読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



点線のスリル


2歳の時に施設の前に捨てられていた少年。
13年間の自分を振り返って何も見えないと作文に書く。
自分の歩んで来た道は点線なのだと書く。
自分の出生に至るまでを知らなくても、本当の親を知らなくても、それまでの人生は決して点線などではないと思うのだが、ずっと暗闇に生きるような暗い学校生活を耐えて来た彼には点線に思えるのかもしれない。

施設で育ったからってそんな苛めの対象になったりはしないだろうに。
おそらく学校では彼自信が暗い殻の中に閉じこもっていたのだろう。

それにしても彼から見た学校の連中というのはあまりにも醜い。
新聞配達をしてから学校へ登校したからインク臭いっと騒ぐ女子生徒だとか。
まぁ、そういう設定なのだ。
ここで書かれているようなクラスメートなら、彼から見れば確かに記号の群れであり、ヒト科のメスであり・・なのかもしれない。

そんな少年が図書館で出会った年上の女の子に引っ張られる形で、自分の出生を探索する。

この物語にはもう一つの探索がある。

偶然に間違えてチャイムを押してしまった家に住む認知症のお婆さん。
一人暮らしで、元ヤクザだという隣人が面倒をみている。

「あたしには行かなければならないところがあるの」と老婆は言う。

認知症だと聞かされれば、あいずちだけうっておけばいいだろう、と思うのが一般人的な発想かもしれないが、この少年は放っておかない。
元ヤクザの隣人を撒きこんで探索を始める。
その老婆がどこから来たのか。
これまで何をして来たのか。
どこへ行かなければならないのか。

その二つの探索をめぐっての展開はなかなか読ませてくれるのだが、ここらあたりまで来るとちょっと嫌な予感がしてしまうのだ。

そう来るんだろうな。
いや、それだけはやめて欲しい。

二つの探索が接点を持ってしまう?うすうす感づいてしまうが、この二人の出会いからしてそんな偶然があったら「ご都合主義」のそしりを受けてしまうのは必至じゃないか。

ネタバレは書くまい。
だが、途中まで読んだ人は誰しもその方向への予感を感じるだろう。

仮に接点を持とうが、ガッチリ重なってしまおうが構わない。
点線は点線のままでは少年が可哀そうだ。

ちゃんと実線にしてあげなければ、作者も終わるに終われないだろうし。

点線のスリル 軒上泊著



キケン


表紙がいきなり漫画だったのには少々面食らいましたが、あの「フリーター、家を買う。」の作者の本でしたので、思いきって手を出してみました。

「フリーター、家を買う。」はドラマ化までされて、寧ろドラマの方が有名になってしまった感がありますが、ドラマは原作の良さを出していたのでしょうか。
ドラマは主人公君が正社員になるところで終わっていたように記憶していますが、原作は少し違います。
寧ろ、正社員になってからの目覚ましい成長ぶりの方が光っていたように思えます。

さて、この「キケン」ですが、こうしてカタカナで書くと「危険」としか思えませんが、成南電気工学大学という男ばかりの大学の「機械制御研究部」略して「キケン」。

新入生向けのクラブ説明会でいきなり爆発実験。
グランドで大爆発を起こして、3階まで達するほどの火柱を上げるわ、クレーター並みの大穴は空くわ。
確かにキケンなクラブです。

上野先輩という二回生でありながら部長のハチャメチャなやり方が物語を引っ張って行くのですが、合い間、合い間、に登場する夫婦の会話からして10年前の思い出話だとわかります。

学園祭の模擬店では「模擬店とは店の模擬だ!」とわけのわかならい叫びと共に本格的な店舗を急ごしらえで作ってしまい、一日三交代二十四時間制って学園祭でなんで深夜営業なの?
去年の売上の3倍を目指す!ってどこまでも本気。

そんな思い出を妻に語りながら、あそこはもう自分の居る場所じゃないんだ、と学校から遠ざかる本当の主人公さん。

全力無意味、全力無謀、全力本気。
一体、あんな時代を人生の中でどれほど過ごせるだろう。

楽しかったのは正にその厨房の中で、シフト終わるなり植込みに突っ込んで寝るほど極限まで働いている正にその瞬間なんだ。

爆弾やら学園祭やらロボット相撲大会やらでのハチャメチャぶりは有川さんにしてみれば前振りでしかなかったのすね。

それにしても前振りにしてはずいぶんと派手にやんちゃに遊びましたね。

ある程度の年齢の人なら誰しも、このぐらいの世代の頃には程度の差こそあれ、人にも言えないほどのバカをガムシャラにやっていた記憶はあるのではないでしょうか。

確かに世の中、不景気で、就職難で・・・でも、そこで小さく自分をまとめてしまわずに!

今しか出来ないことを精一杯やれよ。

無意味に思えることでも、無謀と思えることでも、なんでも全力で、本気でやっておけよ。

という有川さんから若者への強いメッセージが伝わってくるのです。



華麗なる欺き


「犯罪のアーティスト」
「標的を狙う二人の天才詐欺師の頭脳ゲーム」

なんだかわくわくするような本の帯。
もの凄く楽しみにして購入したのはいいが、なんだんだろう。
この虚しさは。

こんな立派な装丁にしてもらって、いかにも売れ筋の本です、の如く並べられてあるにしちゃ、この作者、拙さすぎだろう。

ルパンという通り名の詐欺師の大元締めが居て、その子分格にコヨーテとフォックスという通り名の男性と女性の詐欺師のそれぞれの息子と娘の詐欺師がわたり合う、という設定。
むろん設定そのものにも突っ込みを入れたくはなるが、拙さというのはそんなところじゃない。
冒頭のシーン、
テレビ局の編成になり切って、放送枠をプロダクションに売りつける。
本契約の日に現金で1億何千万を現金で用意させる、だとか、なんだか当たり前の如くに言っちゃっていますが、「現金で」って、政治家の裏献金じゃないんだから、そんなことを言いだした途端にアウトだろ。
銀行振込みNGならそれなりの場面なり仕掛けなりを用意して下さいな。
相手も会社なんだから、銀行を経由しない金銭取引を強いるには税務署から脱税を疑われないような仕掛けを用意してあげなきゃウンというわけがないし、そもそもその根拠がない。
その後のポーカーのシーンにしたって相当にひどいが、それもスルー。
そんなシーンは山なのでいちいちあげつらうような馬鹿げたことはしない。

なんといってもお粗末なのは、作者が登場人物をしてさすがは天才詐欺師だのさすがはアーティストだのと書いてしまっているところだろうか。
この天才詐欺師とアーティストという言葉が何度出てくることか。

そんな「さすが」も「天才」かどうかも「アーティスト」かどうかもは読者に判断してもらうものだろうに。

一流の詐欺師は一流の心理学者だ、とか。
さすがは心理学者と思わせてくれるのかとお思いきや、ごくごくありきたりなセリフで「なるほど」と唸る箇所がない。
この作者、自分の書いているものに自信満々なんだろう。
全部空振りだけど。
うんちくの披露っぽい箇所にしても、どれ一つとっても「なるほど」「そうなんだ」などと納得させられる箇所が無い。

そもそも編集者はなんでストップかけなかったんだ?

こんな作品に立派な装丁をして帯に宣伝文句を入れて、1700円で売ろう、なんてことするから、出版不況になるんじゃないのか。
期待して読んだのはいいが、アニメのルパン三世30分ほどの値打ちも無かった。

やっぱり電子書籍なんだろうか。
装丁も無し。
但し中身で値段が決まる、っていうのはいかがか。
この本なら100円ダウンロードでどうだろう。
まぁ100円なんだし仕方無いか、と納得出来る値段設定だと思うが。

この本を読んでの唯一の感想は、出版社による「華麗なる欺き」にひっかかってしまったなぁ、と言ったところだろうか。

華麗なる欺き  新堂冬樹著