読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



ディアスポラ


「ディアスポラ」、「水のゆくえ」の二編が収録されている。

いずれも日本で途轍もないどでかい原発事故が発生して、日本から日本人が逃避する世界を描いている。

福島第一原発から半径20キロ、30キロと何キロと同心円を描いて、その中は真っ赤な色で警戒区域だとか計画的批難区域だとか、っていう地図をニュースで何度見たことだろう。
あろうことか、日本列島そのもの全部がその同心円の真ん中の真っ赤な区域になった、という設定なのだ。

日本列島全部って、沖縄まで入れたて同心円を描いたら、それこそ朝鮮半島はもちろん、中国沿岸部の一部やひょっとしたらロシアの一部もその円の中に含まれるんじゃないのか。

そもそもあの原発事故以降、日本の作家という職業の人がニュース番組のコメンテーターにでも登場するや必ずと言っていいほどに、反原発を訴え、アナウンサーもそれにうなずく。

反原発というよりも将来的には脱原発で、という方向性はおそらく日本人の総意に近いだろう。
それでも、目下をどうするのか。
検査のために一時停止したものを検査を終えた後に元通り動かさせない、というのは一体どんな理屈からなのかさっぱりわからない。
徐々に減らして行くなり、発送電を分離したり、代替エネルギーを開発推進したり、ということに反対な人など電力会社の社員でもない限りはそうそういない。

それでも尚且つあの検査一時停止=再稼働はダメの理屈はわからない。
あの管と海江田が浜岡停止を高らかに宣言した事にこれほどに踊らされなければならないものなのだろうか。
停止させたって燃料棒はこれまで通り冷やし続けなければならないだろうし、停止即ち危険が去ったわけでも無かろうに。
それにエネルギーの安定供給が保障されない状態では優良な製造企業の海外逃避にますます拍車がかかり、最終的に日本に残るのは補助金で食い繋ぐようなところだけになってしまいかねない。

勝谷誠彦という人を作家の一人と思ったことはかつて一回も無かった。
なんでもテレビで引っ張りだこらしいのだが、私は日曜日の午後に首都圏以外で放映される「なんでも言って委員会」という番組でしかみたことがない。
まぁ、あの番組だけでも充分に個性は伝わっているとは思うが・・。
それでも「反原発」という旗を鮮明にしていたかどうか、あまり記憶の中には残っていない。

こんな設定の本を書いて出す以上、かなり熱烈な反原発の闘士じゃないか。
あの番組では三宅久之氏の発言が最も強いので、「先はどうあれ当面動かさなきゃ仕方がが無いじゃないか」という三宅氏を恐れて爪を隠していたのか。
官僚や東電の事を糞みそに言うのは何度も聞いたことがあるし、俗称「オーランチキチキ」のオーランチオキトリウムを!と訴えるのも何度も拝見したが、三宅氏の当面仕方ないじゃないか、に噛み付く姿は見たことがなかった。

勝谷のやろう、変な終わり方したら本を叩きつけてやる。
などと過激な思いで読み進めて行ったわけだが、結論から言うと実は思いは変わった。
「反原発」などはテーマでもなんでもなかった。
原発事故は単なる設定でしかなかった。

日本からの避難民は世界各国へ散る。
「ディアスポラ」はその避難民の一部がチベットへと移され、そこで中国の人民軍の監視の元、避難生活を送る。

あまりにもチベットの様子に詳しい。
これは本来チベットの事を書くつもりで取材をしたに違いない。
それこそチベットを舞台とした物語はほぼ書き終えていたのではないか、そこへ来てあの3.11が起き、原発事故が起きて急遽失われつつあるチベットに日本民族を重ねてみようとしたのではないか、などと思っていた。

もう方やの「水のゆくえ」も酒造りのことを徹底的に取材していなければ書けないシロモノで、醸造会社にでも勤めていたのではないか、と思うほどに酒造りの詳細が書かれている。
その造り酒屋がダム建設でいじれは立ち退かなければならなくなった時に知事が代わった。
その知事を流れる水のようだ、とたとえれれている。
この流れる水の知事はかつての長野県知事の田中康夫氏を頭においているのでは?そういえば勝谷氏が田中康夫氏の応援演説をする姿を何かで見たことがある。

酒造りという柱を元にかなり書きあがっていたのではないか、そこへ八ッ場ダムの建設から建設中止へ・・そしてという紆余欲説を織り交ぜようとしたのではないか、ところがそうこうするうちに起きたあの原発事故。ダムの建設中止のあとに発生する日本全体を覆う原発事故。
誰も居なくなったところで杜氏と二人で誰も飲まないだろう酒を造り続ける。

そんな展開で出来た本ではなかろうかなどと想像を巡らせながら読み進んで行った。

まさか、だった。

巻末を見るまで気がつかなかった。

この本、初出誌はなんと2001年と2002年なのだ。
10年前に書かれていた。

雑誌に掲載されていたのだった。本としての出版は2011年8月だが、「文学界」という雑誌に載っていたのだった。

一旦発表したものを若干の表現を直すことはあってもあらすじを直すわけがない。

ディアスポラとはユダヤ国民がローマ軍に滅ぼされてからの民族離散のことを言うのだという。
彼らユダヤ人たちには、離散しても自分たちはユダヤ民族であるというアイデンティティの根幹を成すものが有った。
日本民族に果たしてそれがあるのだろうか。
日本民族と言ったって列島で同一民族が暮らしているだけではないのか。
離散したあとの日本民族にとっての日本民族たるアイデンティティは何か。

それがこの「ディアスポラ」のテーマである。

あのチベット問題を北京オリンピックの聖火リレー前に取り上げていた人はそんなに居ないだろう。
ましてや原発事故による避難民を10年前に取り上げて、小説にしている人などそうそういない。

事故前に書かれたのか、事故後に書かれたのかがそんなに大事か、と聞かれれば、そりゃ違うだろう。
あの事故後にいくらテーマは実は別のものだ、と言ったところで、あえてこの設定で書く行為そのものに嫌悪感が走っていたかもしれないのだ。

いやぁ、上でぼろくそに書きかけてしまってなんなのですが、勝谷さん、なかなかやりますねぇ。
見直しましたよ。
ってそれもなんか上からっぽい言い方ですね。失礼しました。
ぞれにしても、もっと早くに出来れば事故前に単行本化してりゃ良かったのに・・。
それこそ大評判で売れまくっていたんじゃないでだろうか。

いや、このままでも充分にこの本、売れまくっているか。

『ディアスポラ』勝谷誠彦 著 文藝春秋刊



ばくりや


この本のタイトル、「ばくりや」だったんだ。
「ぱくりや」だとばっかり思っていた。
人の能力をパクる「ぱくりや」なのではなく「ばくりや」。

なんでも「取り替える」という言葉の方言なのだとか。

この取り替え屋さんの宣伝文句、「あなたの経験や技能などの『能力』を、あなたにはない誰かの『能力』と交換いたします」という素材だけはそのままにして、いろいろな作家に同じ素材をもとに書いてもらったらさぞかしいろんな「ばくりや」物語が出来て面白いんだろうな、などとと思ってしまった。

決して乾ルカさんの話が面白くないと言っているわけではないのですよ。

とにかく女性にもてて、もてて、持て過ぎてうんざりする男が交換で得た能力は何故か刃物を研ぐ能力。

その次の編では、とんでもない雨男、並みの雨じゃない、暴風雨で事故を起こしかねないような雨を引き寄せる能力を持つ男の話。

務めた会社を必ず倒産させるという特殊能力を持つ男の話。

こういう短編的な作りも有りだろうけど、何か最初の能力をもらった人はどうなの・・みたいなところがちょっと気になったりして・・。

とにかく女性にもてて、もてて、持て過ぎてうんざりするほどもてる、という能力が次から次へといろんな人に交換されて行く展開か、もしくはもてもて君が次から次へと違う能力へと交換して行く展開だとか、なんだか中編にすればいろんな話の展開になりそうで、ついついそういう話の展開を期待してしまったのでした。

全部で七章あるのだが、途中から少々おもむきが変わって行く。
ドラフト一位で入団した我がまま男のダメダメぶりあたりから、能力交換が話の主体かどうかさえわからなくなって来る。

その次の「さよなら、リューシン」なんていうのはもはや交換の話じゃないだろう。単なるいい話だ。いい話を単なると言ってしまうのもなんだかおかしいが。

どんな特異でどうしようもないような能力だって、人によっては、もしくは使い方次第では案外プラスに使えるのかもしれない。

入社した会社を尽く倒産に追い込んでしまう、なんていう不幸な能力はそれこそどうしようもないかもしれないが、どこかを潰したいと思っている人が誰かを使って利用しようとするかもしれない。

最後の二章はその人のタイミングが悪いのかタイミングがいいのか、受け取る人次第みたいな能力。

いずれにしてもホントに不幸を招く能力でない限りは持って生まれた才能は大事にしなさい、ということなのだろう。

ばくりや 乾ルカ著 文藝春秋



春告げ坂


江戸の小石川養生所で働く若い医師とその周辺の人達を描いている本。

小石川の養生所というと山本周五郎の赤ひげ先生を思い浮かべてしまう。
てっきり、どこかのタイミングで赤ひげ先生が出てくるものだとばかり勝手に思いこんでしまっていた。

蘭学が出来れば・・・蘭方医であれば・・治せたかもしれない病の人が一人、一人と亡くなって行く。

小石川の養生所は官が仕切っているところなので、医師は死者を出せば査定に響く。

だから要領のいい医師は「治らない」と見切れば、強制退去をさせて行く。

そんな中で最後まで看取ってやろうという若い医師。
そんなの人情話を一編、一編重ねて行くのだろうと思っていたが、どうやら違った。

それだけでは無かった。

この話、武士の物語だった。

彼の父、上役の詰め腹を切らされたと聞かされていたが、父の生き様はそんなものでは無かった。
そこは物語のクライマックスなのであまり触れない方が良いのでしょう。

それにしても方や腹を切る父、方や切った腹を縫合する医師という職業の息子。
そんなことを因縁めいて書いている訳ではないが、なんとはなく因縁を感じてしまった。

小石川の養生所は幕府が設置した医療施設で実在したものだ。

こういう無料で一般市民向けの養生所のような施設は日本には奈良時代から存在している。

医療のグローバル化など言われて久しい昨今。

タイのバンコックあたりでも世界の先端治療が受けられるのだとか。

とはいえ、それはあくまでも高い渡航費用を支払うことの出来る外国人に与えられるものであって、バンコックの市民に与えられたものではない。

21世紀の現代にあっても、ほんのちょっとの医療がない、もしくは不衛生が原因でまだまだ若い人たちがいとも容易く亡くなって行く国が世界にはいくらでもある。

この養生所の看護中間たちがばくちにうつつをぬかすのはご愛嬌のうちだろう。

あらためて日本の先人たちのすばらしさを思わずにはいられない。


安住洋子『春告げ坂―小石川診療記―』|新潮社