読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



ROCKER


主人公から「エイくん」と呼ばれる高校教師。
こういう高校教師最高だと思います。
何と言ったって相手にしているのは高校生。
その高校生の素行がどうだろうが、本来そんなもの高校の先生の知ったこっちゃないだろうに。
何か事ある毎に教師と学校がマスコミに平謝りする風景をあまりにも見慣れてしまっていることに気がつく。

この「エイくん」は、そういう意味では本来の高校教師なんじゃないのだろうか。
部活動の監督を依頼されたって、そんなことが俺の知ったことか!と一蹴。

部屋にはエッチビデオが散乱していようが、そこへ高校生が訪ねて来ようがおかまいなしだ。

それでもなんだかんだとストーカーをしている高校生が結局真っ当な高校生になってしまうのだから、プライベートはノータッチなようで、結局その影響力が発揮されている。

主人公はその高校教師のイトコにあたる女子高校生なのだが、この人の個性も強い。
人との間に壁を作ってその中には容易に立ち入らせない。

この主人公と「エイくん」との掛け合いがテンポも良くなかなか愉快で楽しい。

「人に教えてもらうことに意味はない」
などとギターを教えることをいろいろな屁理屈をこねて拒否したりするのだが、案外に正鵠を得ている発言だったりする。

主人公もまだ若いので将来何を目指すのか、などの考えはない。
この高校教師も何かを目指しているわけではない。
せいぜい場末の喫茶店のマスターになれればいいぐらいに思っている。

そこへ異質な登場人物が現れたりする。
女性格闘家。

「何かを目指す人間というのは、やっぱ違うんだよ」
と高校教師。

この人、発言だけを聞いているといい加減極まりないように思えてしまうのだが、いつもツボをちゃんと押さえているのには感心する。

結婚詐欺師を見抜いてしまったり・・・etc。

ちなみにこの本、ポプラ社小説大賞優秀賞受賞作なのだそうだ。

この本を最後まで読むとそのあと味の良さと共に気がつかないうちに「スタンド・バイ・ミー」を口ずさんでいる自分に気がついたりする。

ROCKER  小野寺史宜 著 第3回ポプラ社小説大賞優秀賞受賞作



ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士  


スウェーデンのベストセラー ミレニアムの第三弾。
第一弾は密室探偵者っぽければ第二弾も探偵者っぽかった。ところがどうだ、この第三弾は。
政治の世界に切り込んでいるんじゃないか。
公安という組織、これは公安と訳されているが、原本はどうなのだろう。
CIAやKGBやイスラエルのモサド、韓国のKCIAの様な組織は規模はどうであれ、どこの国にも類似の組織はあるのだろう。
北鮮のように海外へ出る人間全てが諜報員というような国もある。

中にはアメリカのように、じゃんじゃん小説、ドラマ、映画に出て来るような国があるかと思えば、そういう存在があることすら一切タブーになってしまっている国まで、様々。
それでも小説でそれに触れようというのはおそらく大変なことなのではないのだろうか。オロフ・パルメという首相は実在し、実際に暗殺されているし、トールビョルン・フェルデーィンという実在のしかも4~5代前の首相をそのまま登場までさせて、ミカエルは証言を取っている。
これって日本で言えば、小説の中で中曽根首相に外国のスパイを亡命させましたね、って証言を取っている証言を取っているようなことじゃないだろうか。
もっとも日本の総理大臣その4~5代の間になんとまぁ、10数代代わっているのだが・・。
ここ何年かの一年毎の首相交代もお粗末だったが、今度の方は例の5月までに決める、の5月を待つまでもなく消えてしまうんじゃないだろうか。
となると一年も持たなかったことになるか・・・。どんどん軽くなるなぁ。日本の首相は。

余談はさておき、訳者は主人公のミカエルと作者をかさねて見ている。
ということならば、スティーグ・ラーソンはこんな危ない取材をしていたということを暗示しているのだろうか。
危ないことをしているからこそ、本来の妻の立場の人も籍には入れられていないのだという。
スティーグ・ラーソン自身はこの一連のミレニアム三作が世に出る前に亡くなってしまい、この爆発的なヒットを当のご本人は知らない。
籍に入っていなかったがため、共にやってきた妻の立場の人にもその印税やらの遺産を受け継ぐ立場にないのだという。
またまた、訳者によると実は第四作目も執筆していたのだという。

どう考えたって、この三作で完結してしまっているのだろうとは思うのだが・・・。
大金持ちになった後のリスベット・サランベルにはもはや興味は湧かないし。

それでも第四作目があるとすればやはり気になる。
絶対に買って読むんだろうな。

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士  スティーグ・ラーソン 著 ヘレンハルメ 美穂 翻訳 岩澤 雅利 翻訳



特命捜査 


この作者、かつて警察の鑑識とかそういう組織にでも居た人なんじゃないのだろうか、などと思わせるほどに警察内部の言葉などに詳しい。
死亡推定時刻の算定の課程、射撃残渣などの箇所も全く外部の人間が描いたとは思えないほどに描写が精密で、その臨場感があふれる。

招き猫の焼き物の工房を営む初老の男性の死体。物語はそこから始まる。
その被害者は実は10年前に公安を退職した人物だった。

その10年前に起こった出来事というのが、終末論を唱えているカルト集団が、自ら武器を製造して蓄え、最後には警察に施設を囲まれた中、教祖をはじめ集団自殺をしてしまう。
その残党のグループを根こそぎ、片付けたのが公安だった。

なんともあのオウム事件はいろいろな小説に影響を与えているらしい。

その公安の捜査官と警視庁、警察庁の刑事というのは根っから相性が悪いらしい。
刑事達は公安をハムという蔑称で呼び、
公安の捜査官は選民意識が強く、刑事達を「ジ(事)」という蔑称で呼ぶ。

この小説、そういう警察ならではの用語が散りばめられ、麻生幾の『ZERO』なども彷彿とさせるようなタッチで中盤から終盤の手前まではまではグイグイと引っ張り込まれるのだが、終盤がどうもなぁ、と残念でならない。

もちろん、結末を書くような愚は犯さないが、おそらくこれとこれは繋がっていたんだろうな、と徐々に想像を逞しくしていたものが、え?それとこれも実は繋がっていて、これとあれも実は繋がっている?ご都合主義と言う言葉を使いたくは無いが、何やらコナン探偵ものみたいなくっつけ方をしていかなくてもいいじゃない、と言いたくなってくる。
小説の中で「事実は小説より奇なり」を使うのはいかがなものなのだろう。

とは言え、そのような感想を持つのは少数派だろう。
何と言ってもそれまでの緻密な筆致があるだけで、まぁ充分に楽しめると言えば楽しめる小説である。

特命捜査  緒川 怜 著 光文社