月別アーカイブ: 7月 2012



悲鳴伝


半年前に起こった地球による「大いなる悲鳴」。

その「大いなる悲鳴」によって地球上の人間の1/3 が間引かれてしまう。

地球撲滅軍という地球と戦い、人類を救う、という奇妙な組織が登場する。

感情の無い中学生の空々空(そらからくう)は、その感情の無さを見込まれて、戻る場所が無いように、一家全員惨殺され、通っていた学校も爆破され焼き尽くされ、知り合いという知り合いは尽く地球撲滅軍に殺された上で、地球撲滅軍に次期ヒーローとして無理矢理スカウトされてしまう。
それだけのことをされたからと言って、相手を恨むだの復讐してやろうという気持ちはこれっぽっちも無く、一家を惨殺した年上の女性と仲良く同棲生活をはじめてしまう。

そもそも地球と戦うって、どうなのよ。

地球陣 対 地球人?

地球と戦うって、神にあらがうようなことじゃない?

地球撲滅軍が次々に撲滅しようとする「人間に擬態した怪人」、それって日本で言えば八百万の神々じゃないのか?

八百万の神を根こそぎバッタバッタと切り殺そうってな具合に読めないこともないんですが・・。

これまでの西尾維新の一冊と比べると、この本一冊はかなり分厚い。
西尾維新の本を寝ながら読んで重たさを感じたのは初めてだ。

で、分厚いから読み切りなのか?

これまでの西尾維新のパターンから言って、一度生み出したキャラクターは大事に使いまわしている。
戯言に始まったシリーズの登場人物は零崎シリーズでも使われまくった。

化物語などは一度は終わっておきながら、その完結編を出し始めたと思わせて、さらに先へと続けようとしている。

空々空と地球撲滅軍の登場人物、この一冊でだいぶん、殺されてしまったが、まだまだ先がありそうだ。

せっかく空々空なんていう新たなキャラクターをおこしたんだから、続くに決まっていますよね。

と、このぐらいで文章を閉じてしまうと丁度よいのでしょうが、蛇足を書きたくなってしまいました。

当然ながら、この本は 3.11の大震災の後に書かれたわけで、「大いなる悲鳴」はあの時の震災と津波と読めなくもない。
そう書くとそれはあまりに不謹慎だろう、という誹りは免れない。

そう、その「不謹慎」を逆手に取っているのがこの本なのではないか。
震災直後は、テレビではコマーシャルも自粛。こんにちワン、ありがとウサギ、ポポポポーンばっかり。
お笑いなんて滅相もない。
一般社会でも、各種イベントは自粛。
通常の宴会の類も自粛。
ちょっとした軽口も即不謹慎。

この物語、冒頭で、空々空が「大いなる悲鳴」を冗談話に使った野球部の先輩が不謹慎だと思った」などという台詞をカウンセラーの先生に吐いているところから始まる。
実際には彼は不謹慎だと思うフリをして来たわけで、彼は生まれてからこのかたそういうフリをして来たのが、周囲の知り合いが残らず死に絶えて、そのフリをする必要が無くなった。

穿った見方をすると、震災後不謹慎な発言をする人が居たとして、それを「不謹慎だ」と騒ぐ人達もなんのことはない。そんなフリをしていただけ、というふうに読めなくもない。
まぁ、無理にそんな読み方をしなくても良いのですが・・。

悲鳴伝 西尾維新 著



星月夜


東京湾で見つかった若い女性の死体と老人の死体、二人の身元がわれても、どこにも接点が見当たらない。

この物語には二人の誠実な老人が登場する。

一人は殺害された女性の祖父。

岩手で農業を営むこの老人は息子夫婦を失い、さらに孫娘にまで先立たれる、という降りかかる最悪の事態の中、それを黙って飲み込む。

まさに昨年の大震災後に見せた東北の人たちを想起させるような哀愁が漂う。

もう一人は遺体となった出雲の鍛冶職人の老人。

この人には凛とした強い意志を感じさせられる。

この二つの被害者がどこでどう結びつくのか、それは終盤になってようやくわかるわけだが、ここに登場する警察の捜査陣は実によく捜査をする。

無残な死を迎えるに至る、被害者たちの生の軌跡を地道な捜査で明らかにして行く。

地道な捜査だけではなく、被害者やその家族の心情を思う真摯な姿勢が描かれてもいる。

確かに推理小説かもしれないが、推理そのものよりもそれぞれの人間を描こうとしているように思える。

推理小説としてはいかがなのだろう。

貧困の中から這い出して成功を遂げた人間がまだ、若い頃ならいざ知らず、昔の愛した人への執着がどれだけあったにせよ、これだけの成功者が殺人に至ってしまうその安易さがどうにも腑に落ちないが、まぁそういう話も有りでしょう。

あまり、ミステリだの推理小説だのというふれこみを前提に読まない方がよろしかろう、と思います。

星月夜 ホシヅキヨ 伊集院静 著 文藝春秋



少女


読みだしからの入りがどうも馴染めず、何故だろうと考えることしばしば。
文庫で読んだからではないか、などと思ったりもした。
この作家の本に文庫は何故か似合わない。
単行本の方がすんなり入り込めそうな気がするのだが、この本に限っては、おそらくどちらで読んでも同じだっただろう。

二人の少女が交互に第一人称になるのだが、今どっちの独白なのか、まことにもって分かりづらい。
文庫ならではの解説氏によると、文間にある「*」の数で見わけるのだそうだ。
なるほど。
今どっちなのかはわかりづらいままなのに、冒頭の入りずらさがだんだんと薄らいでいく。

方やはわりと冷めた目で友人を見、他人を見る。
顔に表情が少なく、言葉でものごとを伝えるより文章で伝える方が得意な少女。

方やウジウジと悩み、被害妄想になりがち。
そのウジウジタイプが小学生の時には剣道で日本一になったのだという。

剣道とか武道というのはまず精神から鍛えるスポーツじゃないのか。
日本一になるほどなら、かなり強い精神力を持っているだろうに、そんなにウジウジするか?と突っ込みを入れたくなるが、それは本筋とは違うのでやめておく。

二人はそれぞれに「人が死ぬ瞬間を見てみたい」と願う。
方や学校の補修で老人ホームの手伝いに行き、そこで人の死が見られるのではないかと思い、方やは病気で入院している子供に本を読んであげるボランティアを志願し、そこで死と出会えるのではないか、と妄想する。

なんだか、とんでもない連中のとんでもない話になって行きそうな気配プンプンなのだが、案外これが、友情物語だったりする。
本人たちの妄想はさておき、以外といい話だったりもするわけで、だから読後感としてはさほど悪くはない。

この2012年の7月の前半のニュースのトップ、新聞記事のトップの半数は昨年大津で起こった中学生のイジメによる自殺の事件だ。
もちろん大雨による被害の記事や政治がらみにトップの座を明け渡すこともあるが・・・。

痛々しい事件だが、そんなに連日のようにトップを飾るニュースなのだろうか。
まぁ、これはイジメそのものよりもひたすらそれを隠そうとする学校や教育委員会の存在がニュースなのだろうな、と一応納得しておく。

あの事件などほんの氷山の一角だろう。
まだしも一昔前のタイプに似て、はた目から見て分かり易いイジメだろうに。
教師も学校も全く見て見ぬふりを通してしまっている。

今どきのイジメはおそらくだがあんなにわかりやすくはないのではないか。
ネットでの裏サイトをツールにしてのイジメ。メールでのイジメ。表面は仲の良いフリをして、見えないところで傷つけまくる、そんなイジメが大半なのではないだろうか。

そんな片鱗はこの物語の中にもいくつも書かれていたりする。

外面はいい子ぶっても心にはこんなに毒を持っていたりする.
至る所に少女たちの毒が含まれている本なので、読後感はさほど悪くないとは書いたが、どこかに棘が残っているような感触が残る。
そんな本だった。

少女 湊かなえ著 双葉文庫