読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



ハイブリッドカーは本当にエコなのか?  


頭から冷や水をかけられたようなタイトルにまず驚く。
エコ減税、補助金もね!と散々コマーシャルされているハイブリッドカー、それがエコなのか?という問いかけのタイトル。

著者は車にはかなり詳しい。
書かれたこの本もかなり専門分野に踏み込んで書かれているので、熟読の覚悟で読まなければなかなか頭に入って来ないだろう。

ハイブリッドカーは本当にエコなのか?と問われれば、そりゃエコでしょう、と誰しもが答えたいところである。
だが、筆者が言うには、ハイブリッドカーでのCO2削減効果は既存の車でアイドリングストップをするのと変らない、もしくはそれよりも落ちるかもしれないのだという。

高速道路の土日千円効果で、土日や連休には各地の観光地は他府県からの車で渋滞状態。その超渋滞の横を歩いていると、その排気ガスむんむん状態に思わずハンカチで鼻と口を覆いたくなってくるほどである。

10分待って10mほどしか進まないようなところだったら、止まっている間だけでもエンジンを切ってくれたらどれだけ、その排気ガスむんむん状態は緩和されたことだろう。アイドリングストップ、大いに賛成である。

ハイブリッド車とは何かと問われれば、自動車の内燃機関をガソリンで動くエンジンと電気で動くモーターを併用させるものなのだろう、と単純に思っていたが、その併用の仕方にもいくつもの方式の違いがメーカーや車種やその車種の世代で存在するのだった。

あまりに専門的なので端折るが、内燃機関で発電機を動かし、そこで作り出した電力をモーターに送り込んで走行する、というのが一番わかりやすい。
これについて著者はハイブリッドが活きる状況は限定される、とばっさり。

ハイブリッドが燃費を稼ぐ最大のポイントは減速時のエネルギー回収。
加減速の多いほど回収率は良く、安定走行であればあるほど回収率は低いのだという。
つまり日本の市街地などのようにしょっちゅう信号で止まったり、という道にはまだ良いが、欧米の様な混雑しないハイウェイで一定速度で走る場合にはその効果を発揮しない、というのだという。
効果を発揮しないどころか通常ならエンジン一つで済むところへモーターなどを搭載しているために車体は嵩張り、重量も200kgも重くなった分、余分なエネルギーが必要になってしまうのだとも。

著者がもう一つ言及しているのは、日本のメーカーの燃費発表の際のお受験システム。
その車の最適な状況で出した燃費を公式数値として発表していることと、それに対して何も言わないマスコミへの批判だ。

著者の言及は燃費にのみとどまらない。
その消費行動が生み出す負の遺産である廃棄物処理の問題。
メーカーたるものモノ作りの際には製品の「解体」「分別」「回収」「再資源化」を設計時から頭に入れて作るべきものなのにその視点が全く抜け落ちているのだという。
それでエコなのか?と。

究極のエコカーと言われる水素自動車に関しても、水素を取り出す際にCO2を排出する、水素を運ぶにはマイナス253度以下にして液体にする必要がある。それら製造・供給のインフラ整備にかかるコストが多大。

従って、究極は水力、風力、太陽光、地熱などの自然エネルギーを利用した発電なのだろうが、最低でも20年という時間軸で考えていくことになるだろう、ということである。
どこぞのノーテンキなお方が2020年までに90年比25%減と根拠もないまま演説してしまったがために、その党の方々は問い詰められる都度、苦しげに、産業構造が変りますから実現可能です、などと言わざるを得なくなっている姿を良く見かける。

産業構造を変えるったって、2020年ってたったの10年しか無いんですよ。
産業界の人が言うならまだしも、政治屋というのは言葉遊びで生きているんだなぁ、とつくづく思う。
昨年末より新聞では首相のそして次にはその党幹事長の政治と金の問題の記事がの一面をかざる頻度が高くなっているが、政治資金云々よりもあの演説の方が後世に与える影響としてははるかに罪深いだろう。
後年、諸外国からあの25%はどうなった、と詰め寄られたら、お得意のあの演説草稿は秘書が作りました、とでも言うのだろうか。

そんなことはさておき、
著者の言いたいことはよくわかる。

ただ、ハイブリッドが活きる状況は限定されるのだとしても、いいじゃないですか。
実際にこれまでの車よりも燃費が悪くなっているわけではないのでしょうし。
実際に著者がL当たり38kmの三代目プリウスで実験した結果、カタログ燃費より10数パーセント低かったからと言っても既存車よりははるかに燃費がいいじゃないですか。
その御指摘のお受験システムにしたって、消費者は承知の上なんじゃないでしょうか。
かつてスーパーカブがカタログ燃費はL当たり150kmだったかな?確かそのくらいだったと思うが、そんなものは最低速度でしかも一定速度で走った場合なんだろ、って誰しも思って購入していたことでしょう。
実際にはその半分の燃費しかでなくても満足していたんじゃないでしょうか。
それにおもしろいのは、スムーズな運転をする人よりも緩急の激しい、どちらかと言うと運転の荒い人の方が燃費効率が良くなるという点でしょう。
これまで排気ガスを、巻き散らかしていた人ほどハイブリッドを利用するメリットがある。

何より自らアイドリングストップをしなくったって観光地の排気ガスむんむん状態が無くなるなら大歓迎じゃないですか。

今や日本経済は疲弊しきっている。
折りしも、本日1/18の日本経済新聞朝刊の一面記事の中に「ハイブリッド トヨタ、倍増100万台」の見出し。

当面は自動車、家電に再度、産業の牽引車になってもらわなければ、もっと疲弊してしまうでしょう。

この本を読んだからと言ってハイブリッドを買うのはやーめたって!っていう単純発想をする人ばかりじゃないでしょうが、あまりネガティブな側面を強調しすぎると日本経済は終焉してしまいかねませんよ。

著者がネガティブな指摘を行うために書いたとは思っておりません。
キチンとご自身で分析した結果を書いておられる。
その分析結果を踏まえて自動車業界は新たな技術革新を図れ、という業界への叱咤激励
なのでしょう。

技術者たちがこういう著者のような指摘者に対して、じゃぁこれではどうだ、とばかりにまた次の技術革新へと一歩を踏み出してくれることを期待して、結ばせてもらいます。

ハイブリッドカーは本当にエコなのか?  宝島社新書  両角岳彦著



製鉄天使


『製鉄天使』ってなんというタイトルなんだろう。
『鋼の天使』でも『スチール・エンジェルス』でもない。『製鉄天使』。
などとと思いつつ、読み始めてみて、なんとそういうストーリーなのか、と全く想像もしなかった内容に驚いた。

中学生が暴れて学校崩壊と言われていたのは1980年代だったのだろうか。
暴走族が走り回り、女性だけのレディースなどが闊歩していたのも同じ頃がピークだったのだろう。

そういう荒れた中学へ入学した一年生女子が入学したその日にいきなり彫刻刀だけを武器にして50人を相手に乱闘する。

それがなんと舞台は鳥取県のとある村。
今やゆとり世代以降の中学生や高校生は鳥取県や島根県と聞いても、それどこ?と言われるご時世らしい。
鳥取や島根はもはや他の都道府県の平成の中高生には存在しない地名になってしまった。

そんな鳥取を舞台にしてレディースのグループを立ち上げたのが先の中学一年生。
グループを立ち上げてたったの三日で鳥取県を制圧してしまう。
そのグループの名が「製鉄天使」。
おそらく作者は鳥取にかなりの思い入れがあるのだろう。

まぁ、小説というよりマンガを読み物にしたものと思って読む方がよろしいだろう。

これはライトノベルというジャンルのものなのだろうか、重厚な装丁からは想像出来なかった。それにライトノベルというのは、てっきり中にマンガチックな挿絵があるものを指しているものと思っていた。

充分荒唐無稽の話でもあるし、製鉄所の娘だから鉄には滅法気に入られ、鉄をあやつれば自由自在、どころか鉄の方が勝手に動いてくれる。

ボーイと呼ばれるオートバイも呼べば飛んで来るし、もうなんでも有りの世界。

その彼女が中国地方制圧に向けて、島根を制圧、そして岡山制圧へ、と・・・。
とまるで戦国時代の武将そのもの。

とまぁ、いささかマンガチックに過ぎる感は否めないが、なかなか楽しめるお話でもある。
鳥取県人ながら何故か土佐弁と思われる言葉を使う主人公。

なかなか格好いいではないか。

こういうマンガ的要素をふんだんに盛り込みながらも作者としては、こういう悪いやつは外見もちゃんと悪かった時代を回顧しているのかもしれない。

丁度、暴対法施行前を懐かしむ人たちの様に。
暴対法施行前はヤクザ屋さんの事務所にはちゃんと○△組という看板が有り、あぁここはそういう場所なんだ、と皆がはっきりとわかり、出入りする人を見てもはっきりと、それとわかる人たちで、わかり易かった。
それが施行後には○△組という看板は消え去り、○△産業だの○△興業だの○△株式会社だの、出入りする人たちもネクタイなんか締めてしまう様になって、本業は地下へ潜ってしまい、全く表向きはサラリーマンと変らない。

同じように族が幅を利かせていた時代からだんだんと普通の大人しいガキ共が実は陰湿なイジメをしていたり、弱い者が更に弱い者を苛める、表面はクソ真面目な顔をしながらも。それは一部この本の後半にも触れられている。
そういう陰湿な時代よりもはるかに族世代の方がわかり易かったんじゃないか、それを作者はうったえたいのかもしれない。

この子供達のフィクションの王国は寿命が19歳と決められている。
19歳にならなくとも大人になったら引退。

永遠に子供のままでいたい、フィクションの中にいたい。
そんな彼女達の声をマンガチックな小説の場を借りて表現したものなのだろう。

最後に、この物語には語り部が登場する。
暗い閉じ込められたような場所で語るこの人物は誰か。
それは一番最後まで読めばわかります。

製鉄天使 桜庭一樹 (著)



フランスジュネスの反乱 


フランスの高度成長期は日本のそれよりも二まわりほど早かった。1970年代の前半のオイルショックを日本は乗り切ったが、フランスはオイルショックを境に高度成長期の終焉を迎えた。
そしてその後の日本のバブル期にフランスは大量失業時代を迎えていた。
第二次世界大戦後の「栄光の30年」に労働力を補うために大量の移民を受け入れたが、オイルショック以降は就労を目的とする移民の受け入れは停止され、フランスに残された移民たちはフランス社会のなかの異質分子、サルコジに言わせると「社会のくず」「ごろつき」と言われる存在になってしまう。

パリ郊外の移民の人たちが多く住むシテ(団地地区)では移民世帯は失業と貧困にあえぎ、子供たちの唯一の楽しみはサッカーをすること。
その普段サッカーをしている少年たちが、誤って工事現場に立ち入ってしまったことが惨事を招いた。通報を受け、大量の警察官が武装して出動。
恐れを為した少年たちはその場から逃げるが、逃げる途中で二人のサッカー少年が命を落としてしまう。
その二人の少年の死を境に暴動が起きる。
二人の死は単なるきっかけだったのだろう。
その暴動の四ヶ月前にあるシテで少年の乱闘事件があった際にサルコジ(当時内相)が飛んで来て「このシテをカルシュール(大型放水機)で一掃してやる」と言い放ったのだという。
、暴動はやがてフランス全土へと広まり、首相は非常事態宣言を宣言し夜間外出禁止令を発令する。
ほんの2005年という数年前の秋のことである。

この本でもう一つ取り上げられているのが、2006年に施行されたCPEと呼ばれる初期雇用契約に関する施策に対する若者達の反乱。

CPEとは、26歳未満の若者を雇用した企業は3年間にわたって社会保障負担を免除。実習期間をこれまでの3ヶ月から2年間に延長。
この2年間の期間中、雇用側は理由を問わず解雇することを認められるというもの。

経営側にとってこんなにおいしい施策があるだろうか。
理由無き解雇が合法化される。
雇用される側は2年間の間、いつも解雇の不安におびえることになり、やがて2年を経ることなく解雇されたらまた、更に2年間を同じ不安を持ちながら、働くことになってしまう。

ここでも大元の問題は雇用問題。高い失業率が原因なのだろう。
折りしも、日本でいうところの団塊の世代にあたるベビーブーム世代が退職を迎える最中、時の首相は失業率を最悪時の12%から9.6%になったと誇り、この施策で失業率は改善するだろう、との見通しを発表する。

これに怒った若者達は、無暴力のデモ活動を起す。
この本の大半のページはこのデモ活動の描写に費やされている。

フランスの大学という大学で、そして高校までもデモが起き、これもまたフランス全土に広がる。
100万人を超える規模のデモ活動というのは、途轍もない規模である。

この本には著者の思い入れもあるだろうが、実際にジャーナリストとして自分で取材したもの、新聞資料に基いたものを元に忠実に事件を再現しようというものである。

しかも2005年、2006年とほん数年前の出来事。

方や、昨年、一昨年には日本ではランスの子育て絶賛の本も何冊か出版されている。
それらの本が絶賛するフランスの出生率が高いことを見本にして、現政権のマニュフェストは作成され、今年より施行されて行くことになるのだろう。

だが、それらの本にはフランスの抱えるこのジュネスの反乱に見られる深刻な問題は一切ふれられていない。

折りしも本日は成人の日だ。
お昼のニュースではデズニーランドで大はしゃぎする着物姿のゆとり世代真っ只中の新成人たちが映されていた。
この本のサブタイトルは「主張し行動する若者たち」。
日本ではよく「主張し行動する若者たち」のような活動は社会の閉塞感のために居なくなってしまったと言われて来たが、どうも「閉塞感のため」とも思えない映像なのだった。

フランス ジュネスの反乱―主張し行動する若者たち  山本三春著