月別アーカイブ: 2月 2007



哀愁的東京


取材対象となる人達は皆、もの哀しい。
新作の絵本を描けなくなってしまった絵本作家が、文章を切り売りするフリーライターとして取材をする、という事で話としては繋がってはいるが、個々の取材や話はいずれも短編として成立している。

その全てがもの哀しい話なのだ。
かつては人気を欲しいままにして来た人が下降線を辿り、もはや終ってしまっている事に自分でも気が付いている。
「注目を浴びているときって、こっちからは何も見えないんだ。・・・俺の方から見ると自分しか見えない。でも落ち目になると・・だんだん透けて見えるようになるんだ。・・みんなが俺にそっぽを向いているのがわかるんだ・・」

若くして億の年収を手にし、ネット起業家として独立して一時はカリスマ的な存在になったものの業績悪化で破滅寸前の起業家社長。
上の言葉は「学生時代に戻りたい」とつぶやく社長の言葉。

もうすぐ閉園する閑散とした遊園地のピエロ。

デビュー当時はミリオンヒットを連発させたが、もはや人気は下落し、あとは解散を待つのみのかつての人気アイドルグループ。

かつての人気週刊誌の編集長。その週刊誌も廃刊となり編集長も更迭される。

昭和の歌謡曲のヒットチャートを独占して来た往年のヒットメーカー。

テレビでのデビューでマジシャンとしての成功を夢見て東京へ出て来、挫折してカクテルバーで客相手にマジックを披露するマジシャン。

自信を喪失したエリートサラリーマン。

お呼びがかからなくなっても続けているかつての人気NO.1のSMの女王。

そう、どれもこれも皆、もの哀しい話ばかり。

自信を喪失したエリートサラリーマンは言う。
「俺が目の前のこいつでも、隣のあいつが俺でも、その隣のあいつが目の前のこいつでも何も変わらないだろ。誰も困らないだろ。・・・・俺のやっている仕事だって別の誰かがやれる・・・」
痴漢行為をする事で唯一生きている実感を持つとはもはや救いようが無い。

主人公も似たり寄ったりで、自分が消えたとしても他の誰かが書いているだけ、雑誌は何事も無かった様に店頭に並んでいるだろうと・・。
主人公の唯一の救いはいつかは書かれるかもしれない新作の絵本とそれをひたすら待ってくれている編集者のシマちゃんの存在か。
「今日」の哀しさから始まる「明日」の光を描く連作長編と謳い文句にあるが「明日」の光はいったいどこにあるんだろう。新作絵本の構想が明日の光?

「自分は居ても居なくてもいい存在」
「自分は何の役にも立たない存在」

古い映画だが「道」というイタリア映画があった。
大道芸人のお供として旅をする幼い子どものままの頭脳しか持たないジェルソミーナが、
「自分は何の役にも立たない存在」だと言った時に、
「この世で役に立たないものは何ひとつない。この石でさえ何かの役にたっている」
と返されるシーンを思い出した。

居ても居なくてもいい人間などいない。何の役に立っていない人間などいない。
代わりの聞く人間などいない。

少なくとも私の知っている限りにおいては。
私の代わりなど私の会社には居ない。
他の人間も皆そうだ。
きれいごとだろうか。
だが真実だから仕方が無い。
私の所属する会社には代わりのきく人間など一人も居ない。
それでは会社としての危機管理が・・という向きもあるかもしれない。
だから会社は存続はするだろう。
だが、誰かを失ってしまった後は、失った何かを引きずっての存続であって、消して元の状態にでの存続には戻れない。

もとより読者も作者もそんな事は百も承知だろう。
言わずもがなの事を書いている。

俺が目の前のこいつでも、隣のあいつが俺でも何も変わらない誰も困らない、そう言う不安を常に抱えているのが現代人であり、その象徴とも言えるのが哀愁のかたまりの東京なのか。

なんとももの哀しい話である。

哀愁的東京  重松 清 (著)



浪花少年探偵団


しのぶセンセ、なかなかええキャラやんかいな。
どんなイメージってか?

そやな芸能人で言うたら誰になるやろか。
藤山寛美の娘、名前なんやったけ。
ふじやま、ふじやま、ふじやま、えーっと藤山直美か。
しゃべくりのイメージはぴったしやけど見た目がちゃうやろな。
もっと若うないとあかん。

漫才やってた頃の上沼恵美子なんてどや。
あれはなんちゅう芸名やったかいな。
海原おはま・こはま
(古ー!そんなん今頃誰が知ってんねん)
ちゃうちゃう。

海原さおり・しおり
ちゃうちゃう。

あかんわ。名前出てけーへん。
千里万博に似た名前やった様な気がするけど名前が出てけーへんぐらいに今のキャラが濃すぎるんやろな。
名前が出てけーへんちゅう事は顔も今のキャラが濃すぎてうまい事思い出せんわ。

しゃべくりは藤山直美
顔は木村佳乃
一旦走り出したら高橋尚子
ってちょっと褒めすぎかいな。
正直言うて藤山直美のしゃべくりし始める木村佳乃なんて想像もでけへんけど。
高橋尚子のところは、ほんまは短距離アスリートなんやろうけど、短距離アスリートって知ってる名前がおらん。

住吉区我孫子、大和川、近鉄布施駅、今里・・・って事件場所柄も昔から知ってる場所ばっかしやから、ごっつい親近感あるわ。

なんぼ大阪の下町やちゅうても今時の小学生の親は黙ってへんやろ。
「子供を殺人事件の調査にかり出すっちゅうのんはどないな神経しとんねん!」って学校へ怒鳴り込んでくんでぇ。
ほなしのぶセンセ言うんやろな。
「そないに親の言う事ばっかし聞いて育っとるから授業中にうんこしたい、ちゅうてもよう言い出さん子に育ってもうたんとちゃうますのんか!」
って勝手に話をでっち上げる。
{センセ作り話言うたらあかんがな}
って文句口調の小学生には
{あとでたこ焼きおごったるさかい、今は黙っとき}
ちゅうサインを込めたウィンクを送って黙らせたうえでさらにたたみかける。
「私がパンツ洗うてあげましてんで。ほれありましたやろ。2~3ヶ月前にパンツはかんままズボンはいて家帰った事が。その時何も思いませんでしたん?」
親としてはもそんな恥ずかしい事があったんに気が付いてない自分に引け目を感じてもうて、もう何にも言われへん・・・・・無理矢理にでもそんな展開にもってってまうんやろな。

主な舞台となってんのは東大阪と大阪生野の間ぐらいのあたりかいな。
なんか前のもそこらへんの小学生が登場する話あったなぁ。

あれは・・っとそやそや白夜行とちゃうかったっけ。
なんや、ほな書いたんは同じ東野はんかいな。
あっちが暗い道へ入って行く小学生やったら同じ口調でもこっちの小学生は健全な道を歩むんやろうな。
それもしのぶセンセのおかげや。

そやけどそないに身近な場所で次から次へと殺人事件なんか起こったら気持ち悪いがな。

しのぶセンセの身近でたった1年間でどんだけ起こってんねんな。

最初が受けもちの生徒の父親が殺害される事件やろ。

次は卒業生の父親が貸してる部屋での殺人で卒業生の父親が容疑者。

その次はお見合い相手の社長がお見合い当日に殺害される。
よう考えたらその見合い相手は見合いを設定してくれた社長が殺されたっちゅうのになんぼ容疑者を庇いたいからちゅうてもよう見合いの場所に来る気になったな。
普通はまず警察呼ぶやろ。

まぁそれはええとして、その次はたまたま買うたクリスマスケーキに殺人事件の凶器のナイフが入ってる事件。

ほんでから次は教頭の教え子が殺される。これも同じ小学校の卒業生や。

なんぼ長い事生きてても一生の間にこないに身近に殺人事件には遭遇せんやろ。一年でこれだけ遭遇しとったら安心して寝てられへんで。

名探偵コナンとかいうアニメあるやんか。
あれ、もうむちゃくちゃ怪しいやつやで、コナンちゅうやつ。
パーティに招待されたら必ずそこで殺人事件が起こる。
旅行へ行ったら行った先の旅館で殺人事件が起こる。
事件が起きて後からその現場へ行ってんのとちゃうんや。
行った先で必ず事件が起きんねん。
しかも犯人は外部の通り魔殺人やのうて、必ず旅館やったら旅館に泊まってた数人の中に居る。

警察がまず身柄拘束せなあかんのはコナンやろ。
コナンは直接手をくだしてないけどな。殺害を起させるオーラかなんかを発散させとんのに違いないで。
自分で事件を起すオーラ出しといて自分で事件解決しとんねん。
まぁ、あそこまでパターンが決ってたらほとんどアニメ版水戸黄門の世界やな。

このしのぶセンセの話、ちゃんと仰げば尊しできれいに終ってんのに、まだ続きが出てるらしいやんか。

しのぶセンセ、気ぃつけや。

あんまり続けとったらコナンになってまうで。

浪花少年探偵団  東野 圭吾 (著)