読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



騎士団長殺し


主人公は36歳の画家。
義務感で書いて来た肖像画。
どこかの社長室にでも飾られるであろう肖像画。
滅多に人目には触れない。
作者が誰かなどは誰も気にしない。

しかし彼は特殊な能力を備え持っていた。
一度目にしたものをありありと再現できる才能。記憶力。
人の本質を見抜いて描ける能力。

でもその本質をそのまま絵にしたりはしない。
あくまで相手の気に入るような絵に仕上げるのだ。
だから芸術家でありながら芸術家ではない職業。
生活を維持するためだけにやって来た職業。
それも突然の妻からの離婚申し入れにてやる必要がなくなる。

妻から告げられたその日に家を出て東北・北海道を放浪し、行きついた先が友人の家の別別荘で、その父親がアトリエとして使っていた小田原の山の方で、隣近所へ行くにも車が要る様な辺鄙で静かな場所。

そこで出会う免色というなかなか個性豊かな紳士。
その人の肖像画を描くことによって新たな才能が開花したかもしれない予感。

免色氏の娘かもしれない少女。

友人の父親の画家が書いて世に出さなかった「騎士団長殺し」の絵。

そして登場する騎士団長。

第1部の顕れるイデア編の読後は第2部を読みたくてうずうずしていた気がする。
第2部も第1部の流れを踏襲してストーリーは進んで行くのだか、メタファーのあたりからどうなんだろう。
もうなんでもあり状態か?
確かに第1部のイデアの騎士団長もなんでもありの一つではあるにはあったが、微笑ましい存在でもあったしね。

ただ、至る所に見られる、見事な比喩の表現。
まるで○○が○○したかのようなという表現の巧みさ。一気に書き上げてこういう表現がすらすら出てくるとしたら、やっぱりこの人は天才なんだろうな、と思う。

ちゃんと英訳後とかも意識しながら比喩の言葉も選んでるんだろうし・・・。

この話では絵画を文章で表現する、という事が行われている。

いずれ映像化されるんだろうが、その時にこの見た人に衝撃を与えるような、インパクトのある絵が映像の中でどうやって再現されるのか、大いに見ものだと思っている。

騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編 第2部 遷ろうメタファー編 村上 春樹著



i


「(-1)の二乗=i」である。このiはこの世界には存在しない。

「この世にアイは存在しない」

数学教師の放ったその一言が主人公のアイに与えたインパクト。

おそらくこの言葉がきっかけで数学の道を歩むことになる。

アイは生まれはシリア。
シリア人でありながらアメリカに養子にもらわれる。父ははアメリカ人、母は日本人。
幼少期をアメリカで過ごし、学生時代は日本で暮らす。

この本、世界の時事ネタがしょっちゅう顔を出す。

どこどこでの大地震。どこどこでのテロにて・・・世界は惨劇で満ち溢れている。

その災害や惨劇での死者の数をアイは漏れなくノートに書き記す。

もともとシリアで生まれた子供だ。

今のシリアの状況を見て、シリアで戦禍に苦しむ子供の映像を見て、自分とこの子は何が違ったんだろう。
死んでいく彼らを見て、何故私じゃなかったんだろう。
と悩む。

何故自分だけ、という強い思いは、あのシリアからだからこそなのか。
アイだからこそなのか。

それは後者なのだろうと思う。

彼女は繊細すぎる。

人は何故存在するのか。自分の存在意義を見つけて行く話。

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この世界にアイは存在しません。
入学式の翌日、数学教師は言った。
ひとりだけ、え、と声を出した。
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この冒頭の書き出しだけで、もはやこの本は成功してしまっている。

 i 西 加奈子 著



やすらぎの郷


永年、テレビ界に貢献して来た人たち、往年のスターたち、そんな人たちばかりを入居させる老人ホームがある。
入居にあたっての費用は一切無し。入居後も費用は無し。
必要なのはリーズナブルなバーでの飲み代ぐらい。

中には医者も居れば、スタッフも充実。共有スペースでは数々の娯楽が楽しめ、建物を出れば釣りを楽しめる場所まである。
それに何より、かつての有名人ばかりが揃っているのだ。

最近、見ないなぁ、もしかしてお亡くなりになってたりして・・・というような人ばかりが入居している。

そんな施設があるという噂はあるがまるで都市伝説の様でその実態は誰も知らない。

テレビ界に貢献して来た人と言っても局側の人間は対象外であくまで組織に守られていない立場の人たち。

売れなくなったら誰も見向きもしおないばかりか、生活にも困窮してしまうような立場の人たちへの恩返しのような施設なのだ。

そんな施設への入館案内がある脚本家の元へ届く。

数々のヒットドラマを書いて来た脚本家、それが主人公。

まさに倉本聰そのものかもしれない。

この「やすらぎの郷」、テレビのドラマで放映されていたらしいのだが、全く知らなかった。

だが、この本を読むと、まさにドラマを見ている様な気分になる。

本を開けば、脚本そのもの。

俳優が読む台本ってこんな感じで書かれているのかな、と思えるような内容。

主人公の脚本家の先生役を石坂浩二が演じ、その周辺にはそうそうたるメンバーが勢ぞろい。
まだまだ現役の人たちばかりだ。
マヤこと加賀まりことお嬢こと浅丘ルリ子のやり取りはいかにも言ってそうで笑える。
ミッキー・カーチスや山本圭などが主人公の脇を固める。

本を読んでいるのだが、まさに加賀まりこや浅丘ルリ子の姿がありありと浮かんでくる。

なんと言っても、姫と呼ばれる存在の八千草薫の存在は大きい。

心から人の好さが伝わって来る。

そんな八千草薫もお茶目ないたずらをしたりする。

この台本、俳優を決めてから書いただろう。そうとしか思えない。

読んでいて笑いが止まらない本なんて久しぶりだった。

やすらぎの郷 倉本 聰 著