読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



断層海流


今でこそ、韓流ブームで韓国のドラマ俳優などがキャー、キャー騒がれる世の中であるが、ほんの10年ほど前の1990年代ではまだこの様な風潮が残っていたのであろうか。
これらについては在日の視点でこそ書けるものであり、「日本には日本人しかいないもの」という世界に稀な閉鎖的な国民である日本人の視点ではなかなか見えてこない問題であろう。
不動産業界を自力でのし上って来た木村社長とその妻、そして金持ちでわがままし放題だった、一人娘。この一人娘に対して母親の放つ言葉は強烈である。
その目、あんたのその目はお父さんにそっくりなのよ。韓国人の目なのよ。

私には、在日韓国人の友人が多くいるが、彼らからは梁石日が生涯抱えている様な、この重苦しさは感じた事も無い。
実にあっけらかん、としたものである。
それは表面上だけの話だと言う人は言うかもしれないが、やはり偏見の様なものは存在しない。

断層海流にては北鮮の経済特区の開発のくだりがある。
レアメタルを求めて、アメリカ、中国、ロジアがその資源を手に入れ様とする中、日本も遅れてはならじ、と政治家が動き始める。
まさに、ウラン資源を中国が独占しようとしている現在を先取りしている。

ただ、読後感だけを言うと、なんだか物足りないのである。
フィリピンから来たマリアは5000億円の入ったボストンバッグを抱えて事故の高速道路の横に立ったまま、このストーリーから消えて行った。
最期のレアメタルをめぐっての北鮮とのやりとりはどうなるのか、北鮮で生きていると言われた母との遭遇は?
これからまだまだクライマックスを迎えるのかと思っていた矢先に、終焉を迎えてしまった観がある。
全て、読者の想像に任せたよ、という作者の声が聞こえて来そうだ。

でもこれはその同時代で続きを書いて欲しかった。
2005年の現在での続きでは、あまり意味が無い。



村上龍映画小説集


前回村上龍映画小説集について書くはずの人間が途中で放り出してしまっているので、代わりに書いてみようと思う。
映画小説集の登場人物は18歳~22、23歳といったところだろうか。
丁度、その年ぐらい時、私は居を転々とする生活を送っていた。
10数箇所引越しをしたと思う。元来、引越しが好きでもある。
環境変化を非常に好むのである。
一度は吉野屋の店長と親しくなり、吉野家の店の近所のアパートを二人で借りた。
家賃・保証金は折半である。
そのアパート、不動産屋が紹介する時には部屋に電灯がついてなかったので、わからなかったが、いざ借りてみると、壁紙がはがれまくっており、その中を見ると壁が真っ黒けになるぐらい、うじゃうじゃと黒い虫がいた。
同居人が吉野家の店長だった事もあり、毎日三食全て吉野屋の牛丼だった。
来る日も来る日も吉野屋の牛丼を食べたが、これがまた飽きないのだ。
逆に食べない日などを作ると牛丼が恋しくてなくなってしまう。
吉野屋の牛丼にはひょっとしたら中毒症状を起こさせる何かが入っていたのかもしれない。
余談であった。
当初、その店長と二人で住み始めたのだが、友人がまず泊りに来る様になり、しばらくするとその友人の友人が泊りに来る様になり、またまたしばらくすると、友人の友人の知り合いが泊りに来る様になり、しまいには知り合いの知り合いだか、ひょっとしたら誰も知らないのかもわからない様な連中の溜まり場になってしまった。
泊りに来た当初は壁の虫を見て、一旦は気持ち悪いと言い出すのだが、皆しばらくすると忘れてしまうらしい。これも誰も退治しようとはしない。放置したまま。
そんな状態がどのぐらい続いたのだろう。
私はある日、そこを出る事にした。
特に深い理由は無い。単に飽きただけなのである。
店長に保証金の返金分は放棄する旨だけを伝えて、そこを出る事にした。出ると言ったって引越し荷物などは無い。
単車一台の荷台に積めるバッグが一つあるだけだ。
そこから何ヶ所か引っ越しを繰り返し、三畳一間の小部屋を借りた。
普通の家であれば入り口を開けると玄関がある。
その玄関だけが住まいだと考えてもらうとわかりやすい。
引っ越しを繰り返したアパートは皆共同便所で風呂などもちろん無い。
だが何故か、水道とガスだけはどの部屋にも有った。
その三畳一間にも水道とガスは有った。
水道の前に窓があり、その窓を開けるとわずか30cmばかりの隙間を隔てて隣りのアパートがある。私の部屋は丁度窓を開けるとそこは隣りのアパートの便所の窓と向かい合っていた。もう臭いのなんの。
そこの住所をどうやって見つけたのか、ある日、吉野家の店長が小型の冷蔵庫を送って来た。
元々、二人で住む時に私が持ち込んだものらしい。
三畳一間に冷蔵庫、置く場所を作ると寝る場所が無い。
私はいい考えを思いつき、冷蔵庫の扉を開けてその中に頭を突っ込んで寝る事にしたのだ。
ただでさえ蒸し暑い部屋でしかも窓を開けると異臭がする。
クーラー代わりに冷蔵庫を使ったのだ。
だが、それも長続きはしなかった。酔っ払った時やがむしゃらに眠たい時はなんでも良かったのかもしれないが、通常であれば眠れる態勢では無かった。
当時は何もかもが無茶苦茶であった。
知り合いの車のメンテナンスの用事で行った車屋で魚屋さんのトラックを改造したヘンテコなキャンピングカーが置いてあり、二日酔いの勢いで返済の目途も無いのにそのキャンピングカーをローンで購入していた。
それを見た人は「派手な霊柩車」と呼んだ。
私はその派手な霊柩車で毎晩寝る事とし、三畳一間へは一切帰らなかった。
そんな日々なのだ。
もちろん、映画小説集に登場するヤザキの様にヘロインやらドラッグをやるわけでも無い。
無茶苦茶の次元が違うだろうと言われればそれまでだが、その先には何かがあるはずだ、と思いながらも無用に消費した若き日々だった。

村上龍映画小説集 村上龍 著



薔薇盗人


人生には貸借対照表があって、資産が多ければ多い分、負債も多いもんなんだよ。
なんてわかったような事を言ってくれる人がいるけれど、
この小品には負債しかないのではないか、という登場人物が表れる。
「奈落」これも負債ばかりの男の生き様、エレベータ事故で死ぬ事でその負債がチャラになった訳ではあるまい。
だが、私の中ではこの小品の中ではあまり好きな一品では無い。
なんと言っても「あじさい心中」が光っている。
この小品の中で感じさせる主人公のなんとも言えぬ男の優しさ。
場末温泉街のこの年増ストリッパーの人生の負債はどうなんだ。
見合う資産が有ったとでも言うのだろうか。
なんとももの悲しい。年増とはいえ、言葉の端はしに感じられる何とも切ないこの色気はなんなんだ。
誘われたら思わず心中付き合いをしてしまうかもしれない。
その前に私が相手では先方も心中なぞ、持ちかけまいが・・。

浅田さんという人はどういう人なんだろう。
「奈落」の中で死んで行く一流商社のサラリーマンでも無ければ、その同期の人事担当役員でも総務担当役員でもその社長でも会長でも無い。
この作品には登場していない。「死に賃」に登場する社長でも無い。
まさに「あじさい心中」の主人公であるリストラされたカメラマン。
その生き様がでは無い。思考回路がおそらく彼なのでは無いだろうか。
場末の年増ストリッパーの話を聞いて、感動するでも一緒に嘆くでも無く、素直に一緒に死んでやれる。
また、相手にそうさせたいと思わせる人物なのではないだろうか。
これはもちろん憶測でしかない。

なんせあまりにいろんな顔を持ちすぎている。
「鉄道員」を書いた彼はもちろん「ぽっぽ屋」では無いだろうし、
「天国までの百マイル」、これも優しい男なのだが、やはり筆者は登場していない様に思える。

そうかと思うと、「天きり松闇がたり」これはお薦め。内容はここでは語らない。
「歩兵の本領」これは自衛隊出身で無ければ絶対に書けないと思う。
この中にも筆者は登場していると思うが他の作品は他で書かれているだろうから
ここでは触れない。

薔薇盗人 浅田次郎 著