読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



最後の医者は桜を見上げて君を思う


三人の医者が登場する。

熱血派の福原という医者。
病とは闘わなければならない。
少しでも躊躇する人が居れば、明日への希望を熱く語り、どんな難病でも、どんなに生存確率の低い病であっても、共に病と闘って行きましょう。と元気づける。

方や桐子というもう一人の医者は、反対の立場。
患者に対して「死」というものを受け入れてはどうか、と話す医者。
余命○ヶ月ということも平然と言い渡してしまう。
人間どのみち、いつかは死ぬんだ。
病気は闘うものではなく、受け入れるもの、人それぞれに個性があるように、自分の持って生まれた個性だと思って病気も自分の一部だと思って病気と共に過ごす、という生き方もありますよ。と・・・・・・・・・・

おそらくケースバイケースなのではないか、と思うのだが、双方かなり極端なのだ。

とある会社員は、昨日まで会社の大事なプロジェクトを担っていたのが、白血病が判明し、急遽入院、手術。
で、がん細胞を退治するために投薬されるのは、がん細胞を退治するだけでなく正常な細胞も含めて丸ごと退治する、というもの。髪の毛は抜け落ち、皮膚も老人のようになりながら、次の治療へ行くかどうかの判断は常に患者に迫られる。
で、成功の確率は、○○%、再発の可能性は○○%・・・。
悩みぬいた彼は桐子を訪ね、相談に乗ってもらい、桐子の考えと真逆の身体をボロボロにしてでも闘う方を選択する。

とある女子大生は医科大学に入学した途端にALSという治療法の無い難病にかかってしまう。
彼女は自宅での治療を選択する。
自分の力で歩く事はおろか、まともに話すことさえ出来なって行く。
見舞いに来たいという友達とも会いたくない。
死にゆく彼女の親の一言一言には涙をそそられてしまった。

もう一人の医者、音山という男は、二人の医者ほどには物事を割り切れないタイプ。
ちなみに三人は同じ医科大学の同級生である。

その音山が手術をすれば治るかもしれない病でありながら手術を拒否しようとする。
その友人の判断に桐子はどんなアドバイスをするのか。
友人を前にして持論を貫けるのか、そこらあたりがこの話のクライマックスかもしれない。

いずれにしてもそれぞれの病気の進行具合によって医者のアドバイスも変わるだろうとは思うが、上の二人はほとんどぶれるところがない。
個人的には桐子医師の考えの方が好きではあるが、果たして自分の愛する人がその立場になった時に、彼の意見に同調出来るかどうかはわからない。

今後、IPS細胞の研究やメッセージ物質の研究などでどんどん治らない病気も治る病気に変わって行くかもしれない。
そうなった時にこの頑なな医者たちは、特に桐子医師は変わるのだろうか。

最後の医者は桜を見上げて君を思う 二宮 敦人著



死の淵を見た男


東日本大震災、あまりに多くの死者をだし数多くの不幸な出来事が起こった未曾有の大災害だが、未だまだまだ先が見えないのが福島第一原発だろう。

総電源消失。
これのもたらした悲劇はあまりにも大きい。

この未曾有の危機の中、自らの命を顧みず、果敢に立ち向かった男たち。
闘ったのは吉田所長だけではない。
当日の当直長だった人。またその日非番だったが駆け付けたその先輩の人たち。

現場は明かりすらない。真っ暗闇。
通常なら制御版が原子炉の状態を教えてくれるはずなのだが、制御版も真っ暗なまま。
まさに手さぐり状態。

そんな状況、想像できるだろうか。
そんな暗闇に中、彼らは何度も真っ暗闇の中、手探りで原子炉へ向かおうとする。

原発事故のことを書いた本は何冊か読んだが、こんな心を揺さぶされるれる本には出会わなかった。
読めば読むほど、菅というあの時の総理大臣と言う役職にいた男への憤りが湧いてくる。
現場のプロがプロとして最善を尽くそうと命がけで行っている。
それをなんで東工大を出たということだけで自ら専門家気取りしたどシロートが口を挟もうとするのか。

自らのパフォーマンスだけのために、あろうことか国の最高指揮官の立場にある男がヘリで現地へ赴く。
ジャマをしに行っている以外の何ものでもない。

決死隊を送り出して、彼らからの連絡が途絶え、一時全員行方不明の状態になった時、吉田所長は、もう生きてここを出ることはないだろう、と覚悟を決めたという。
その後、全員無事であることが判明するのだが・・。

決死隊が何度もトライしようとしても近づく事すら容易ではない状況の中「ベントを何故やらないんだ!」

この男には、現場へのいたわりとか思いやりだとか、ねぎらい、というものが湧いてくる素地が全くないのだろう。

習近平相手に散々ペコペコしていた男が、いざ相手が変わればさんざん怒鳴り散らかす横柄な男になる。

全く最低のリーダーを最悪の時に持ったものだ。

そんな最悪の上がいる中、現場の人たち、自衛隊員、消防の人、出来る限り最善の事をやってくれた人たちのおかげで東日本は無事で済んだ。

無事で済んだとはいえ、第一原発はまだ片付いていない。

チェルノブイリ式の石棺で固めてしまうなり、なんらかの手立てで早期に終息を迎えて欲しいものだとつくづく思う。

死の淵を見た男 -吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日-門田 隆将著



罪の声


「けいさつのあほどもへ」という挑戦状で有名なこの事件、良く覚えている。

昭和の未解決事件の中でも最も有名な事件と言えば三億円事件とグリコ・森永事件だろう。
特にこのグリコ・森永事件に関してはかなり身近な場所がニュースで頻繁に登場したし、警察のローラー作戦だったか自宅や近所にも警察の聞き込みが何度か来ていた事件だけにかなり地元感がある。

以前から身代金は本気では無く、株の売買でボロ儲けして勝ち逃げしたんだろうと言われ、おそらくそんなところだろう、とは思っていたが、考えてみれば大量の空売りを疑われない範囲で目立たず行うということは結構難しいことかもしれない。
グリコ・森永だけに注目を集めておいて丸大、ハウス、不二家などの他の四社のどこか、もしくは報道もされなかったどこかから身代金を受け取っていた可能性も大いにある。

この話、テーラーを営む青年が自宅で父の遺品の中から自分の幼いころの声で身代金の受け渡し場所を指示すると思われる犯行時のグリコ・森永事件時のカセットテープを見つけるところから始まる。

身内が全くのカタギならさぞかし驚いたことだろう。
自分の父親が犯行に加担していない事を確認したいがために父の友人と共に、当時の事を知る人を訪ね歩く。

方や、新聞社では時効をとっくに過ぎたこの事件の新たな事実を発掘して特集を組むという企画がぶち上げられ、文化部から応援に駆り出された一人の記者が事件を追って行く。

この男が取材した先々からどんどん有力な情報を入手していく。

作者はかなり緻密に事件のことを調べたのだろう。

表に出ている情報とたぶん矛盾はない様に念入りに調べたに違いない。

イギリスで遭遇するこの事件の絵を書いた人物の告白話。計画づくりにおいてはかなり説得力がある。

ただ動機の箇所があまりに稚拙。あれだけの事件を企てた男の動機など敢えて書かない方が説得力がある。

事件の真相はあるいは、そういうことだったのかもしれないなぁ、と確かに思うが、この記者の取材が元で事件の全てが全容解明されてしまうのは行き過ぎじゃないか。

堺の小料理屋で犯人グループが会合を開いていた、という証言しかり。

あの当時は「俺が犯人だ」と酔っぱらって言い出すアホがそこら中に居て何人かは実際に事情聴取されてみたり、「俺の知り合いがどうも関係しているらしい」なんてデマやガセネタ情報が山のようにあった。

「会合を開いていた」なんて情報は腐るほどあって、ほとんどがガセだったはずだ。

確かにとっくに時効を過ぎた今だから言ってしまえ、というのもあるかもしれないが、あまりにこの記者、当たりを引きすぎている。

犯人グループの全員がわかってしまうよりも、そのブラックボックスをいくつも残したまま、本当はこうだったのだろうという推測で終わるとか、おそらくあの男だったんだろう、と思われる男が笑いながら去って行く。

そういうストーリーがグリコ・森永事件には似合っている。ちょっと残念。というのが読んでの感想だ。

でも、この本、この事件の全容を解き明かしていく過程を物語にすることだけが目的じゃない。

犯行に使われた子供の声は三人に及んで、その一人が冒頭の青年だが、残り二人はもっと年上だ。

彼らのその後に焦点を当てる、というところが数あるこの事件の推理話との違いだ。

あの声の子供たち、本当にどんな人生を歩んだんだろう。

罪の声 塩田武士 著