読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



もう一度読む山川世界史


高校の時好きだった山川世界史の教科書。
それが大人向けになって登場しました。

世界史が好きだったわけではないけれど、
レイアウトのすっきりした感じとか、表紙の手触りのよさとか、地味だけどなんだかいけてる気がしていた山川教科書。
それが大人のために再編集されたという事で、本屋で平積みにされているのを見た瞬間、買わなくてはと思いました。

大学受験で勉強したはずなのに、きれいさっぱり忘れてしまった世界史。
マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝とか、ダレだか忘れたけど名前だけ忘れられないとか、ホメイニが何したか忘れたけど挿絵の写真を覚えてるとか、そんな状態の脳みそに、『もういちど読む山川世界史』はがつんと響きそうです。

果たして頭から読み始めるべきか・・・。隅々まで読むべきか・・・。
高校生の時はとにかく全体を覚えるために、頭から隅の隅まで読みましたが、今となっては試験があるわけでもなし。
興味のあるところを探して飛ばし飛ばし、目に入ったところを流し読み。
学生の時とは違った読み方が出来る事がかなり新鮮。

あの国にあんなに嫌われているのはなぜだったっけ。
どうしてこんなにこの地域は争う事になってしまったんだっけ。
当たり前だと思われるような世界についての知識が、すこんと抜け落ちていることを実感。
少しは取り戻さなくてはと焦ります。

そして時々登場するコラムがなかなか面白い。
高校教科書にはなかったコーナーが妙にうれしく感じられます。

学生の時とは視点を変えて読む。
でもあくまでも見た目は教科書なので、ガッツリ取り組むと学生時代のしんどさがフラッシュバックするからたしなむ程度にする。
そんな感じで、これからいいお付き合いが出来そうな一冊です。

もう一度読む山川世界史  「世界の歴史」編集委員会  山川出版社



てふてふ荘へようこそ


短編と言えば短編だが、話は全部続いている。
一号室から六号室まで。
一編目に入る前にアパートの見取り図がまずある。

敷金・礼金:無し。家賃:月一万三千円。間取り:2K。管理費:なし。
この物件に大学卒業後、就職先が見つからず、親からも仕送りが途絶えた一号室へ入居する主人公は飛びつく。

家賃一万三千円にはさほど驚かない。
かつて家賃5千円のアパートに住んだこともある。
しかも舞台は地方都市だというではないか。

しかしながら、「敷金・礼金:無し」ということは現状復帰費が無いということで、前の入居者が壁に穴を開けていようが、扉の施業を壊していようが、直すつもりが無いということに他ならない。
もしくは大家がよほど借り手が無くて目先の金に困っているかどちらかだろう。
敷金・礼金無しどころか引っ越し代まで出してあげましょうなんて物件を見かけることもあるが、それこそ他所から移転させてでも空き部屋を減らそうとしか思えない。

しかも「管理費:なし」これは管理することすら放棄した、なんでもいいから月々1万いくらでも入るだけまし、という魂胆だろうと安アパートを引っ越し慣れをした人なら思うだろう。

あらためて見取り図を見ると一階に一号室から三号室があり、風呂、男子用トイレ、女子用トイレが有り、なぜか管理人室が玄関のすぐ右にある。
二階は四号室から六号室があり、男子用トイレ、女子用トイレと集会室があってそこにはビリヤード台がある。

管理人が居て管理費がゼロ。

しかも意外なことに玄関も廊下も階段も掃除が行き届いていて、風呂もトイレもピカピカに掃除されている。

そう。安いのには別の理由があった。

一号室から六号室の全ての部屋に地縛霊が居るのだった。

その霊達はそのアパートのその部屋で亡くなったというわけではないのに何故か、それぞれその部屋に地縛されている。

この一篇から六篇まで、それぞれの部屋の店子とその部屋のもう一人の住人である霊との暖かい関わりを描いている。

それぞれの店子達はそれぞれに何かコンプレックスを持っていたり、思い悩んだり、自信が無かったり、挫折しかかったりするところをその部屋の霊と同居することで、自信を取り戻したり、慰められたり、意欲が湧いて来たり、コンプレックスに打ち勝ったりして行く。

こんな霊となら一緒に住みたいわ、と思わせる霊と同居している。
例外の話もあるにはあるが。

丁度、そういう相性のいい霊を店子たちは入居の時に自ら部屋を見て選ぶのではなく、管理人が差し出した写真を選ぶという行為で部屋を選ばされたように選んでしまっている。
この霊たちもずっと一緒に同居してくれるわけではなく、同居人があまりに思い入れが強くなってしまって、霊としてではなく、特定の感情を持って霊に触れてしまうと、成仏してしまう。

一話一話が温かく、とても優しい話としてまとめられている。

乾ルカという人の本に出会ったのは初めてだが、いい本に出会えたなぁ、と思える本だった。

てふてふ荘へようこそ 乾ルカ 著 角川書店



廃墟建築士


「七階闘争」「廃墟建築士」「図書館」「蔵守」の四篇が収められている。

いずれも非現実な世界。
いわゆるシュールと呼ばれる世界かもしれない。

非現実の世界でありながらも、現実社会を眺めているようなアンチテーゼ。
それが作者の狙いなのだろうか。

七階も廃墟も図書館や本も蔵守や蔵も何かのメタファーなのだろう。

狙いや発想は面白いのになんなんだろうこの後味。
なんだろう、このなんとも言えないこの残念感。

マンションやアパートの「七階」で犯罪や自殺といった事件がたまたま何件か続いて発生した事に端を発する「七階闘争」。
市議会では「七階」の存在が問題の根源だという馬鹿馬鹿しい事を言い出す議員が現れたといたと思いきや、市長もそれに賛同し、「七階」を撤去する方向でに決する。

そこで、七階を守る側の人間による「七階撤去反対闘争」が始まるわけだが、ここでいう七階とは、縁起を担いで四階や四号室を設けないビル、13階か13号室を設けないビルとは全く意味が異なる。

四階が無いということは便宜的に4階を5階と呼ぶだけのことなのだが、古来より7階は希少で12階建ての建築物に遅れる事200年後に7階が出来た、様は7階は迫害されて来た云々。
1階にあろうが7階と命名すれば、それは7階となる云々。
建設して間もないビル全体の各部屋に7階だと刷りこめば、各部屋は自分を7階だと思う云々。
もはや、7階とはもはや階層を表すものではないらしい。
歴史的に迫害されたり、闘争運動を起こすあたりは何かの解放同盟のようでもあり、それでも7階からの眺めが好きだというあたりはやはり階層をも表しているのか?

「廃墟とは、人の不完全さを許容し、欠落を充たしてくれる、精神的な面で都市機能を補完する建築物です。都市の成熟とともに、人の心が無意識かつ必然的に求めることになった『魂の安らぎ』の空間です」と主人公の廃墟建築士が語るところから始まる「廃墟建築士」。
この小編では「廃墟の存在こそ国の文化のバロメーターだ」という定義付けがなされている。
その展開、素晴らしい。
物凄い作品なのかも・・・と一瞬思うのだが・・・。
それから先が「偽装廃墟」が問題になって・・という展開になってかつてどこかのニュースで問題になったような偽装問題になって行く。
なんとも残念でたまらない。

図書館では本が夜になる野生になり飛び回るわけだが、物書きなら図書館という建物はともかくももっと「本」というものに思い入れを持ってほしい気持ちが残る。
美術本は華麗に飛び、新しい本は飛ぶ事を躊躇し・・などというぐらいでは本に対する思い入れがあまりに安易じゃないか。

我こそは孤高の人とばかりに孤高の道を行く本や本失格とばかりに他の本を道連れに川に飛び込む本。
左と右での論争ならぬ衝突をする本達や、ひたすら他の本を救おうとする本。
本が飛び交うにしたってそれぞれの作者や愛読者の気持ちまでもメタファーに取り入れたなら、この物語はもっと凄いものになっていたのではないだろうか。

蔵を守ることしか頭になかった蔵守と蔵の世界。
これがこの四篇の中では秀逸だろう。
ほとんどこの世の中の大半を言い当てているのにかなり近い作品なのだが、作者はどこまで意識していたのかわからない。
物語としての収まりが悪いように思えてならない。

つまるところ、出だしは全て期待させられるものの最終的に全て「残念」で括らせてもらうことにする。
蔵守はいっそのこと途中で終えておけば良かったのになぁ。

廃墟建築士 三崎 亜記 著 集英社