読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



ラッシュライフ


伊坂幸太郎続きになってしまいました。
「重力ピエロ」の感想はちょっと手厳しすぎますよね。
クロマニヨン人とネアンデルタール人の芸術論は壁の落書きを消す仕事をしているハルの事を語るには必要だったのでしょうし、ピカソの死んだ日に生まれたハルにはピカソの話は欠かせない。ガンジーを尊敬するという生き方を語る上でもガンジーの話はあった方がいいでしょう。
それぞれの必然があって登場させているのでしょう。
バタイユを語っていた探偵ならぬ泥棒さん、このラッシュライフにも登場しているんですよ。
それより何より、文化と書いてハニカミというルビを振る云々の太宰の文章がこのラッシュライフに出て来た時にはさすがに驚きました。
なんと言う偶然!

さてこのラッシュライフという話、かなり凝った作りであります。
異なる登場人物が異なるシチュエーションで登場して来るケースは本や映画では良くある事なのですが、それらがどこかで合体して行きますよね。
それまでの間、読者はかなりじれったい思いをするわけですが、この本の場合、そのじれったさをなかなか解消してくれないんですよ。
本の半ばまで来てもまだ掠る程度。
「重力ピエロ」で登場した泥棒さんは、後々盗まれた人が自分に恨みを持った人間の犯行ではない、と安心させるためにキチンといくらどこから持って行きました、というメモを置いて帰る、という几帳面な泥棒さん、しかも百万の札束がいくつかあってもその中のニ、三十万を抜くだけに留めるという謙虚な泥棒さん。
通常、百万の札束がいくつかあった中のニ、三十万ならメモなど残さなくてもまさか泥棒なんてと、思い違いか何かだろうで、済んでしまうでしょうに。
実際にそうやって、同じ所へ繰り返して入る手口も実際にあるのでは・・と思ってしまいます。
その泥棒さんの話が出たかと思うと、場面は変わってリストラされて失業者となり連続40回も就職に失敗した男の話、はたまた精神科医の女医と現役のサッカー選手が共謀して殺人を企てている話、かつて連続犯罪の謎を解き明かした事で一躍名探偵と話題になった人とそれを神と崇める新興宗教の信者の様な人達の話、金で買えないものは無いと考える大金持ちの画商・・・
それぞれが最初は全く繋がっていない。唯一仙台という場所だけが繋がっているものが、いつ繋がんだろう、いつ繋がんだろうと思っているうちにそれぞれの話が進行して行き、最終的には全てが繋がるのは一番最後。
しかも個々の話は時間差があって、ある人の話は別の人の話の数日前に有った事を引き継いでいたり、またこっちの人の話はその数日後を引き継いでいたりする。
そしてちゃんと全部繋がっているのです。
なんともはや凝った作りなのです。
途中までのじれったさはさておき、充分に楽しませてもらいました。
こういうのもやはりミステリーと言うのですかねぇ。

ラッシュライフ 伊坂幸太郎著



重力ピエロ


知り合いの中学生が読んでいたのが、この本を読むきっかけ。
伊坂幸太郎という人の本を読むには初めてでした。
カテゴリで言えばミステリなのだそうですが、果たしてミステリの範疇に入るのが妥当なのかどうか。私にはわかりません。
読み始めは屈折した青年を描くシリアスな物語かと思ってしまいました。
ところが、さにあらず。
主人公とその弟の会話はテンポも良く、軽いタッチでなかなかいい感じじゃないですか。
兄弟って普通ここまで仲がいい事は稀ですよね。大抵はもっと仲が悪い。
弟の方が才能豊かなだったり、外見が良かったりするのは良くある話で、それを兄の方が認識してしまうと、もう兄にとっての弟はライバルでしか無く、弟を労わるどころか、貶める事にやっきで、昨今では殺意にまで発展しかねない。
嫉妬心を持たない兄の「私」はよほど性格のいい人なんだなぁ、と。
この本を紹介してくれた知り合いの中学生もそうなのだろうか。
確か弟がいると言っていた様な気がする。
おそらくその中学生も弟に優しい人なのだろうなぁ。
私の知る限りにおいては、兄が弟に優しい、というケースはよほど年が離れているか、兄の方が弟になんらかの同情を持って接しているか、なのではないか・・・などと言うのは少々ひねくれ過ぎか・・・。
実の父を持った兄とレイプ犯の弟の関係で且つ弟は常にモテモテで、才能豊かだったとして、この物語の様な環境が生まれるだろうか・・弟の出生の秘密を知って尚、自分より才色兼備で年齢も近い弟がいたとしたら・・・。
弟をレイプ犯の子供として軽蔑し、また軽蔑された弟もまたレイプ犯の道を歩むというのが世間一般なのかなぁ・・なんて思ってしまうのは、少々くだらないニュースに毒されているのかもしれませんね。
素晴らしい兄弟愛であり、素晴らしい親子愛の話だと思います。
兄弟の会話でもしかり。軽快なテンポでやり取りしている分には漫才の様な面白さがあるが、途中から必ず知識の宝庫のやり取りになる。
作者は法学部出身という。それにしては専門外の遺伝子の事については良く調べて書いていらっしゃる。作家としては当たり前かもしれませんが・・・・・。
村上龍氏も専門外のウィルスの事を散々調べあげて執筆しておられる。
この話は遺伝子とは切っても切れない話なので、遺伝子についてとことん突っ込んで行くのはいいでしょう。
伊坂さんと言う人なかなか博学多才な方なのだろうと思います。
読んでいるこちらの知識が不足しているんだ、と言われるかもしれませんが、どうなんでしょう。やはりちょっと知っている事は書かないと気がすまないのか、あまりにその豊富な知識を散りばめ過ぎているのではないでしょうか。
探偵屋さん(と言うより本業は泥棒屋さんかな)バタイユを語らせてみる必然性が物語の中にあったでしょうか。
職場で女子職員と海外旅行の話をしながら「モロッコへ行きたい」と聞いている瞬間に
芥川龍之介の「トロッコ」を思い浮かべているヤツなんています?
「そんなヤツおらんやろー!チッチキチー」とどこかから聞こえてきそうです。
あの場面は作者ならではのダジャレのつもりだったのかもしれませんが・・。
クロマニヨン人とネアンデルタール人の芸術論もいいでしょう。
ピカソもガンジーもバタイユも井伏鱒二も太宰も芥川もいいでしょう。
なるほど、中学生には「知的な読み物」という印象なのでしょうね。
でもひけらさせばひけらかすほどにシラケてしまう読者もいると思います。主人公の大好きな「走れメロス」の著者の太宰がそういうひけらかしをしているでしょうか。
私個人の意見としては遺伝子一本で貫いた方が良かった様な気がしますが、それは皆さんそれぞれのご意見もあるでしょう。
最後に私の大好きな文章をここに残しておきます。
私の中学時代に気に入ってノートに書き写していた、太宰が河盛好蔵宛てに送っている書簡の中の文章です。
『文化と書いてハニカミというルビを振る事、大賛成。
私は優という文字を考えます。人偏に憂うると書いています。
人を憂える、ひとの淋しさ侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、やさしい人の表情は、いつでも含羞(ハニカミ)であります』
単なる書簡ですよ。お手紙。河盛さんが太宰の死にあたってこの文章を発表しなければ世に出ていないのです。
この文章をテーマに何か書けてしまいそうではないですか。
知っている事、読んだもの何から何まで関係無い舞台に引き上げて書いてしまう作家と自分の文章で且つ世に出ないものにこれだけ思いを込めて書く人。いや比較する事そのものがおかしかったか。
こう書いている私もひけらかしをしているじゃないか、と言われそうですのでこのあたりで終わりにします。

重力ピエロ 伊坂幸太郎著



ALWAYS 三丁目の夕日


読みものでは無く、少し前の映画です。コミック本の映画化やドラマ化、最近こういうパターンが多いみたいですねぇ。
三丁目の夕陽、ご存知の「貧しかったけれど、明日への夢が有った昭和の日本」が謳い文句のお話です。
昭和30年代の東京が再現されていて、見るものにほのぼのとした温かみを残す映画です。
自分も昭和の人間です。昭和30年代という時代、映画の宣伝が言う様に確かに携帯もパソコンもテレビさえも無かったかもしれない。
でもそんなものが何か「豊か」の象徴となるのでしょうか。
自分の昭和30年代と言ってもまだ幼少でしたので、昭和の三種の神器が目の前に現れてびっくりしたり、わくわくしたり、という体験はありません。この映画の中でのそういう体験はまさに自分の父親、母親が味わった事でしょう。
それでも今ではゴミゴミとした街になってしまいましたが、自分の記憶の中の大阪の昭和には、至る所に田んぼがあり、小川があり、池がありました。ふなが、おたまじくしが、カエルが、どじょうが、へびがいたのです。夏には蛍もいました。
自然のことだけではありません。
阪急梅田駅は今よりはるかに荘厳な雰囲気を持った北大阪の玄関口の駅でした。
阪急百貨店は今よりもはるかに高級な場所でした。

結局「豊か」だとか「貧しい」というのは心の問題なのでしょうね。
あのわくわくしていた時代。
わくわくできる気持ちを持てる時代こそ、真に豊かな時代なのではないかと思った様な次第です。

ALWAYS 三丁目の夕日 原作:西岸良平