読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



沙高樓綺譚


うーん。うならされてしまいました。

さしづめ料理でいえば、通常は前菜があって、スープがあって、オードブルがあってサラダがあって、デザートでしめくくる、って言うところなのでしょうが、今回の五品、全部オードブル。しかも量は多すぎず、五品を食して丁度腹満杯、といったところでしょうか。

さすが名シェフ!とうならされてしまいました。

最初はなんだか博物館の刀剣の鑑定話から始まってなんのこっちゃ、と思ったのもつかの間。

「沙高樓」という高層ビルの最上階に造られた空中庭園とラウンジという奇妙な場所が登場した途端、お、いよいよ浅田名シェフの登場だな!
とその思いそのままに期待を裏切らないところが名シェフの腕前なのです。

沙高樓とは各界で名をなし功をあげた名士たちの集い。
そこでは一人一人が自らの秘密の打ち明け話をするのですが、語られた事は決して他言することのできないという掟があります。

「お話になられる方は、誇張や飾りを申されますな。お聞きになった方は、夢にも他言なさいますな。あるべきようを語り、巌のように胸に蔵うことが、この会合の掟なのです」
と、沙高樓の主人である女装のマダムがの講釈からそれぞれの一品は始まります。

◆「小鍛冶」
刀剣の鑑定にまつわる話。
足利将軍家より刀剣の鑑定の家元として召し抱えられてから600年34代日本の刀剣鑑定界の首座を維持している徳阿弥家。
その徳阿弥家を継いだ34代目が語ります。

宗家である鎌倉徳阿弥家、その分家である麻布一の橋家、京都西の桐院家、大阪谷町家の四家が年に四度集り、総見という鑑定を行う。
その鑑定で認められた刀剣には「折紙」というものがつき、「折紙つきの何がし・・」という言葉もこの家のしきたりが発端なのだと言う。

その四家の名鑑定をして、これぞまさしくと「折紙」をつけるに相応しい刀剣がこの現代に作られていた・・・。

江戸時代の書家で工芸家でもあり画家でもあった総合芸術家とも言われた本阿弥光悦の本阿弥家も元はと言えば足利将軍家の刀剣鑑定の家だった。
モデルはそこだったのかもしれません。

◆「糸電話」
精神科医の先生が登場。
上流階級の子弟だけが入学する小学校。
サラリーマンの初任給ほどの月謝を
とはいえ没落していく家も当然ながら存在し、没落した家の子は公立へ転校して行く。
仲の良かった同級生の女の子もその一人だった。
人生、偶然の再会というものはままあるものなのですが、逆に言えばそうそうあるものでもありません。
ですがその女の子とはその後、何度も何度も偶然の再会をしてしまう・・という奇妙なお話です。

◆「立花新兵衛只今罷越候」(罷越候:まかりこしそうろう)
浅田シェフの最もお得意の素材の料理といったところでしょうか。
新撰組が名をあげた池田屋事件。
京都御所に火を放ち、その混乱に乗じて孝明天皇を長州へ連れ去ろうと言ういわゆる尊皇攘夷派のクーデターを実行直前に新撰組が嗅ぎつけ、それを単独で阻止したのがこの事件。
それを戦後間もない時期に映画化しようというそのカメラマンが語り手。
池田屋のセットは実物そっくりに作り上げられ、天井板一枚すらおろそかにしない完璧なセット。
そこへ現れるのが肥前大村藩士、立花新兵衛と名乗るエキストラにしてはやけに時代がかった男。
この話はこれ以上ここで語ってはいけませんね。
読む楽しみが無くなるというものです。

◆「百年の庭」
明治の元勲の一人が作らせたという軽井沢の紫香山荘という世界一美しい庭園。
その庭園を親の代から庭師として世話をする老女。
庭園のオーナーは世代代わりをするが、彼女は生涯を庭園とともに過ごす。
その現オーナーがガーデニングの女王と呼ばれる女性。
この話、ちょっと怖いです。

◆「雨の夜の刺客」
三千人の子分を抱える大親分。
その大親分も元はと言えば集団就職で上京して来た口。
それからヤクザの三ン下になってからのある事件の真相を語ります。
その事件に触れると読む楽しみが無くなるというものです。
とにかく序列の厳しい世界。
常盆の時に三ン下は外での見張り役。その上は下足番。で、その上は中番という接待役。さらに上が客の接待をする助出方(じょでかた)、さらにディーラー役の中盆、そして堵場を仕切るのが代貸・・・。
そんな語りといい、コルト・ガバメントはヒットマンには向いていても親分のボディーガードには小口径のリボルバーが向いている・・・。
などと言う超専門的な語りは、やはりこの料理素材も浅田シェフのお得意素材の一つだからなのでしょうか。

いくら沙高樓のマダムが「夢にも他言なさいますな」「それが掟なのです」と念を押したってこれだけの話を聞いてしまってそれを黙っていろ、というのは酷な気がします。

また、「糸電話」の様に打ち明け話的な要素のあるものや、「立花新兵衛只今罷越候」みたいな聞く人はどう受け取っても構わないが・・という様な話であれば話し手も語ってしまうかもしれませんが、「小鍛冶」といい「雨の夜の刺客」といい、絶対に語られる事などはありえないだろう。おそらく語り手は本来なら墓場まで本人の胸の内に秘めたままにしておくのだろうな、という様な話もあります。

浅田シェフのお得意の分野だろうと思われる素材もあれば、おそらく初めて手がけたのではないかと思われる素材もあります。

刀剣などはどれだけご勉強されたのでしょうね。

庭園についてだってそうです。
それにどれもこれも一つ一つの言葉に重みがあるのです。
到底、少々学んだ、人から話を聞いた、というレベルではないように思えます。
そこには浅田シェフの思いが乗っかっているのです。

一体このシェフ、いくつ引き出しを持っているのでしょうね。

沙高樓綺譚 (さこうろうきだん) 浅田次郎 著



冷たいプロポーズ


この本はタイトルだけで買ったわけではないですよ。
本の裏表紙を見て買ったのです。
十七歳のころから家出を繰り返すどうしようもない社長令嬢と結婚してくれたら次期社長の座を譲る、と社長に話を持ちかけられる有能な社員。

でタイトルが「冷たいプロポーズ」とくれば、なんかどろどろの話を期待してしまうではないですか。

アントニオという社員は、仕事も有能で美男で女にモテモテで女ったらしとウワサされる。
家出を繰り返す社長令嬢のペイジはとんでもないアバズレと思われている。

そのとんだアバズレをあばずれを押し付けられたはずなのにそれぞれは初対面から相思相愛で、女ったらしもアバズレもそれぞれがもしくは周囲が勝手に思い込んでいただけの事だった・・・なーんていうなんともあまーい、あまーい恋愛小説。

さすがにオールジャンルOKだと思っておりました自分にもちょっとこれはいくらなんでもあますぎました。

案外、映像の世界ではこういうのがうけるのかもしれませんね。

ということではやばやと失礼します。

冷たいプロポーズミランダ・リー 作 山本瑠美子 訳 (ハーレクイン・ロマンス・ベリーベスト8)



7月24日通り


どうにもねぇ。
どうもタイトルを見ただけで本なぞ買ってしまいますと、こういう思ってもみなかった本に出会ったりしますね。

自分はこういうポジティブでない女性が主人公の本というのはあまり趣味には合わないのですが、と思いつつも・・どうしてでしょう。結局読み出したら最後まで引っ張られてしまいました。

吉田修一っていう人、男性なんでしょう。
それとも男性のペンネームを持った女流作家だったりして・・。

どう考えたって女性が書いたとしか思えないのは自分の偏見でしょうか。
どうしたらここまで女性に成りきれるのでしょう。

自分の住んでいる街を密かにリスボンになぞらえて、ジェロニモス修道院前のバス停でバスに乗り、ガレット通りにある会社へ出勤する。
地元の公園がコメルシオ広場に、海沿いの県道が7月24日通りに、地元の駅が中央駅に、と全ての場所がこの主人公によってリスボンの地名に置きかえられて語られて行くので、日本の地方都市が舞台のはずなのに何か全く違う風景を想像してしまいます。

それにしても何故ポルトガルのリスボンだったのでしょう。
ポルトガルと聞くと鉄砲伝来を思い出してしまう。
なんと単純。
リスボンと言えば壇一雄が愛した街ではなかったでしたっけ。
壇一雄はもう完璧にリスボンに溶け込んでいましたね。
普通の会社勤めなら働いているはずの平日の昼間に自前の手料理のネタなどを買いプラプラと歩き回るものだから、魚屋のおじさんなんかにも人気者になって街を歩いているとそこら中から気軽に声をかけられたりしていました。
気さくな人柄の多い街で壇一雄を読んでいるとリスボンに住みたくなってしまう人の気持ちが良くわかります。
リスボン、リスボンと書きましたが、壇一雄の愛した街は正確にはリスボン周辺の街だったかもしれません。
壇一雄の本は大方読みましたが、この本との共通性は皆無でしょう。

それにこの女性、海外旅行はハワイ以外は行った事がないという事が読んで行くうちにわかってくる。

そうすると余計に何故、リスボンだったのだろう、という疑問が湧いてくるのですが、そういうところが作者のうまいところなのでしょうね。

行った事もない街を想像して自分の街にそっくり当てはめてしまうなんてなかなか男の主人公にはそうそうさせられないですよね。

この女性、聞き手上手で相談されやすいタイプ。
取り立てて自分を素敵だとは思っていない。

それに対して彼女の弟は中学、高校と女子からの人気者で大学生になった現在も会社の後輩から慕われている。

同じバスに乗っただけで後輩が大はしゃぎをするほど。
それだけ小さな街なのでしょう。

それにしても初めて告白されたのが大してかっこいい男で無かったというだけで悔し涙にくれるものなのでしょうか。

このあたりは男性には全く想像のつかない世界なのであります。

カッコいいはずの弟が付き合っているのがみすぼらしい不似合いな女の子だと知った時の怒りに似た心境もも男性にはおそらく全く想像のつかない世界なのであります。

その不似合いな女の子に自分をかさねてしまう気持ち、これも男性には想像のつかない世界なのであります。

しかしながら、世の中アイドルやモデルばかりじゃあるまいし、自分を美人で素敵な人と思い込んでいる人ばかりではないでしょう。
という事はこの本は世の中の大半の女性の気持ちを代弁しているのかもしれません。

男性にはなかなか理解しづらいですが、女性が読めばかなり感情移入してしまうのかもしれませんね。

この本、既に映画化されていたようです。
映画は見ておりませんが、男性にも見てもらうためにはおそらくかなり脚色されたのではないか、などと思ってしまうのであります。

7月24日通り 吉田 修一 著