった人の葬式に大勢でプラカードを持って現われ、その死を冒涜する。

どこまでされたら、いくら信じるのは勝手と言いながらも、その教義に反論したくもなるだろう。

「チャイナ・レイク」という地名は実在する。
そしてそこが航空開発基地であることもどうやら実際の話らしい。
そのチャイナ・レイクともう一つの舞台となるサンタ・バーバラももちろん実在する地名である。

だから信憑性があるか、と言えばそれはどうだろうか。
誰だってまともな人間ならちょっと取り合えないほどにその教義はボロボロでどうしようもなく薄っぺらい。

その教団という恐ろしい組織に対して立ち向かうのが弁護士でもありSF作家でもある主人公の女性。
この女性の勇気は凄まじい。

ただ少しだけ残念なのは、その恐怖の教団そのものへ妄信する信者達の圧迫感というか、集団の怖さというものがあまり伝わって来ないところだろうか。

小説の読みやすさから言えば登場人物をあまり多くしてしまうと読みづらいということを意識してなにか、何か事がある毎に登場する教団側の人間はほんの数人、毎度おなじみの顔なのである。
しまいには最初から数人しかしなかったのではないか、とすら思えてしまうほどに。

この作者、アメリカ人でありながらなかなかアメリカでは出版の機会に恵まれず、ずっとイギリスで出版してきたのだいう。
運よくアメリカで認められて出版したのがこの2009年の今年。
で、いきなりアメリカ探偵作家クラブのエドガー賞の最優秀ペイパーバック賞を受賞したのだという。
探偵作家クラブの賞というと探偵物のイメージを想像されるだろうが、決して探偵者ではない。
なかなか読み答えがあって読み出したらやめられない本であることは確かだろう。

チャイナ・レイク (ハヤカワ・ミステリ文庫) メグ・ガーディナー (著), 山西美都紀 (翻訳)



偽装農家


なんか小学校の教科書の副読本みたいな、薄い本でありながら、なかなかにして中身は濃いものがある。

農家は社会的弱者である。
農業は儲からない。
農家は貧しい。
こういう一般的な農家像をばっさばっさと切り倒して行く。

いや実際に真面目に農業を営んでいる人を切って捨てているわけではない。
営農意欲が全くないままに農地を単なる資産として抱えている「土地持ち非農家」に対して舌鋒鋭く切り込んでいる。

「農地」という土地資産があるだけで、補助金は舞い込んで来るわ。固定資産税も極端に免除されるわ。しかもそれらのかなりのパーセンテージが農業をまともに営んでいない。

農地、という名前のまま、産業廃棄物の投棄場所になっていたり、ショッピングセンターやパチンコ店に転用されるのをひたすら待つ転用待ち農地であったり。

何よりも問題は、そういう実態を農水省そのものが知りながらも見てみぬふりをしていることなのだろう。

そして、農家の票を選挙に利用する政党。
かつての自民党も農家の票を票田としていたが、小泉政権の構造改革で一変した。
小泉氏は「自民党をぶっ壊す」と言って総裁になったが、構造改革で自民党の票田を自ら放棄し、実際に自民党をぶっ壊した。

しかしながらどうなんだろう。
果たして、本当に単純に手当さえばらまけば、票に繋がるなどと考えているのだろうか。そこまで日本人は無節操か?もらうものならもらわにゃ損損か?
もしそうなら、いつからこの国の人たちはこんなに心が貧しくなったのか。
もしそうなら、自らの国の子供達の将来を売ってしまっているのに等しい。

そうではないだろう。
大勝利の原因はばらまき手当をもらう事が目的では無く、あの前政権をそのまま信任したくない、という人がそれだけ多かったということではないのか。

現政権は、手当のみを期待する人が多いとばかり思っているのだろう。
だからこんな史上最悪の愚脳内閣が出来てしまったではないか。
この内閣が将来にどんなツケを残しているのか。

次の参議院選挙で単独過半数を取るまでは嫌われることからひたすら逃げ続けるのだろうか。
では、それでもし単独過半数を確保したとして、一体その先で何を実現しようとしているのだろう。
さっぱり見えない。

話を本に戻すと、農地基本台帳というものが、ここは農地です。というものを表しているらしいのだが、これが全く機能していないのだという。

まさに消えた年金記録どころのレベルではないそうだ。

この農地基本台帳を整備し直すところから始めるべきなのだろうが、GPSの機能を用いればさほどの労力も無しに整備できるのではないか、と筆者は述べる。

そんな事業を農水省が早めに立ち上げていたら良かったのに・・。
案外、あの人気の事業仕分けでばっさりと切られていたかもしれませんが・・・。

偽装農家―たちまちわかる最新時事解説 (家族で読めるfamily book series)