読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



フリーター、家を買う。 


このタイトルにはびっくりさせられてついつい読みたくなってしまいますよね。
フリーターがどんなムチャをやって家を買ったんだろうって。

実際には元フリーター、家を買う、の方が正しいし、もっと言えば、いや言わないでおきましょう。未読の人の迷惑だ。

破天荒な物語を期待していた向きにはちょっと意外な展開かもしれません。
無茶なことを行う話ではなく、若者の成長を描いている本なのです。

この主人公、そこそこの高校からそこそこの私大へ行き、そこそこの会社へ就職するも、わずか3カ月で辞めてしまう。
その理由が新人研修がドン引きするようなものだったから、というのだから救われない。
初めて就職した会社を3カ月で辞めてしまう人間に世の就職係は厳しかった。
就活はほどほどに、アルバイトにのめり込む主人公氏。
少しバイトしては辞め、自宅の自室で漫画にゲームにパソコンでだらだらの暮らしの繰り返し。

バイトの辞め方にしても酷いもんだ。
店長からちょっと挨拶の仕方を指摘されただけで、
「分っかりましたー!今日で辞めます。俺的にもう無理なんでー。」
と、最悪の辞め方。
いくらアルバイトならまだあると言ったって、そんなことを繰り返していたら、そのアルバイトだって無くなっちゃうんじゃないの、みたいなどうしようもないフリーター君があることを境に見違えるようになって行く。
たったの半年でその前とその後の違いはどうだろう。

この青年氏住む家、ここ20年間の間、ずっとご近所から苛めに会っていた。
この青年氏は20年間住んでながらそんなことも気がつかなかったほどのノーテンキ野郎だったということだ。
子供の時に苛められていたことにも気がつかなかった。
気が付いていたのは母と姉。
その苛めを一手に引き受けて家族に気がつかないようにしてくれていたのが、母親。

その母がとうとう、プッツン来てしまった。

精神的にかなりの重症状態に陥って、初めて金を貯めなきゃ、とまじめに夜間の工事という肉体労働に精を出すようになる。

その後のことはあまり書かない方がいいだろう。

それでもこのどこへ面接へ行っても絶対OUTになっていた彼が、逆に面接をする側に廻る。
その際の採用基準は、かつての自分みたいなやつを真っ先に振り落として行けばいいんだ、というもの。
出来が悪かった時代も役にたったということか。

この小説、登場人物のキャラがそれぞれにきわだっていて、楽しい。
自分に弱い父、いつも強気で正論を述べる姉、勤め先の作業長。
主人公氏の面接で後から採用する二人の人物。
片方は東大土木工学科出身の女性。
亡くなった父の後を継いで現場監督をやりたいから、東大の土木工学科を出るというのは何か違うように思うのだが、それすらいい。

この本、かつてWEB連載をしたものを単行本化したものだという。
作者も自ら長年フリーターをして来たという人らしいので、ここに書いてあることは満更作り話ばかりではないのだろう。

就活での面接官の物言いや、ハローワークでの職員の物言いなど、かなり実体験を元にしているのかもしれない。

これが単行本化されて1年経った今、若者の雇用は新卒雇用はおろか新卒でさえも厳しい状態が続いている。

この本がそんな人達の活路を見出すのに役立てばいいのになぁ、などと思わずにはいられない。

フリーター、家を買う。 [幻冬舎] 有川 浩 (著)



海と毒薬 


第二次世界大戦中に実際に日本で行われた米軍捕虜の生体解剖を題材にした作品。

『神なき日本人の罪意識を問う』と遠藤周作さんは語っているそうですが、
神を持たない、そして戦争も知らなければ苦労も知らない自分にとって、理解できるのだろうかと思いながら読み始めました。

ざっとあらすじ。

話は戦後に始まります。
主人公のようにして登場する男は、地方から東京に引っ越してきて、持病の気胸の治療ができる近所の医院をたずねます。

その病院の先生は暗く不気味ですが、いざ治療をしてもらうととても腕のよい先生だということがわかります。

先生のことがどうも気になる主人公は、先生の故郷が九州と聞き、九州の親戚をたずねたときに出会った医師に、その先生のことを知っているか尋ねます。
そこで主人公は、先生が戦時中にある事件に関わっていた事を知ります。

そこから時代は戦時中に戻り、過去の描写や、事件に関わった人たちの供述書のような形で話が続いていきます。

生体解剖に関わった理由はそれぞれの人で異なります。
でも共通しているように思われるのは、それぞれの理由が大したことではないということです。

大したことではないと言い切るのはおかしいかもしれませんが、そのような背景で、同じような不幸な出来事を経験したり、悔しい思いをしたりする人はたくさんいたであろうと想像できるような理由です。

つまり、どの理由も生体解剖に関わる理由にはならないのです。

生体解剖そのものに対して誰も向き合うことなく、その場に至ってしまっているところが恐ろしいのです。

この本を読んで思い出したことがありました。
中学校の時の歴史の授業です。
教科書には載っていない南京大虐殺での日本人の残酷さについて記した文献を教材にしたことがありました。
耳をふさぎたくなるような内容で、なんて日本人はひどい事をしてきたのだろうと感じました。
そのとき、心から『日本人は残酷だ』と感じました。

でも、時が経って、いろんな戦争の報道を見たり聞いたりしているうちに、『日本人は残酷だ』という感覚はなくなっていきました。

よく戦争の異常な状況下では、人間性が失われて恐ろしい事を平気でしてしまうようになる、などと聞きます。それを聞くと、戦争中に人間は残酷になってしまうけれど、それは状況のせいであって、人間そのものが悪いわけではないなどと言っているようにも聞こえる時があります。

そんな話に触れるうちに、とくに自分で真剣に考えたわけでもないのに、戦争は国とか人種とか関係なく、人間を狂わせてしまうのだ、と考えるようになりました。実際に戦争という状況はどのような人間をも狂わせるのは事実だとは思います。それにしても、『その状況下で日本人は』という考え方が薄れていってしまいました。

でも、この本では、日本人の恐ろしさを説いているように感じます。
そして自分も大したことない理由から残酷な事をしかねないような気がしてきます。

それは『神なき日本人』だからなのかどうかはわかりません。

『日本人』を他の国や人種と区別して考える事が正しいかはわかりませんが、『日本人』の歴史を振り返るときには、自分が『日本人』であることを真剣に考えて見る必要があるのかもしれないと思いました。

何年かしたらもう一度この本を読んでみようと思います。

きっと何かがわかったり、すっきりしたりする事はないと思いますが、まだ考えないといけない事があるような気がします。

そしてもう一つ思う事は、次に読むときは、少しでも世の中が、世界が良くなっていてほしいという事です。

海と毒薬  遠藤 周作著



出口のない夢―アフリカ難民のオデュッセイア 


南アフリカで開催されたサッカーワールドカップ。
前大会優勝国のイタリアは予選敗退。
準優勝のフランスも予選敗退。
当初、決勝トーナメントはいったいどれだけ盛り上がらないものになるのだろう。
ヨーロッパのサッカーは終焉を迎えたのか・・などの下馬評を余所にヨーロッパ勢がスペイン、オランダ、ドイツの強豪が1位、2位、3位を独占。
決勝トーナメントの盛り上がりも凄かった。

その開催国である南アフリカは次には五輪の開催に名乗りをあげるのだという。

その発展目覚ましい南アフリカでさえ、開催前は治安が問題視されていた。

発展目覚ましいとはいえ、その労働力の実体は高学歴者や高技術者はアメリカ、カナダ、オーストラリア・・などへ移民として流出し、モザンビーク、ジンバブエ、ボツアナ、ナミビアといった貧しい国からの大量の移民が低賃金の労働者として移民として流入してくる現実を普段はアフリカなどに興味もないメディアでさえ伝えていた。

この本は南アフリカが主題ではない。
西アフリカの話が大半であるが、西であれ、南の周辺国であれ、多少の事情は違えど悲惨であることには変わりはない。

ヨーロッパへの出稼ぎ、それも命の危険を冒してまでしてヨーロッパへ渡る彼ら。
それも国へ残して来た家族を養うためだ。
EUが出来てからヨーロッパ内部での壁は低くなった分、アフリカに対する壁は高くなってしまった。
一旦、ヨーロッパへ出稼ぎに出たものの、おいそれと帰れるものではない。
この本では4年がかりでヨーロッパへ渡り、14年間もの間、国へ帰れなかった男性のヨーロッパへ渡るまでの4年間の道のりを追いながら、その道のりで出会った取材結果が取り上げられている。
14年間、という年数はこの男性ばかりではないだろう。
0歳の子供なら14歳、4歳の子供なら18歳、それだけの期間を遠方からお金は送金したとはいえ、一回も顔を見ることすらない。
14年経って返って来たところで、子供からすれば、父親という身近な存在としては到底見ることは出来ないだろう。
どこかのおじさんが来たみたいな感触しか持ち得ない。

そんな話、こんな話の本であるが、著者が強調しているのはアフリカが今日の貧しさに至ったそもそもについてである。
ヨーロッパ人である著者が良くそこへ踏み込んだとは思うが、奴隷という名の人狩り無くしてアフリカは語れない。
ヨーロッパ人がアフリカの地を踏んだのは、日本の種子島へヨーロッパ人が訪れるほんの数十年前である。
支配人間(ヨーロッパ人)は金(GOLD)と下等人間(当時のアフリカ人民を指す)の輸出を始めた。
その後の四世紀の間に2900万人のアフリカ人民は殺害され、同じく2900万人のアフリカ人民が人狩りで狩られ、奴隷として輸出された。
その数字の根拠は示されていない。実際にはその数はもっと多かったのかもしれない。
アフリカは近年まで暗黒の大陸と呼ばれたがその元凶がヨーロッパ人であったことは明白である。

農業をするにもどんな産業をするにも若い豊富な人口無しでは成し得ない。
その若い豊富な人口を次から次へと輸出してしまっていたのだ。
世界が近代化の競争に走ろうと言う時にアフリカは若い働き盛りは狩られ、残った人々は大地に鎖で繋がれた。
暗黒にならざるを得ない状況を作られてしまっていた。
その四世紀の間の植民地支配、その後独立するも内戦。
労働力はと言うと若い働き盛りはヨーロッパへの出稼ぎ、移民を目指す。
ヨーロッパ人の去った後に、権力を握ったアフリカの人はヨーロッパ人の行った支配人間をそのまま模倣した。

中東の石油産出国の中には、自国の国民は一切働かなくても国が国民の生活費はおろか遊興費まで面倒をみてくれるような国がある中、現代でさえアフリカの中の産油国の中には国民一人当たりの年間所得が300ドルなどという、とんでもない搾取が行われている国もある。

近年に至るまで、ヨーロッパ人はアフリカの人民を人ではなく、人間と動物の中間と見ていたのではないか。

今回のワールドカップで日本と初戦を戦ったにはカメルーンである。
日本はカメルーンに勝利したことで自信がつき、勢いがついたことは確かだろう。

そのカメルーンにエトーという名フォアードの選手がいた。
今大会前から調子は崩していたとのことだったが、かつてエトーを扱ったドキュメンタリーを見たことがある。

彼は、若い時にスペインに渡り、レアル・マドリードに所属。出場機会に恵まれず、バルセロナに移籍、その後インテル・ミラノへ。そのエトオのスピードと切れ味は、数多の得点をチームに与え、数々の記録を残して来ている。

その彼がバルセロナに所属していた時のアウェイでの対戦中に観客席からサルの鳴き声のブーイングを浴びた際に、試合途中でありながら、ゲームを放り出して、帰ろうとした瞬間があった。
チームメイトが引き止めるのはもちろんだが、敵のチームのアフリカ出身の選手やブラジル出身の選手からさえ引き止められ、なんとそのブラジル選手は、一点取って見返してやれ、とまではっぱをかけたのだという。
そして、続行した彼は見事に点をたたき出した。

そのブラジル選手を失念してしまったが、微かな記憶ではロナウジーニョだったような気がする。

いずれにせよ、アウェイで敵方の応援観客のブーイングなどは当たり前のことなのに何故、エトーは途中退場までしようとしてしまったのか。

原因はサルの鳴き声ブーイングだ。

俺を人間として見ない連中の前でサッカーなどやりたくない。

その考えの根幹は、我々には到底想像出来ないだろう。

アフリカ全土の希望の星だった彼だからこそ、ヨーロッパ人がアフリカ人を人と動物の中間とかつて見ていた、その名残りが今もある、という屈辱に耐えられなかったのではないだろうか。

アフリカはもはや暗黒の大陸ではないのかもしれない。

それでもまだなお、アフリカの人々のオデュッセイアは続くのだろう。