読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



春申君


晋と楚の二大国とその狭間にある小国の数々、晋の有力者の韓氏、魏氏、趙氏がそれぞれ独立して韓、魏、趙の三国に分割となり、小国乱立の中、相変わらず強国だった楚、どんどん力をつけて来る秦。

その戦国時代も秦の始皇帝の登場で終焉するわけだが、その終焉する手前の何十年間を背景として据えている。

戦国四君の一人と言われる春申君。

戦国四君とは斉の孟嘗君、趙の平原君、魏の信陵君、そして楚の春申君なのだそうだが、何故この四人が戦国四君なのだろうか。

孟嘗君なら理解できるが、以外は単に「君」を号しただけではないのか。

将軍としてなら、この本にも登場する白起などの方が、はるかに名将だろうし、宰相として有能な人というなら、やはりこの4人ではないだろう。
共通点は、食客を何百、何千と集めたところなのだろうから、この「君」の定義は食客の多い人、なのだろうか。

この著者の本、時代背景というか前提無しでいきなり始まるようで、宮城谷本を読破した方ならなんとも無かろうが、そうでも無ければなかなか物語に入って行けなかったのではないだろうか。

登場する人物についても、宮城谷本か何かを読んだ人でなければなかなか、ついていけないのではないか、という気がしてならない。

宮城谷の本はほとんどが楚を脅威とみなす楚の北の国の登場人物が多いので、楚の視点から描かれたこの「春申君」は宮城谷とは別の視点を追い求めた結果なのかもしれない。

さすがに孟嘗君を悪く書いているところはないが、宮城谷が『奇貨居くべし』という長編の主人公に据えた呂不韋などは、まるで武器の商人、悪徳商人のごとき扱いなので、やはり楚から見た眼というものもたまには必要なのかもしれないが、それにしてはどの人物も描き切れていない。

この本の中に白起が趙軍を撃破してその敵兵40万人を生き埋めにした、とある。
実際に何かの史書に書かれているのだろうが出典は書いていない。
中国の古代史、いや古代史どころか現代史でも有りがちであるが、こういう何十万人云々はよく出てくる。

だが、実際に考えてみてどうだろうか。

死んだ人間、40万人を土葬にするだけだって壮大なスケールの土木工事が必要になるだろうに、ましてや相手は生きた敵兵でそれを生き埋め、って一将軍が撃破だ、突破だ、という行為だけで為せる技ではないだろう。
それこそ、魔法使いでも無い限り。

こういう話が残っている、ということは、誰かがそのように喧伝して廻ったという事実があるのみで、40万どころか、100人の生き埋めがあったかどうかさえ疑わしい。

しからば、そのように喧伝して得をしたのは誰か。
秦の横暴を唱えたい側か、秦に逆らうと恐いぞ、脅しに使う秦の側か。

はたまた秦の後の漢の時代にでも白起の凄まじさを表現する誰かが書きあげてしまったのか。

こういうあたりを素通りしてしまうところが、この本の奥行きを無くしているように思える。

いずれにしてもまた一人、中国の古代史を描く人が現れたのは喜ばしいことには違いないが、どうにもまだまだ、時代の風景が見えるところまで行っていないのが少々残念である。



朝鮮半島201Z年


朝鮮半島の近未来史、と言われればまず、北のことだろうと考えてしまう。
「半島を出でよ」みたいな本なのかと思いきや、そうでは無かった。
北よりも寧ろ南の方が主人公なのだ。

2010年11月出版のこの本、著者は、普天間基地移設先に伴う大失策や、例の尖閣の問題という直近の話まで書き込んでいるので、この近未来は2010年10月~せいぜい2015年ぐらいまで、というほん目の前のことを描こうというかなり勇気の要る試みを行っている。

201X年、仁川(インチョン)国際空港の沖に北の潜水艦が出現し、交戦状態となった結果、誤射によって中国貨物機が墜落するという事件が発生。

米軍は介入しないまま、中国は事故調査の名目で仁川沖にどうどうと海軍を繰り出し、海洋調査もたっぷりと行う。

北と交戦が起きるような仁川という立地の安全性が問題となり、中国は仁川から全面撤退。各国の航空会社も仁川から撤退し、空港は閉鎖状態となってしまう。

それに伴って、韓国通貨が売られ、通貨危機へと向かって行く。
それでも韓国は1997年通貨危機の苦い経験より、IMFへの依頼を行おうとしない。
では、アメリカが助けるか、と言うと、まずはIMFへ頼めよ、という姿勢。
日本もアメリカを見習って静観。

そうこうしているうちに輸入と輸出に頼る韓国の外貨はどんどん目減りし、自国通貨は下げ止まらず、本格的な危機に陥ろうと言う時に救いの手を差し伸べたのが中国。

中国の政府系ファンドが888億ドルもの巨額資金を韓国に投資。
下落していた韓国の株式市場の優良銘柄の株を最安値で買いに入り、優良企業の軒並み大株主となる。

識者は「韓国を丸ごと安値で買ったようなもの」と眉をひそめ、そのあたりから韓国内の親米派は影が薄くなり、親中派が韓国の大勢を占めるようになり・・・。
そして、201Y年、201Z年・・へと。

というような出だしなのだが、一番最初の北からのちょっかいと似たような、いやもっと過激なことが昨年秋2010年11月に実際に起きた。

北朝鮮によるいきなりの延坪島(ヨンピョン)への砲撃事件である。

ここも仁川からさほど遠いわけでは無い。

しかしその近未来の初っぱなは、小説とは違った。

すわ、戦争勃発か、と思わせるような事件だっただけに尚のことであろうが、実際の李明博大統領は、この小説の朴大統領よりはかなりクレバーな人だった。
小説の中の大統領はこの北の潜水艦の存在を無かったことにしようとしたが、李明博氏は、断固とした対応を取ることを発表し、国防のTOPを軍生え抜きの強硬派と言われる強気な軍人を据えることで、その意気を示した。
米軍も放置するどころか、大規模な米韓合同軍事演習を実施したのだ。

この初動の違い、まさかアメリカのTOPがこの201Z年を読んで、放置しては大変だ、などとと思ったわけではないだろう。

韓国も米国も双方の重要性を充分に認識しているのだろう。

仮に韓国に再度通貨危機が訪れたとしてもアメリカも日本も見て見ぬふりなどはしないだろう。

巻末の著者略歴を見るとは著者は日本経済新聞の記者として87年~92年までソウル特派員として勤務している。
なるほど、その頃であれば、韓国はまだまだ日本に対する対抗心むき出しの反日感情が大勢だったかもしれない。

ところが最近はどうか。
もう反日感情を持って日本を妬むなどと言うレベルはとうに超えてしまったのではないだろうか。
辛坊治郎が言っていたのだったか、日本経済新聞の記事だったか、いや、もはやどこでも言っているか。
・AEJ(Asia Except Japan):日本を除くアジア は急成長している云々。
・NDC(New Declining Country)新衰退国、とアジア各国から呼ばれる日本。
そんな日本を横目に自動車、家電という日本のお家芸はもとより、従来のお家芸の造船、鉄鋼・・すべからく日本は抜かれただけでなく、容易に縮まらないほどに大きく水を開けられている。
韓国は今や、はるか上から日本を見ていて、もはや反日でもないだろう。

それにこの3.11の巨大震災だ。
これがまたこの小説の近未来を大きく変えただろう。

日本は必ずや立ち直るだろうが、立ち直るまでの間に日本がこれまで維持していた世界の中のシェアですら、供給が追い付かない以上は、必ずどこかが持って行くだろうから、そこからの復活戦となるのだろう。

それにしても気になるのはこの著者は、87年~92年までソウル特派員だった経験からだけでこの本を書いているのではなく、現役の日本経済新聞の編集委員だ、ということである。
現役の編集委員の方であれば、かなり現実的に起こり得るものでなければ書かないだろう。

著者はあとがきで「予想したり、希望した未来ではない」としながらも
「ファクトを踏まえた上での思考実験」だと記し、
「なぜ、その未来が起こり得るのか」を読んで欲しいと記している。

延坪島の砲撃では初手からして方向は違ったものの、そうなる(この小説の世界となる)可能性はまだまだ残っているということなのだろうか。

確かに中国人はもはや民主化を望んでいないのではないか、という著者の考えはうなずけるものがある。

与野党でのねじれ国会で何ひとつ進まない日本を横目に見れば、そんな議会制民主主義よりも一党支配で素早く一手一手を打てる政治体制もまんざらではない思いもあるだろう。
ただし、成長している限りにおいては、という前提が付くが。

しかしこの著者、現役の方にしてはちょっと日本の各新聞の扱い方もかなり極端のような・・。
朝日と思われる新聞が登場するが、数十年前ならともかく今やさほどに左傾化はしていないだろうし、サンケイではないかと思われる新聞にしても核を保有した北にいきなり攻撃をしかけろーなどと言うほどに短絡的な新聞ではない。

そこは小説として大目に見ても、いくら半島が中国という大国を背景にしていたにしろ、誇り高い現在の韓国の人々がさほど容易く従中思考になるとはかなり考えづらい。
例え経済的に中国に頼ったとしてもこの小説にあるように精神的に従中べったりはちょっと考えづらい。
寧ろ、あの史上稀にみる奇態な政権を担いでしまった日本の方が従中べったりに陥る可能性があるのではないだろうか。
この韓国クライシスのシュミレーションは寧ろ日本を向くかもしれないのだ。
原発事故による海洋汚染調査の名目で中国海軍が日本領海へ出没する可能性は充分に有り得る。

とはいえ、日本は今や誰が奇態だとか、どの国が奇態だとか、それどころではもちろんないのではあるが・・。

それにしてもいくら支援の手を差し出したしたからと言って、福島原発事故初日に海水が汚染されると塩が汚染される、とばかりに塩を買い占めに走ったり、それまで高級食材ろして有り難がっていた何の関係もない日本海産のナマコを輸入停止にしたり、他の魚介類もしかりか。
・・と。そんな国に従属されることだけはなんとしてもご免蒙りたいものである。

朝鮮半島201Z年 鈴置高史 著



苦役列車


芥川賞の選考委員も粋なはからいをするもんだ。
2011年1月の芥川賞受賞作にはこの「苦役列車」と朝吹真理子氏の「きことわ」がW受賞。
全く正反対と思える作品。作者。
方や、文学一家に育った才媛。そう言われるのは本人は本意ではないかもしれないが、世間はそう見る。
方や中卒で日雇い仕事を続けて来た男の独白。

「きことわ」に関しては、「精緻な文章」だとか、「高い完成度」だとかという褒め言葉が、数多く聞かれる。
なるほど、こういう作品が芥川賞を取るんだろうな、といかにもプロを喜ばせる文体とはこういうものなのだろうな、と思いつつ、さほどに文学通でもないこちらにとっては、あまりに退屈で面白みのない内容に少々辟易とさせられた。
敢えて言うなら20代の女性がよく40代の女性の心境がわかるのものだなぁ、と感心したぐらいのことだろうか。
前作の「流跡」の奇妙さの方がまだ少しは楽しめる。

それに比べてこの「苦役列車」と来たらどうだ。
よくぞ選考委員は芥川賞に推してくれたもんだ。

むさい臭いが読んでいる側にまで漂って来るような一冊である。
小学生の頃に父親が性犯罪を犯し、近所に住んで居られなくなり、母親と転居し、姓も変わる。
以来、友達らしい友達は持たず、中学もろくすっぽ行かず、中卒にして日雇い人足業に有りつく。
これと言って目標があるわけではなく、貯金も無く、少々小銭が溜まったら、フーゾクで使い果たし、その日の酒とその日のメシに有りつけばそれで良く、溜まった金を持たないので、家賃はすぐに滞納し、そして追い出され、また新たな住みかを見つけ、そこもまた追い出されの連続。

この手の本は嫌いな人からはとことん嫌われそうな本だな。

それにしてもまぁ、どうしてこうも自虐的なんだろう。
自らをゴキブリとまで言ったりして。

日雇い人足とはいえ、汗水垂らして働く喜びの一つもあっただろうに。

さて、今回の未曽有の大震災。

こんな時にこそ、主人公君のような人の出番なのではないだろうか。
主人公君がコンプレックスを抱く、エリートやホワイトカラーなど未曽有の災害のさ中でどれほどの役にも立とうか。

どこで寝ることも厭わず、肉体を資本に生きて来た19歳。

東北地方の復興に是非ともそのたくましさを発揮してくれ。

こりゃ感想でもなんでもなくなってしまった。

苦役列車  西村賢太 著 第144回芥川賞授賞作