三国志(一)


かつて「三国志」というものこれまであまたの人が書いている。
漫画にもなっている。
ゲームにさえなっている。
宮城谷氏が「三国志」を書いたことは承知していたが、正直購入して読み始めるまでに少々時間がかかってしまった。
何故か。
宮城谷氏の書く世界はあまり人の手を染まっていない分野、というよりも誰もスポットを当てることもなく、歴史の中に埋まっている人物を描いて表舞台に登場させるところに氏の持ち味があるのではないか、という思い込みがまずあり、あまた書かれた「三国志」に手を染めることで氏の作品に対するこれまでのイメージがくずれてしまうのではないか、などと思ってしまったからである。

まさに杞憂であった。
一読者がそんな心配をしているなどとは作者は露ほども思わぬのに違いない。
そんなことを考えていたら作家なる職業成り立つはずがない。

杞憂というのは、宮城谷のイメージを壊すどころか、まさに三国志のイメージを壊してくれたからである。

いわゆる三国志という物語の序章にこれだけの精力を費やす作家は宮城谷以外には居るまい。
第一巻も第二巻もまだ世に言う三国志のはじまりですらない。

宮城谷氏らしい。

物事にはその前提というものがある。
その前提がどのようにしてうまれたのか、徹底的に追求せずには本編には入らない。
三国志のはしりである曹操が登場する前にその祖父である曹騰(そうとう)を描き、その曹騰を描くにあたって、さらにその祖先である曹参(前漢の高祖の挙兵時代の立役者)まで遡る。

そんな宮城谷氏にしてみれば、三国志とはそもそも後漢時代を書かずして何を書くのか、と逆に呆れられるかもしれない。

後漢時代は官僚よりも宦官や皇后の外戚の影響力が最も色濃い時代である。

皇后とその外戚としては、後漢4代目の和帝の皇后、和帝崩御の後の鄧太后と鄧氏、鄧太后崩御の後の閻皇后と閻氏、8代目順帝崩御の後の梁太后と梁氏が描かれるが、宮城谷氏の好悪感情は明らかである。

歴史上の人物で極端にこの人物は悪でこの人物は善である、などということはそうそうないのであろうと思うのはシロウト考えであろうか。
なぜか歴史ものには善玉と悪玉はついてまわる。

織田信長を討った明智光秀が善か悪か。
豊臣を滅ぼした徳川が善か悪か。
どちらが善でも悪でもないだろう。
どちらを主に据えるかによって見方は変わる。

この本の中では鄧太后と鄧氏は善政を布き、鄧太后亡き後は愚者の安帝と鄧太后という重しが無くなって栄耀栄華を極める閻(えん)皇后とその兄の閻顕(えんけん)が悪政を布く。
閻顕を倒した順帝は善政で、順帝亡き後の梁太后の兄の梁冀(りょうき)の存在はもはや善政悪政などという生やさしいものではなく大悪党という扱いで描かれている。
梁冀は寧ろ第二巻でその悪役ぶりを発揮する。

しかしてどんなものなのだろう。
鄧太后の摂政時代にも鄧太后を批判した官僚には撲殺の命が下されている。
鄧太后も閻顕も同じ様な事をしているではないか、などと思ってしまいかねないが、ここは書き手とほぼ同じ主観となるのが読み手というものだろう。

秀吉か家康かであれば各々を礼賛もしくは貶した書き物は山ほどあれど、いやもっとこの時代に近い存在の項羽か劉邦かでもその好悪はかなり分かれるだろう。

鄧太后はどうか閻顕はどうかと問うてみようとも比肩する読み物が存在しない以上、鄧太后の考えは、あくまでも浅慮な批判を甘んじているようでは示しがつかない、果ては混乱を招くだけである、と天下国家を憂えての撲殺であって、閻顕が行ったのは私利私欲のため、自分個人しか見えていない、という宮城谷氏の主観に乗るしかないのである。

それに宮城谷氏にはこの時代の空気というものを読んでいる。
文献、文献の行間を読み、その時代の空気を感じ、その時代の人の気持ちを読んだ上で書いているのである。

好悪はともかくとしても悪政はやはり悪政なのだろう。
閻顕がどれだけ贅を極めようが現代の人には絶対にその当時の人々の感覚ではわからないであろうし、わかるための物差しすら持ち得ないだろう。
テレビで芸能人がご馳走をいくら頬張ったところでメタボを心配する現代人は羨ましいどころか、「可愛そうにあんな仕事させれて」なのだからその当時の贅を極める事そのものがどれだけのものなのか実感としてはわかり得ない。
わかるのは悪政を行うものは往々にして愚者である、ということぐらいかもしれない。

まさしく現在においては悪政かどうかはさておいても愚者を宰相に戴いていることはもはや明白になってしまった。
漢字が読めない。発言が少々ぶれ気味なことはもうわかった。しかし完璧な愚者だったとは。
「小人窮すればここに濫る(みだる)」
この第一巻にも孔子の言葉が牽かれているが、まさに窮してしまったのか。自らも関与し推進した件についてあれは反対だっただの、濡れ衣を被せるなだの、元宰相の言ではないが、恥知らずを通り越して笑えてしまうほどの愚者であった。
愚者を戴いて真っ先に迷惑しているのは宰相を担いでいる人達であろう。
担いでいる人達の被る迷惑は民への迷惑へと拡大する。
やはり愚者は担いではいけない。

宮城谷本には賢者の宰相がよく登場する。登場するというより発掘してスポットを当てたという方が正しいか。
宮城谷が発掘する宰相は最後までぶれない。

この宦官と皇后外戚が縦横無尽に暴れまくる時代においても賢者の宰相というものにスポットを当てる事を忘れない。

その中でも第一巻では楊震という人が光っている。
四知(しち)という訓言を残した人である。
密室での二人の会話で誰も知りませんよ、と悪事をそそのかす相手に
「天知る。地知る。我知る。汝知る。誰も知らないとどうして言えるか」と説く。
これが四知である。

とここまで書いたがやはり宮城谷本は書ききれない。
三国志第一巻だけでどれだけ登場人物が多いことか。
この第一巻だけでいったいどれだけの物語がつまっていることか。
覚えきれないので何度も頁も戻すことになる。

盛りだくさん。充実感満点なのだ。

三国志 第一巻 宮城谷 昌光 (著)