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趙紫陽 極秘回想録  


2010年10月8日、中国国内で初のノーベル賞受賞者がが発表された。
劉暁波(りゅうぎょうは)氏。
天安門事件にて民主化運動に参加し、その後もずっと中国の人権問題に取り組んで来た人物。

このことはさんざんメディアで取り上げられているが、今や全く話題にものぼらなくなり、あの天安門事件以来すっかり表舞台から姿を消したかつての彼の国の指導者的役割りを担っていた人物が存在した。

趙紫陽氏。当時の総書記。
天安門事件以降、表舞台から姿を消し、2005年に亡くなるまで、自宅で軟禁生活を強いられて来た人物である。

趙紫陽氏は自宅での軟禁生活時代にかつての出来事を記録しておこうと60分テープ30本もの録音を残していた。
この本はその録音を本にまとめたものである。

歴史にIFは禁物なのかもしれないが、あの天安門事件に至る前のデモが起きた時に趙紫陽氏が国内に居たのなら、北朝鮮を訪問などしていなかったとしたら、その後の成り行きはかなり変わったのではないだろうか。

当時、改革開放路線を進めるにあたって、トウ小平氏が最も信頼していたのが趙紫陽氏だったという。
その趙紫陽氏は学生達の言うことに耳を傾けるようにと、当時の首脳部に約束を取り付けてから北鮮へ出かけている。
その約束を反故にし、トウ小平氏の名前で反社会主義的動乱という社説を李鵬氏が発表してしまってからというもの、学生達の怒りに火が付いてしまった。
いや怒っていたのは学生ばかりか、労働者も然り。言わば民衆が怒っていたのである。

当時、改革開放路線を取っていた中国にとって民主化や言論の自由はいずれくぐらなければならない門であっただろう。

趙紫陽氏が学生達と早い段階で話し合いをしていれば、案外その道を緩やかに辿っていたのかもしれない。

もちろん、これはあくまでも趙紫陽氏側の言葉だけからなる回想録なので、一方的に断ずることはもちろんできないのではあるが・・。

しかしながら、その後、趙紫陽氏と敵対する立場に有った李鵬氏や江沢民氏が政権運営をあたってからも、その後の胡錦濤氏、温家宝氏の時代になってもさらなる中国の経済的発展は続き、ついには世界第二位のGDPを誇るまでの存在にまでなっていった。

つまりは、民主化や言論の自由というものが封殺されたまま、経済的にだけは発展を遂げて来たわけだ。
案外、李鵬氏側のねらい通りなのかもしれない。

天安門事件当時、参加していた学生や労働者はまさか自分達に銃が向けられるとは思っていなかっただろう。
デモ隊を制止する側の警察官達でさえ制止はうわべだけでどちらかと言えば静観していたぐらいなのだから。

現在の中国のそのいびつさは、各メディアでも取り上げられている通りなので、端折るが、国民は政治に文句を言わない限りは経済的に豊かになっている現状に大きな不満があるわけでは無かろう。
いや不満があったとしてもあの天安門での武力弾圧が歯止めになっていたのかもしれない。
過去に緩やかに流れるはずだった民主化の流れは、経済成長がストップした段階で一気に巻き起こるのかもしれない。

天安門事件後、日本へ逃れて来て、という小説で芥川賞を受賞した楊逸氏の「時が滲む朝」の登場人物達も日本という外から中国の民主化を!と訴えていた人たちがやがてはビジネスにのみのめり込んで、民主化運動なんて時代遅れ、と言わんばかりになって行く姿を描いていたでは無いか。
ただ、あの小説では主人公がテレサテンに惹かれただけで民主化とは何ぞやを知らないままにデモに参加していたあたりがなんとも頼りないと言えば頼りないが・・。
いずれにしても今や金儲けが最優先なのだ。

それにしてもどうやって、あの共産主義のイデオロギー一色だったあの国があそこまで改革開放路線を進めることが出来たのだろうか。
この趙紫陽氏の回想録にその成り行きが著されている。

いくらトウ小平氏が改革開放政策を唱えたところで実務者が居なければ、絵に描いた餅になってしまう。
この趙紫陽氏こそがそれを成し遂げた実務者であった。
趙紫陽氏と共に経済発展の道を推し進めた胡耀邦氏はその発展の目標があまりに急ピッチで、生産力を四倍にせよ、などと、とかく暴走気味であったものを趙紫陽氏は緻密に実践路線へ軌道修正し、方や保守的で旧イデオロギーにどっぷり漬かった、李先念氏、陳雲氏、といった党の長老派で改革反対派の人達を懐柔し、なんとか10年で天安門まで改革開放を成し遂げて来た。

趙紫陽、胡耀邦両氏の存在が無ければ、中国は21世紀まで自給自足路線を貫いてしまっていたかもしれない。

その趙紫陽氏は自ら推し進めた改革開放政策時代にも既に、二つのシステムが共存する矛盾は、いずれ問題噴出の種となるだろう、と予見していた。

そして、その噴出の結果が天安門事件である。

21世紀になってからの北京オリンピック、上海万博を経て、開かれた国のイメージが出来つつあっても尚、方や言論封殺があったり、一党独裁の国であることは、誰しも承知の上ではあったであろうが、この度の劉暁波氏のノーベル平和賞受賞にあたって、中国のメディアがいかなるものなのか、その名前が放送に流れるや否やテレビがまっ黒けになってしまうという異常さを世界が知ってしまった。

はてさて、この先、趙紫陽氏の抱いた矛盾はどういう形で噴出するのだろうか。
もはや第二の天安門は無いだろうが、果たして趙紫陽氏が目指した軟着陸と行くのだろうか。

天安門以後のデモは悉く官製デモと呼ばれるている。
本日、四川省で起きたというデモも異例である中央委員会の開催中に反日デモと言うことはまた強力な保守派が台頭して来たのかもしれない。
趙紫陽氏の頃から、改革派は常に強硬な保守派と対峙しなければならなかった。

トウ小平氏でさえ、改革開放と言いながらも最もやりたかった事は行政改革で、三権分立にはあくまでも反対だったという。
議会制民主主義では機動力も無ければ、政治にスピートが出ない(即決出来ない)、というのが口癖。

今や世界は中国抜きには語れないところまで来ている今日である。

世界中が今後の中国の着地点を注視している、と言っても過言ではないだろう。

趙紫陽 極秘回想録 天安門事件「大弾圧」の舞台裏! 趙紫陽 (著), バオ・プー (著), ルネー・チアン (著), アディ・イグナシアス (著), 河野純治 (翻訳)



アナザー修学旅行


怪我やらなんやらで修学旅行に行けなかった3年生数人。
朝から学校で一つの教室に集められるが、授業があるわけではない。
修学旅行の代わりに奈良や京都の修学旅行コースのDVDを鑑賞させられる。

それにしてもまぁ、なんて真面目な中学3年生達なのでしょうね。
考えられない。
普通、修学旅行へ行けない状況なら、わざわざ学校へ出て来なくても、適当に遊んで過ごすんじゃないにかなぁ。
受験勉強に勤しみたい3年生なら、受験勉強にあてるだろうし、そんなことに興味の無い子なら、今どきなら自宅でゲーム三昧ですか。

いずれにしても真面目に学校へ出て来て、尚且つ校則を守ろうとするなんて・・。
校則からほんの少しはずれたことを行って遊ぶなんて、なんとまぁクソ真面目なこと。

修学旅行へ行けなかったのは、足を骨折した平凡な主人公の女子。
芸能人としてテレビドラマに出演しているため、旅先でファンに押し寄せられたら、との理由で取りやめた女子。
転校して来たばかりの女子。
直前に他校の生徒と喧嘩をして怪我をした男子。
児童養護施設から通っている男子と女子の計6名。

それに中学へ入学してからずっと保健室暮らしをしている男子1名が加わっての計7名。
皆が修学旅行へ行っているその数日間の間に、クラスもバラバラ。
ほとんど会話が成り立たないような集まりが、だんだんと一つにまとまって行くというお話。

児童文学の新人賞受賞作らしいが、なるほど、児童文学にならこういうお話がいいのかもしれない。

この人の作品を実際の中学生が読んだらどう思うのだろう。
大いに気になるところだ。

痛い小説だなぁ、と思われるのか。

感動しました、って思われるのか。

この小説の成否はまさにそこにかかっているのではないだろうか。

アナザー修学旅行 有沢佳映著  2009年講談社児童文学新人賞受賞作品



吉祥寺の朝比奈くん 


本のタイトルってやっぱり大事ですよね。
この本、
「交換日記はじめました!」
「ラクガキをめぐる冒険」
「三角形はこわさないでおく」
「うるさいおなか」
「吉祥寺の朝比奈くん」と中篇5作が収められているが、「吉祥寺の朝比奈くん」以外の4篇のどのタイトルが本のタイトルになっていてもやはりこの本を読む対象をしては考えなかっただろう。

「交換日記はじめました!」という作品。
本来、二人で始めたはずの交換日記に割り込みの書き込みが入り、そしてノートは歳月を経て、人の手から、人の手へ、その人達がまたそこへ書き込みを残して行く。
二人で始めた掲示板に参加者が増えていった、というのともまた違う。
決してインターネットの掲示板のように広く開かれているわけじゃないんだから。
ある時は日記であり、ある時は次の書き手へのお手紙。

ちょっとめずらしいタイプの物語。

「ラクガキをめぐる冒険」、「三角形はこわさないでおく」、「うるさいおなか」なども各々コメントをしてみたいところはあります。特にこの「うるさいおなか」。
これなどはなかなかに楽しい。
それでもそこらは置いておいて、本題の「吉祥寺の朝比奈くん」に移ろう。

吉祥寺の朝比奈くん、なんて悪いやつなんだ。
そんなことをおくびにも出さないような性格をしているのになぁ。
吉祥寺の朝比奈くんっていう本のタイトルからしたって、悪いやつはなかなか想像しないわな。

「僕の場合、誰かと付き合いはじめても、すぐに関係が希薄になり、そのまま連絡が途絶えてしまう。人の心とはうつろうものだからしかたのないことだ」
という言葉でなんとなく納得させられてしまっているが、

ある女の子と付き合い、好きでしょうがなかったけれども別れることにし、新しい恋人と部屋に戻って来たら、その子が居て、包丁を持って大暴れ。
アパートは追い出され、バイトもクビ。新しい恋人とも別れて、泊まるところがなくなるが、新しいアルバイト先で知り合った女の子の家に即、居候する。
心のうつろいやすい性格だから、と聞いて、ああそうなんだ、と思ってしまうが、その行動原理って世の中一般では、女ったらしって言われるんじゃないのかなぁ。

そんな行動原理そのものはどうでも良いのだが、たかだか金のためだけにかなり用意周到な準備をして一人の女性を騙そうとする。
これはひどい。

それでもなんだかんだと最終的には許されてしまうところが、もてる男の特権なのだろうか。
大半の世の男たちはその理不尽さに歯がみすることだろう。

中田永一/「吉祥寺の朝比奈くん」/祥伝社刊