読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



ボックス!


こんなのもあのベストセラー作家の百田尚樹氏の作品。

新今宮の近くにある恵比須高校という架空の高校のボクシンブ部の話。
このあたりで勉強もある程度出来る高校となれば今宮高校あたりを想像してしまうが、それは無関係だろう。
他に登場する高校のモデルはおおよそ想像がつく。
ライバル稲村は架空だろうが所属する学校などは興国高校以外には思い浮かばない。
大阪朝鮮などはそのままの名前で登場だ。

主人公君は勉強は出来るが、自他共に認める運動神経0の高校1年生。
幼なじみの友人が別の中学を経由して同じ高校に。その高校のボクシンブ部に所属する。
別の中学時代はイジメにもあっていた彼にとっての憧れの存在。
彼は運動神経抜群、小さい頃からケンカも強く、いつも助けてくれた。

持って生まれた才能を持ち、フェザー級で大阪府優勝。

そんな憧れの友人には到底かなうはずも無いと思いながらも、ボクシンブ部への入部を決意する主人公。

監督からジャブだけを打てと言われたら、ひたすらジャブだけを猛特訓する。

ようやく次のステップへと進んでも決して、習ったことを外さない。
それ以外のことはやらない。

晩のランニングも早朝ランニングも欠かさず、人の何倍も努力が出来る。
そう。この少年には「努力が出来る」という才能があるのだ。

みるみる上達して行くこの少年。
やがて憧れの友人をも追い抜き、高校で負け無しのモンスター高校生と評されるライト級チャンピオンと闘う。

ボクシングを題材にした小説は少ないが最近では角田光代の「空の拳」がある。
女性目線という意味ではこの物語にも女性教師の目線からも描かれるが、周囲の解説がそんな目線を打ち消してくれる。

特に試合の最中の場面などは、迫真の筆致でその光景が目に浮かぶ。

努力は決して裏切らない、ということを教えてくれ、読者に感動と爽やかな読後感を残してくれる素晴らしい本だ。

百田氏のことは「海賊とよばれた男」が出るまでは知らなかったが、「永遠の0」といいこの作品といい、その当時から百田尚樹氏は只者じゃなかったのだった。

ボックス!  百田 尚樹 著



五峰の鷹


戦国時代を書いた本はあまたとある。
どの人物にスポットをあてるかによって正反対の人物像が浮かび上がったりする。
この本はどちらかというと人物よりも寧ろ物流・交易というものにスポットをあてた本、と言えないだろうか。

主人公は、石見銀山を支配していた三島家(実在)の息子、清十郎という架空の人物。

9歳の時に内通者の手引きによって城は責め滅ぼされ、父親は討ち死に。母親は行方不明に。
その内通者が成長した後もえんえんと敵として前に立ち塞がれる。

清十郎は京で剣術を習った後に一旦故郷へ帰り、その後に倭寇の王として君臨する「王直」の下で働く。

剣の腕は超一流だわ、鉄砲の腕も一流、それどころか西洋兵学に通じ、鉄砲を使っての戦い方を熟知した男。
尚且つ、物覚えも良く、何事も理解が早く、機転が利き、発想が良く、度胸がある。
となれば商売の才能も当然ながら大いにある。

あまりにも完璧すぎる主人公なのだ。

この男が実在したなら、織田信長より先に天下を取ってもおかしくはない。
本人にその野心があればの話だが・・。

商人として実在したなら、堺の豪商今井宗久より、城山三郎の描いた「黄金の日々」の呂宋左衛門よりも大成功していたに違いない。
なんといっても海賊の力をバックに持っているのだから。

時代は室町幕府の権威が失墜し、鉄砲が伝来し、種子島をはじめ国産の鉄砲が作られつつある時期。
織田信長もまだ世に名を成す前の若造として登場する。

将軍を追いやってしまう三好長慶とそれに与する玄蕃と名乗る親のかたきとの戦い。
この親のかたきが後に松永弾正を名乗ってしまう展開としてしまったのは、作者にとって失敗だったのではないだろうか。

書き下ろしとではなく、何かに連載していたものだろう。
憶測で書いて作者に申し訳ないが、連載の途中勢いで松永弾正としてしまったが終盤になるにつれ、それじゃ仇討ちが果たせないじゃないか、と後悔したのではないだろうか。
松永弾正は後に織田信長に滅ぼされる運命なので、ここで架空の人物に殺されてしまうわけにはいかないのだ。

だから、終盤の終わり方、作者はかなり苦労した末、ちょっと尻切れトンボ気味になったのでは?というのはあまりにも穿った見方だろうか。

主人公とかたきとの戦いが主軸のようでありながら、鉄砲のことについてかなり詳しい記述があったり、石見銀山などもかなり詳細な記述がある。
いろいろと調べてあげた末に書いたのではないか、と思われる。

結構道具立ては綿密に書きあげているにも関わらず、読後感が薄いのは、やはり筋立てに無理があったからなのかもしれない。
まぁ、面白くはあったが、ちょっとだけ残念な一冊でした。

五峰の鷹  安部 龍太郎 著



赤ヘル1975


往年の広島カープファンには、たまらない一冊だろう。
山本浩二や衣笠などの有名どころは誰しも知っているだろうが、大下だの外木場だの池谷だのという名前は今日メディアに取り上げられることはもちろんないだろうし、人のウワサにのぼることもそうそう無いだろう。
そんな選手の名前が連呼される。

1975年という広島にとって記念すべき1年。
原爆投下から30年。
カープ創設から26年間、下位に低迷していたチームが初めて赤いヘルメットを被って赤ヘル軍団となってセリーグ初優勝を果たした年だ。

直前の3年間は最下位。前年は他の全チームに負け越し。
断トツの最弱チームだったのだ。

とはいえ、この物語、初優勝を飾った広島カープの赤ヘル軍団が主人公なわけではない。

主人公は東京から転校してきた中学生。
彼はもう数えきれないぐらいに転校を繰り返している。
父親が怪しげな商売にはまっては失敗し、借金を抱えては夜逃げ同然で逃げ出して新天地を求めるからで、それぞれの転校先では友達をつくるひまもない。

そんな彼が、広島の中学生と友達になろうとする。
原爆の被害について理解しようとするが、なかなかに話が踏み込めない。
それは自分が「ヨソもん」だからなのか、と自問する。
広島の子は「ヨソもん」に原爆のことを耳学問だけで語られるのを嫌う。
また、地元の広島の子であっても実は30年前のこととなると、やはり耳学問でしかないだが・・・。

友達になった酒屋の子の「ヤス」という少年。口は悪いが友情にあつい。
主人公の父親は、それは誰がどう聞いてもマルチ商法だろう、と思う商売に乗っかって、息子の友人「ヤス」の母親からなけなしの金を引き出させてしまう。
主人公君にはなんとも酷な状況である。
それでも「ヤス」は連れであることをやめようとはしないし、「ヤス」の母親も優しいままなのだ。

1945年の8月6日に投下された原子爆弾。
その後、もはや草木も生えないだろう、と言われた広島の街が30年の間にみるみると復興して行く。

例年8月になると広島には平和運動家なる人たちが集まり、核廃絶を声高に叫ぶ。
平和を愛する人たちは、原爆の被害者たちが生きている間にその話を残そう、絵を描いてもらおう、と呼びかけるのだが、実際に原爆を体験した人たちは極めて寡黙である。

自ら語りたいとも思わないし、描きたいとも思わない。
あまりにも惨い状態だったので、思い出すのが辛くてたまらないのだ。

だからと言って、どんどん復興して行って当時の姿がまるで忘れ去られたかの如くに消え去ってしまうのも、またなんだかくやしい。

この物語、転校して来た中学一年生の男の子と地元広島の少年たちとの友情の話。
戦後30年、復興して来た広島と共に歩んで来た広島カープの存在。
友情と原爆とカープの初優勝、この三つがからみ合って成り立っている。

私はカープファンでも無ければ、今や野球ファンでもないが、この本を読むとカープファンがたまらなく好きになるし、広島という街そのものが大好きになる。
そんな一冊だ。

赤ヘル1975  重松 清 著