読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



塞王の楯


日本の城はなんて美しいのだろう。
城の美しさというのは天守閣や城壁もさることながら、それをどっかりと支えた石垣の見事さによるところ大だ。

この本はその石垣を作る集団のお話。

近江に穴太衆(あのうしゅう)という石垣造りに長けた集団が存在した。
その中でもピカ一の集団が飛田屋という屋号の集団。
彼らが主人公なのだ。

石垣造りには、山方(石を切り出す)、積み方(石垣に積み上げる言わば花形)、そして荷方。荷方は積み方の手が空かない様に必要な石を必要な時間までに必ず運び届ける。
どれだけ無理と思われる量であってもどれだけ、期間が無かろうが、徹夜してでも積み方まで石を送り届ける。

城造りを現代で例えるなら、大規模建造物の建造の元請けは大手ゼネコンの仕事だろう。
彼ら穴太衆のそれぞれの屋号は規模で言えば現代の中小企業の規模でありながら、ゼネコンが請け負う仕事の大半を、いやそれ以上の事をやってしまう。
大阪城を作ったのだーれだ?豊臣秀吉!と答えるとぶっぶー、大工さんでした。
というと子供のクイズ遊びがあるが、当時、何々城を作ったのは?と聞かれると紛れもなく飛田屋、とか穴太衆とか言われていたのではないだろうか。(飛田屋は創作だろうが)

城の守りについてのアドバイス。差し詰め経営コンサルと言ったところか。
設計作業ももちろん行い、最も得意なのが基礎工事。
砕石業者の行う材料調達、必ず積み方まで届けるという物量業者として役割り。
そして積み方。構築そのもの。その上物は別として重要部分の大半を担ってしまう。

いざ戦が始る寸前ともなれば、逃げだすどころか、更にスピードをUPして荷方も山方も全員で積み方をやる。ここの職人たちは一度は積み方の修行をしているのだ。
そういう状態を「懸(かかり)」と呼んで、彼らの士気は高くなり、一層気合いが入る。

当初、本の帯を見た時に、絶対に破られない石垣、どんな城をも落とす鉄砲。盾と矛の戦いみたいな記述があって、城と鉄砲が戦うわけじゃないだろうに、とこの本への期待値が減ったのだが、読み始めてみて、こんなに面白い本、滅多に出会わない、となかなか本を閉じる事が出来なかった。

石垣造りに対する著者の取材もかなりのものだったろう。そういう面の面白さもあれば、プロ集団としての常にプライドを失わず、必ずやりきるんだ、という意気込みの凄さに圧倒された。
方やの鉄砲造りの国友衆にしたって、すごいものだ。
ヨーロッパ人が鉄砲をいろんな国に持ち込んだわけなのだが、そこで使いこなす民族は表れたとしても、それを自分たちで作り上げてしまう民族は世界広しと雖も、日本だけだろう。そしてわずか戦国時代の数十年の間になんと日本の鉄砲生産量は世界一になったと言われている。
この鉄砲造りの国友衆の頭である彦九郎という男は大量に人を殺す恐ろしい銃を作ってしまえば、もうそれを使うことはしない、すなわち戦は無くなる、そのために銃を造っているという。その発想、まさに核兵器と同じ発想だ。
確かに抑止力にて、核を使いあっての戦争はおきていない。
だが、プーチンみたいなやつが現れる。
核を脅しに使って、軍事支援をさせず、通常兵力で侵攻うを止めない。やはり核は生まれないに越したことはない。

彼らの造る石垣、伏見の大地震の時も伏見城の石垣はびくともしなかったという。

先日トルコで大地震があった。
2/19現在トルコ・シリアで の死者数は4万人を超えた。
地震などの災害が元で1万人を超える死者が出るのは東日本大震災以来だという。

日本の大地震の場合、関東大震災は丁度昼飯を作る時間と重なった為に炊事の火が燃え移って火災による死者が。阪神淡路大震災こちらは瓦礫に埋もれた人たちも多かっただろうが、消防車が瓦礫で通れないなどで、延々と燃え続けていたのを思い出す。火災による死者が多かったのではないだろうか。
東日本大震災言わずもがなだが、圧倒的に津波による被害者の数だろう。

一方、トルコでの大地震、こちらは映像を見る限り大規模な火災の映像はほぼ見当たらない。また津波の被害の映像も見当たらない。ほとんどが石造りの家屋やコンクリートの下敷きとなって埋もれたことによる被害だ。
亡くなられた方々にはお悔みを申し上げる。

ニュースを見たタイミングとこの本を読んだタイミングが重なってしまった。
災害の話に小説の話を重ねるのは顰蹙かもしれないが、もしトルコ・シリアの家屋を穴太衆が作っていたとしたらと思わざるを得なかった。死者は今の1/10以下になったんじゃないだろうか。
ついつい、そんな事を考えてしまった。

塞王の楯 今村 翔吾著



風のことは風に問え -太平洋往復横断記


辛坊さん、大変な事をなさったんだなぁ。

あらためて思わされる一冊。

2013年に盲目のセイラー岩本さんと二人で太平洋横断に挑戦し、無念にも転覆と相成り、救助される。
無念の記者会見は未だに記憶に新しい。
その後、「そこまで言って委員会」のメンバーからも辛坊さん、また太平洋行かないの?と事ある毎にひやかされていたが、再チャレンジするとは思っていなかった。

再チャレンジするのに8年もかかってしまったのには、盲目のセイラー岩本さんが太平洋横断を成し遂げるのを待っていたからだという。

2回目のチャレンジでは岩本さんをパートナーとせず、たった一人での挑戦となったのは、岩本さんを気遣ってのことだった。

実際には岩本さんの方がベテランで、辛坊さんの方がキャリアは浅い。
なのに、もし、成功したとしても辛坊治郎が盲目の人を同乗させて成功させたとしか、報じられないだろう、という事への気遣いだった。

この本は船に関しては専門用語がいっぱいで、いくら説明上手の辛坊さんが丁寧に説明を書いてくれたところで、イメージが湧いてこないのだが、その専門用語以外のところは人が活きる上での教訓が詰まっている本だと言っても差し支えないのではないだろうか。

何故、二度目のチャレンジをしたのか。
人間、いつかは必ず死ぬ。100%死ぬ。ならばまだ身体が動くうちにやり残したことが無いようにやり切ってしまおう。この航海をせずに人生の終わりを迎えたとしたら必ず後悔する。
同じ様な事を思った人が居たとして、それが過酷なチャレンジだった場合にそれを貫いて実現してしまう人がどれだけ居るんだろう。

どれだけ準備をしていったとしても、自然の猛威の前では予想外の事がいくらでも予想外の事態がいくつも襲ってくる。絶対に切れないはずのロープが切れたり、それをたった一人で修復したりして乗り越えなければならない。
なんという過酷な冒険だろう。

周囲何千キロメートルに人は誰もいない。自分一人だけ。そんな体験、こういうチャレンジでなければできないだろう。

サンディエゴに着いてから、ホームレスに食べ物の施しを受けそうになる。

髭は伸び放題、髪の毛もボサボサ、よくよく考えれば、それまで食べていたものはホームレスよりもはるかに貧しい。穴倉の様な場所に住んでいるようなものでホームレスの方がよほど健康的な暮らしをしているのかもしれない。

ただ、辛坊氏にには帰るべき家がある。

船の名前にカオリンなどと言う名前をつけたりするのも奥さんへの愛情があふれている。

出航直後から、遭難の危機に何度も襲われ、その都度、自分の才覚でそれを乗り切って行く。

無事にサンディアゴからの復路も終え、たった一人での太平洋の往復をやり遂げた辛坊氏。人生のやり残しをやり遂げたわけだ。

もう思い残すことはないのだろうか。

いやいや、本人がこの本で語っている。

もう一度、太平洋横断に挑戦すると。今回よりもはるかに上達しているはずだ、と。

今や、観測史上初などという異常気象が当たり前になった時代である。

これまでの当たり前が当たり前じゃなくなって来ているかもしれない。

もし、再度のチャレンジがあったとしたら、くれぐれも万全の準備とご無事の航海を願うばかりだ。

風のことは風に問え -太平洋往復横断記- 辛坊 治郎著



滅びの前のシャングリラ


凪良ゆうという作者、読ませますね。
この本読むの二度目ですが読み始めたら、もう止まらない。

1ヶ月後に地球が崩壊する。正確に言えば地球は崩壊しない。
巨大隕石が地球に激突するらしい。
人類は消滅する。

ネット記事を見た人達はどうせガセだろ、と笑い飛ばしていたが、首相が会見するに至って、どうやら本当なんだと皆、気づき始める。
一か月で皆が死ぬ。

さて、ここに登場する登場人物たちは皆、複雑だ。
学校で虐められてパシリをさせられていたポッチャリさんの少年、友樹。
小学生の時から憧れていた高嶺の花、NO.1美少女の同級生女子に虐められている現場を見られ、世界など滅んでしまえ、などと思ったりする。

方やその高嶺の花の方の同級生女子、雪絵。彼女も女王様のような立ち位置にいながらも複雑な問題を抱えている。養女として今の親に引き取られたのが幼いころ。養父母は彼女に実の親でない事は打ち明けつつも、愛情いっぱいに育てられた。その養父母に実子が埋めれる。養父母は分け隔てなく愛情を注いでくれるのだが、妹の名前が真実の子と書いて真実子。養父母にそういう意図があったかどうかはわからないが、愛情は妹に注がれ、だんだんと居場所がなくなっていく。
そんな時に起きたあと1ヶ月。

東京に住むどうしようもないヤクザもの。正式なヤクザ(組)にも入れてもらえず、便利使いばかりさせられている。喧嘩だけは滅法強い。兄貴分から便利使いで鉄砲玉を引き受けさせられる。そんな時に起きたあと1ヶ月。
実はこの男、いじめられっっこポッチャリ君の実の父親だった。

ポッチャリ君の母親、なんだかんだで一番強いのがこの女性。
あと1ヶ月と言われたって普通に平気で会社へ行こうとしたりする。

あと1ヶ月が宣告されてから雪絵はたった一人で東京へ向かおうとする。人気絶頂の女性歌手のLocoのライブが目的だという。その彼女を守ろうと友樹も東京へ向かう。

そにしてもどうだろう。

日本はこんな無茶苦茶な状態になるだろうか。
車は渋滞だらけ。いったいどこへ向かうんだ?
皆が仕事などやってられるか、となれば、店も開けてられない。物が無くなる。
無放置、無秩序、無政府状態でどの店も襲撃され、物を奪い合うのかあちらこちらが死体だらけって。

地球に10キロメートル超の巨大隕石が衝突する。
地球を救うブルース・ウィリスは存在しない。
しかし、落下場所もほぼ特定されている。南半球のどこかだ。
確かに大津波は来るかもしれない。
それでもその日を持って全人類が消滅するわけじゃないだろう。
その後異常気象は発生するだろうし、何年、何十年先に氷河期が訪れるかもしれない。
作物が取れず、食糧危機は来るかもしれない。
その日にすべての人類が死に絶えるのではなく、死に絶えるかもしれない危機の始まりが来る、という事なんじゃないだろうか。
全ての地域が崩壊するわけじゃないだろうから政府は食糧備蓄を各地に分散させたり、生きるための努力があちらこちらで始まるのが本当なんじゃないだろうか。

なーんて読み方をすると、この話は面白くない。
あくまで、その日で人類消滅、それを全員が信じている前提でないと。

そんな中で不思議な家族が誕生する。
友樹と雪絵と友樹の父親と母親。
彼らはこの1ヶ月をこれまでの人生の中で一番楽しんでいるのかもしれない。

女性歌手のLocoにしても同じく、この1ヶ月はようやく自分を取り戻す大事な期間となる。

滅びの前の1ヶ月だというのに登場人物達は皆、これまでの人生で一番幸福感を味わっている。
なんという皮肉だろうか。

最高に楽しい一冊だ。

滅びの前のシャングリラ  凪良ゆう著