快晴フライング


とある中学の水泳部の廃部をかけた話。

地域の公立中学の中で一校だけプールの無い学校。
本題に入る前に、
同じ学区内にしてはずいぶん不公平な話だなぁと思いつつも、よくよく思い出してみると、自分の小学時代にも同じ市内の別の小学校のプールを全学年借りに行っていたのを思い出した。
相手の小学校の校舎の窓から、ヤジのような馬鹿にした声を浴びたが、不思議と屈辱的でもなんでもなかった覚えがある。
級友達と一緒だったからだけではないだろう。別にお前らがプールを作ったわけでもなければ前らの親が作ったわけでもないだろうに。と、妙に覚めた大人のような気持ちだった覚えがある。
わき道にそれたが、そんな授業で使うプールとクラブ活動で使うプールとは少々重みが違うかもしれない。
なんといっても借りている相手は対戦相手であり、これからうち負かさなければならないライバルの本拠地だ。
戦う前からアウェイか。
この話、もちろんそんな話ではない。

自分の戦跡やタイムにしか興味の無かった少年が、主将が交通事故で亡くなってしまったためにたいして、主将代行の立場となる。
主将だった少年は、幼馴染みで面倒見の良かった同級生で多くの後輩から慕われていて、それまで同好会的なサークル活動だった水泳活動を学校から部として認めさせるまでにした。
その跡を継いだわけだが、自分の個人成績にしか興味の無かった男に後輩たちは付いて来ず、退部者が相次ぎ、はなからやる気の無い顧問の教師からは廃部を宣言されるが、大会のリレーでの優勝を宣言してしまう。
優勝できなければ廃部。
池井戸潤の「ルーズヴェルトゲーム」を思い出すような話の流れ。
ただ、こちらの水泳部の残留者は飛び込めない息継ぎできないやつ、泳げないやつ、と、到底戦える布陣では無い。
そんな時、練習場の市民プールで見かけた飛び魚のような泳者。
性同一症候群の同級生の少女の話などを含めて、そこまでの展開にしてしまえば結論丸見えじゃない、と思いつつもその存在感はストーリーの盛り上げには大いに有効だ。

それよりも存在感が大いにあったのがオカマのママさん。
教師よりもはるかに教師らしい言葉、信頼感。説得力。
自分に正直に生きている人ならではの説得力。

なぜだろう。体型はまるで違うはずなのにその存在感がマツコデラックスと被ってしまった。

快晴フライング 古内一絵著