月別アーカイブ: 8月 2010



きつねのはなし 


昔、京都に住んでいたことがあるが、この本を読むとその界隈の風景がまざまざと目の前に現出するように、懐かしく思いだされる。

京都の一乗寺にある芳蓮堂という骨董屋、古道具屋か?を舞台にする「きつねのはなし」。
「果実の中の龍」
「魔」
「水神」
の四編が収められている。

怪奇小説、と言うが果たしてそうだろうか。
「きつねのはなし」「魔」「水神」などは何やら京都を舞台にした日本昔話のような気がしないでもない。
京都で怪奇と言えばなんと言っても深泥ヶ池か。
自分が住んでいた頃も深泥ヶ池の幽霊話は良く聞かされた覚えがある。

四編の中で個人的に気に入っているのが「果実の中の龍」。
主人公が気に入っている先輩の実家は明治維新後に成り上がった大地主だったのだという。その先輩のお祖父さんは還暦を迎えてから自伝を書き始めたと先輩曰く。
幼少時代からの思い出を書き始めたはいいが、構想が膨らんで、明治時代の栄華を書き、更に構想が膨らんで明治ははるか遡り、古事記、日本書紀の時代まで遡ってそこからの家系の物語を書き始めたのだという。
無数の物語を集めて来てはその断片をつなぎ合わせ、長大な物語に仕上げて行く。
もはや妄想によって作られた一族の年代記なのだが、それを妄想と言ってしまうのはどうなんだろう。
どんな時代にも日本も他の国でも、成り上がった者が一族の箔をつけるために作り物の年代記を作って、それが年を経るうちにいろんな話が織り交ざって、今や史実になってしまったなどと言う話は山ほどあるのではないだろうか。

だが、作者の落とし所はそんなところではなかった。

先輩は祖父の血統をまさに継いでいた、いや、そうではなく先輩が祖父そのものであった・・・。
短編をあまり詳しく紹介してしまうわけにはいかないが、まことにその先輩こそ作家稼業そのものではないだろうか。
この一篇のみ他の三篇とはかなり違った味がある。

帯に「祝山本周五郎賞受賞」とあったが、なんのことはない。作者が別の本で受賞したということで、この本のことではなかったようだ。

もちろん、賞がどうしたなどは読者にはどうでもよいことで、他の三篇も何やら不思議な空間へ行って返って来たような読後感を感じる作品だった。

きつねのはなし 「新潮社」 森見登美彦著



フリーター、家を買う。 


このタイトルにはびっくりさせられてついつい読みたくなってしまいますよね。
フリーターがどんなムチャをやって家を買ったんだろうって。

実際には元フリーター、家を買う、の方が正しいし、もっと言えば、いや言わないでおきましょう。未読の人の迷惑だ。

破天荒な物語を期待していた向きにはちょっと意外な展開かもしれません。
無茶なことを行う話ではなく、若者の成長を描いている本なのです。

この主人公、そこそこの高校からそこそこの私大へ行き、そこそこの会社へ就職するも、わずか3カ月で辞めてしまう。
その理由が新人研修がドン引きするようなものだったから、というのだから救われない。
初めて就職した会社を3カ月で辞めてしまう人間に世の就職係は厳しかった。
就活はほどほどに、アルバイトにのめり込む主人公氏。
少しバイトしては辞め、自宅の自室で漫画にゲームにパソコンでだらだらの暮らしの繰り返し。

バイトの辞め方にしても酷いもんだ。
店長からちょっと挨拶の仕方を指摘されただけで、
「分っかりましたー!今日で辞めます。俺的にもう無理なんでー。」
と、最悪の辞め方。
いくらアルバイトならまだあると言ったって、そんなことを繰り返していたら、そのアルバイトだって無くなっちゃうんじゃないの、みたいなどうしようもないフリーター君があることを境に見違えるようになって行く。
たったの半年でその前とその後の違いはどうだろう。

この青年氏住む家、ここ20年間の間、ずっとご近所から苛めに会っていた。
この青年氏は20年間住んでながらそんなことも気がつかなかったほどのノーテンキ野郎だったということだ。
子供の時に苛められていたことにも気がつかなかった。
気が付いていたのは母と姉。
その苛めを一手に引き受けて家族に気がつかないようにしてくれていたのが、母親。

その母がとうとう、プッツン来てしまった。

精神的にかなりの重症状態に陥って、初めて金を貯めなきゃ、とまじめに夜間の工事という肉体労働に精を出すようになる。

その後のことはあまり書かない方がいいだろう。

それでもこのどこへ面接へ行っても絶対OUTになっていた彼が、逆に面接をする側に廻る。
その際の採用基準は、かつての自分みたいなやつを真っ先に振り落として行けばいいんだ、というもの。
出来が悪かった時代も役にたったということか。

この小説、登場人物のキャラがそれぞれにきわだっていて、楽しい。
自分に弱い父、いつも強気で正論を述べる姉、勤め先の作業長。
主人公氏の面接で後から採用する二人の人物。
片方は東大土木工学科出身の女性。
亡くなった父の後を継いで現場監督をやりたいから、東大の土木工学科を出るというのは何か違うように思うのだが、それすらいい。

この本、かつてWEB連載をしたものを単行本化したものだという。
作者も自ら長年フリーターをして来たという人らしいので、ここに書いてあることは満更作り話ばかりではないのだろう。

就活での面接官の物言いや、ハローワークでの職員の物言いなど、かなり実体験を元にしているのかもしれない。

これが単行本化されて1年経った今、若者の雇用は新卒雇用はおろか新卒でさえも厳しい状態が続いている。

この本がそんな人達の活路を見出すのに役立てばいいのになぁ、などと思わずにはいられない。

フリーター、家を買う。 [幻冬舎] 有川 浩 (著)



海と毒薬 


第二次世界大戦中に実際に日本で行われた米軍捕虜の生体解剖を題材にした作品。

『神なき日本人の罪意識を問う』と遠藤周作さんは語っているそうですが、
神を持たない、そして戦争も知らなければ苦労も知らない自分にとって、理解できるのだろうかと思いながら読み始めました。

ざっとあらすじ。

話は戦後に始まります。
主人公のようにして登場する男は、地方から東京に引っ越してきて、持病の気胸の治療ができる近所の医院をたずねます。

その病院の先生は暗く不気味ですが、いざ治療をしてもらうととても腕のよい先生だということがわかります。

先生のことがどうも気になる主人公は、先生の故郷が九州と聞き、九州の親戚をたずねたときに出会った医師に、その先生のことを知っているか尋ねます。
そこで主人公は、先生が戦時中にある事件に関わっていた事を知ります。

そこから時代は戦時中に戻り、過去の描写や、事件に関わった人たちの供述書のような形で話が続いていきます。

生体解剖に関わった理由はそれぞれの人で異なります。
でも共通しているように思われるのは、それぞれの理由が大したことではないということです。

大したことではないと言い切るのはおかしいかもしれませんが、そのような背景で、同じような不幸な出来事を経験したり、悔しい思いをしたりする人はたくさんいたであろうと想像できるような理由です。

つまり、どの理由も生体解剖に関わる理由にはならないのです。

生体解剖そのものに対して誰も向き合うことなく、その場に至ってしまっているところが恐ろしいのです。

この本を読んで思い出したことがありました。
中学校の時の歴史の授業です。
教科書には載っていない南京大虐殺での日本人の残酷さについて記した文献を教材にしたことがありました。
耳をふさぎたくなるような内容で、なんて日本人はひどい事をしてきたのだろうと感じました。
そのとき、心から『日本人は残酷だ』と感じました。

でも、時が経って、いろんな戦争の報道を見たり聞いたりしているうちに、『日本人は残酷だ』という感覚はなくなっていきました。

よく戦争の異常な状況下では、人間性が失われて恐ろしい事を平気でしてしまうようになる、などと聞きます。それを聞くと、戦争中に人間は残酷になってしまうけれど、それは状況のせいであって、人間そのものが悪いわけではないなどと言っているようにも聞こえる時があります。

そんな話に触れるうちに、とくに自分で真剣に考えたわけでもないのに、戦争は国とか人種とか関係なく、人間を狂わせてしまうのだ、と考えるようになりました。実際に戦争という状況はどのような人間をも狂わせるのは事実だとは思います。それにしても、『その状況下で日本人は』という考え方が薄れていってしまいました。

でも、この本では、日本人の恐ろしさを説いているように感じます。
そして自分も大したことない理由から残酷な事をしかねないような気がしてきます。

それは『神なき日本人』だからなのかどうかはわかりません。

『日本人』を他の国や人種と区別して考える事が正しいかはわかりませんが、『日本人』の歴史を振り返るときには、自分が『日本人』であることを真剣に考えて見る必要があるのかもしれないと思いました。

何年かしたらもう一度この本を読んでみようと思います。

きっと何かがわかったり、すっきりしたりする事はないと思いますが、まだ考えないといけない事があるような気がします。

そしてもう一つ思う事は、次に読むときは、少しでも世の中が、世界が良くなっていてほしいという事です。

海と毒薬  遠藤 周作著