月別アーカイブ: 1月 2010



製鉄天使


『製鉄天使』ってなんというタイトルなんだろう。
『鋼の天使』でも『スチール・エンジェルス』でもない。『製鉄天使』。
などとと思いつつ、読み始めてみて、なんとそういうストーリーなのか、と全く想像もしなかった内容に驚いた。

中学生が暴れて学校崩壊と言われていたのは1980年代だったのだろうか。
暴走族が走り回り、女性だけのレディースなどが闊歩していたのも同じ頃がピークだったのだろう。

そういう荒れた中学へ入学した一年生女子が入学したその日にいきなり彫刻刀だけを武器にして50人を相手に乱闘する。

それがなんと舞台は鳥取県のとある村。
今やゆとり世代以降の中学生や高校生は鳥取県や島根県と聞いても、それどこ?と言われるご時世らしい。
鳥取や島根はもはや他の都道府県の平成の中高生には存在しない地名になってしまった。

そんな鳥取を舞台にしてレディースのグループを立ち上げたのが先の中学一年生。
グループを立ち上げてたったの三日で鳥取県を制圧してしまう。
そのグループの名が「製鉄天使」。
おそらく作者は鳥取にかなりの思い入れがあるのだろう。

まぁ、小説というよりマンガを読み物にしたものと思って読む方がよろしいだろう。

これはライトノベルというジャンルのものなのだろうか、重厚な装丁からは想像出来なかった。それにライトノベルというのは、てっきり中にマンガチックな挿絵があるものを指しているものと思っていた。

充分荒唐無稽の話でもあるし、製鉄所の娘だから鉄には滅法気に入られ、鉄をあやつれば自由自在、どころか鉄の方が勝手に動いてくれる。

ボーイと呼ばれるオートバイも呼べば飛んで来るし、もうなんでも有りの世界。

その彼女が中国地方制圧に向けて、島根を制圧、そして岡山制圧へ、と・・・。
とまるで戦国時代の武将そのもの。

とまぁ、いささかマンガチックに過ぎる感は否めないが、なかなか楽しめるお話でもある。
鳥取県人ながら何故か土佐弁と思われる言葉を使う主人公。

なかなか格好いいではないか。

こういうマンガ的要素をふんだんに盛り込みながらも作者としては、こういう悪いやつは外見もちゃんと悪かった時代を回顧しているのかもしれない。

丁度、暴対法施行前を懐かしむ人たちの様に。
暴対法施行前はヤクザ屋さんの事務所にはちゃんと○△組という看板が有り、あぁここはそういう場所なんだ、と皆がはっきりとわかり、出入りする人を見てもはっきりと、それとわかる人たちで、わかり易かった。
それが施行後には○△組という看板は消え去り、○△産業だの○△興業だの○△株式会社だの、出入りする人たちもネクタイなんか締めてしまう様になって、本業は地下へ潜ってしまい、全く表向きはサラリーマンと変らない。

同じように族が幅を利かせていた時代からだんだんと普通の大人しいガキ共が実は陰湿なイジメをしていたり、弱い者が更に弱い者を苛める、表面はクソ真面目な顔をしながらも。それは一部この本の後半にも触れられている。
そういう陰湿な時代よりもはるかに族世代の方がわかり易かったんじゃないか、それを作者はうったえたいのかもしれない。

この子供達のフィクションの王国は寿命が19歳と決められている。
19歳にならなくとも大人になったら引退。

永遠に子供のままでいたい、フィクションの中にいたい。
そんな彼女達の声をマンガチックな小説の場を借りて表現したものなのだろう。

最後に、この物語には語り部が登場する。
暗い閉じ込められたような場所で語るこの人物は誰か。
それは一番最後まで読めばわかります。

製鉄天使 桜庭一樹 (著)



フランスジュネスの反乱 


フランスの高度成長期は日本のそれよりも二まわりほど早かった。1970年代の前半のオイルショックを日本は乗り切ったが、フランスはオイルショックを境に高度成長期の終焉を迎えた。
そしてその後の日本のバブル期にフランスは大量失業時代を迎えていた。
第二次世界大戦後の「栄光の30年」に労働力を補うために大量の移民を受け入れたが、オイルショック以降は就労を目的とする移民の受け入れは停止され、フランスに残された移民たちはフランス社会のなかの異質分子、サルコジに言わせると「社会のくず」「ごろつき」と言われる存在になってしまう。

パリ郊外の移民の人たちが多く住むシテ(団地地区)では移民世帯は失業と貧困にあえぎ、子供たちの唯一の楽しみはサッカーをすること。
その普段サッカーをしている少年たちが、誤って工事現場に立ち入ってしまったことが惨事を招いた。通報を受け、大量の警察官が武装して出動。
恐れを為した少年たちはその場から逃げるが、逃げる途中で二人のサッカー少年が命を落としてしまう。
その二人の少年の死を境に暴動が起きる。
二人の死は単なるきっかけだったのだろう。
その暴動の四ヶ月前にあるシテで少年の乱闘事件があった際にサルコジ(当時内相)が飛んで来て「このシテをカルシュール(大型放水機)で一掃してやる」と言い放ったのだという。
、暴動はやがてフランス全土へと広まり、首相は非常事態宣言を宣言し夜間外出禁止令を発令する。
ほんの2005年という数年前の秋のことである。

この本でもう一つ取り上げられているのが、2006年に施行されたCPEと呼ばれる初期雇用契約に関する施策に対する若者達の反乱。

CPEとは、26歳未満の若者を雇用した企業は3年間にわたって社会保障負担を免除。実習期間をこれまでの3ヶ月から2年間に延長。
この2年間の期間中、雇用側は理由を問わず解雇することを認められるというもの。

経営側にとってこんなにおいしい施策があるだろうか。
理由無き解雇が合法化される。
雇用される側は2年間の間、いつも解雇の不安におびえることになり、やがて2年を経ることなく解雇されたらまた、更に2年間を同じ不安を持ちながら、働くことになってしまう。

ここでも大元の問題は雇用問題。高い失業率が原因なのだろう。
折りしも、日本でいうところの団塊の世代にあたるベビーブーム世代が退職を迎える最中、時の首相は失業率を最悪時の12%から9.6%になったと誇り、この施策で失業率は改善するだろう、との見通しを発表する。

これに怒った若者達は、無暴力のデモ活動を起す。
この本の大半のページはこのデモ活動の描写に費やされている。

フランスの大学という大学で、そして高校までもデモが起き、これもまたフランス全土に広がる。
100万人を超える規模のデモ活動というのは、途轍もない規模である。

この本には著者の思い入れもあるだろうが、実際にジャーナリストとして自分で取材したもの、新聞資料に基いたものを元に忠実に事件を再現しようというものである。

しかも2005年、2006年とほん数年前の出来事。

方や、昨年、一昨年には日本ではランスの子育て絶賛の本も何冊か出版されている。
それらの本が絶賛するフランスの出生率が高いことを見本にして、現政権のマニュフェストは作成され、今年より施行されて行くことになるのだろう。

だが、それらの本にはフランスの抱えるこのジュネスの反乱に見られる深刻な問題は一切ふれられていない。

折りしも本日は成人の日だ。
お昼のニュースではデズニーランドで大はしゃぎする着物姿のゆとり世代真っ只中の新成人たちが映されていた。
この本のサブタイトルは「主張し行動する若者たち」。
日本ではよく「主張し行動する若者たち」のような活動は社会の閉塞感のために居なくなってしまったと言われて来たが、どうも「閉塞感のため」とも思えない映像なのだった。

フランス ジュネスの反乱―主張し行動する若者たち  山本三春著



カデナ


ベトナム戦争当時の沖縄が描かれている。
『あの夏、私たちは4人だけの分隊で闘った』という本の帯にはかなりそそられるものがある。
実際に読んでみると『分隊で闘った』の文言から想像するイメージとはだいぶん違うものだったが、もちろん期待を裏切る本ではなかった。
タイトルの『カデナ』とは言わずもがなかもしれないが沖縄の嘉手納米軍基地のあるあの嘉手納のことである。

フィリピーナと米兵の混血児で米国籍を持ち、米空軍に籍を置く女性。
戦時中に沖縄からサイパンへ行き、サイパン陥落前時にアメリカ兵に収容され、戦後、沖縄へ帰って来た朝英さんという男性。
米軍基地でロックバンドを演奏する中の一人である若者。
それぞれが交互に語り部となってストーリーは展開される。

中でも朝英さんの語り部の箇所は戦時中からの誰かの体験談を聞いているが如くに読みごたえがある。
十三歳で父親の出稼ぎで家族と共にサイパンへ渡り、自身もサイパンで機関士見習いとして働き、アメリカのサイパンへの空襲が始まると父母は沖縄へ帰る船に乗り、硫黄島沖でその船は潜水艦に沈められ、乗客500人全員が死亡。
兄は徴兵にとられ、戦死。
沖縄へ帰って故郷を訪れてみると、親戚をはじめ知り合いも全て失ってしまったことを知る。
知っている人たちの中で生き残っているのは自分だけ、という心にぽっかり穴の空いたような状態。
結婚した後も朝英さんには子供が居ない。
つくらないのか、出来なかったのかは不明だが、世の中には先祖から引き継いだ家を子や孫へと増えていく家もあれば、たった一人生き残った自分の一家はここで閉じるべき家なのだと思っている。

三人の語り部がいるがこの人の語りの箇所の文体はなんとも重みがある。
こんな話を作者が想像で書いたとは思えない。
おそらくこの話を語ってくれた実在の人が居たのではないだろうか。

長引く戦争の最中、米軍の指揮官の奥さんの中に、平気で「核を落として終わりにすればいいじゃない」などと言う人が登場する。
まさか、と思うがどうもまんざら議論に上がらなかったわけでもないのかもしれない。
長崎・広島への原爆投下を指揮し、東京や主要都市の人々に対しての焼夷弾で周囲を焼け野原にして逃げ場を失わせた上で爆撃して民間人を皆殺しにする作戦をたてたカーチス・ルメイは戦後、勲章をもらい、昇進した。
そのルメイの部下だったマクナマラがその当時のアメリカの国防長官だったのである。

米空軍の爆撃ももうすぐ終わりになるという手前の最後の二週間でなんと150機で700回の出撃。落とした爆弾はなんと2万トンだったという。
2万トンと言われてもなかなかピンと来ないものがある。

実際に空軍基地に居た人たちも同じだったようだ。
B-52のばかでかい爆撃機には最大27トンの爆弾を搭載できるのだという。
爆撃機は一旦飛び立ったら、その27トン全てを落として来なくてはならない。
落とし漏れを抱えたまま帰って来ることは非常に危険で着陸時に爆発したらそれで一巻の終わりだからだ。

だから、爆弾落下と落としきって帰ることだけに専念するパイロットたちにも落下した後の状態など実感が無かったかもしれない。

そのB-52一機が離陸に失敗する。
その先には核爆弾の弾薬集積所がある。だから機長はゲートにぶつけて止めた。
そしてゲートにぶつかると同時に大爆発。
辺り一面が火の海となり、地面から空までが燃え、雲底が真っ赤になった。
その状態を見て初めて基地の人たちもこのB-52一機の搭載する爆弾の凄まじさを知ることとなる。

この物語はフィクションであってもそこで描かれている情景はフィクションでは無く、ノンフィクションなのではないだろうか。

ベトナム戦争が長引くに連れて、厭戦感の漂う中、嘉手納基地から飛び立ち、ハノイへ向かう爆撃機乗りの心境や基地の人びとの話、作者はどうやって取材したのだろう。

米軍基地が嫌いでありながらも米軍基地があることで仕事を得ている人たち。
彼らは基地があればあったで「なんとかなるさー」と生き、ベトナムの戦争終結で基地がなくなって、仕事もなくなるかも、に関しても「なんとかなるさー」と大らかではありながらも複雑な沖縄の人々の心情。

本書は4人だけの分隊で闘ったというストーリー展開を描きながら、やまとんちゅう達が東海道新幹線の開通、東京オリンピックの開催、大阪での万国博覧会と高度経済成長を謳歌している最中で、やまとんちゅうの人びとの内、一体何人がこのうちなーんちゅの人びとの生き様や、沖縄で起こっていたことを知っていただろうか。
知り得なかった沖縄での戦後史を自ら沖縄へ移住してまで取材をし、実感した作者ならではの沖縄史なのではないだろうか。

カデナ  池澤夏樹 著(新潮社)