読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



ブラックボックス


コロナ後の世の中を書いた走りかもしれない。
今後の作品ではコロナを機にほぼ日常用語のようになった「人流抑制」「三密回避」「クラスター」「濃厚接触者」なんかが当たり前に出て来るんだろうな。

この「ブラックボックス」は特にコロナを描いているわけではないが、店のおやじが鼻マスクだったり、おそらくウーバーイーツと思われる自転車が増えていたり、というところにコロナ開始後の世界が垣間見える。

この作者はかなりの自転車好きなんだろうな。
しかもかなりハイスペックな自転車に乗っているんだろうな。

冒頭で主人公のサクマ氏は自転車で信号をギリギリのタイミングで渡ろうとしたところ、後方から来たベンツに巻き込まれそうになり、転倒して難は逃れるが、愛車である自転車は動かなくなる。
それを押して帰り、自身で修理する。
自転車の専門用語が満載。
自転車便メッセンジャーの生きざまを描いた小説なのか、と読み進めて行くと、ある時、突然場面が変わる。
男たちが複数同じ部屋に寝ている。
ん?シェアハウスにでも引っ越したのか?
彼は女性の同居人と暮らしているんじゃなかったか?
シェアハウスハウスなどでは無かった、いつの間にか刑務所の中に舞台が変わっている。
何故そうなったか読み進めればわかって行きますが、このサクマという人、かなり短気な人だったんですね。
これだけ喧嘩っ早い性格で良く自転車便メッセンジャーの仕事を何年も続けれられたもんだ。
いくら事務所作業でなく、人間関係が少ないとはいえ、客商売。
届け先からクレームをもらうことや理不尽な事を言われる事もあっただろうに。
自転車便メッセンジャーという仕事、いかに効率良く複数のオーダーに対処できるか、どういうルートで廻るのが最適か、即座に見極めて、クライアントに必ず時間通りにお届けするというのはプロフェッショナルそのものだと思うが、いつまでも続けられる仕事ではない、福利厚生もない、という社会的にはつらい側面もある。
ただ、漫然と日々を過ごすだけの毎日は刑務所で淡々と日々を過ごすだけの毎日と、サクマ氏にとってはさほど変わらないのかもしれない。
だとしたら、夢の無い話だ。
刑務所の外で実は何が行われているのか、看守たちが何を話しているのか全くわからない、そういう意味での「ブラックボックス」もメッセンジャーでオフィスからオフィスへと頼まれものを運んだ先のオフィスの中で、どんな仕事をしているのか、全くわからない、という「ブラックボックス」と重ね合わせている。

この本、2021年の芥川賞受賞作である。
往々にして、芥川賞受賞作というのは作者の意図を読み取るのが難しいものが多い様に思う。
この作品から、我々読者は作者のどんなメッセージを読み取ればいいんだろう。

再読してみないと、ちょっとまだわからないなあ。

ブラックボックス 砂川文次著



お探し物は図書室まで


いくつかの短編で構成されているのだが、図書室の司書補さんとレファレンスカウンターに居る謎の小町さんという司書さんは全編に登場する。

独立した短編ではなく、この司書さんのアドバイスをもらう人たちが入れ替わって行く。

総合スーパーの婦人服販売店の仕事が嫌で仕方ない。
ベテランのパートさんが怖く苦手で仕方がない。
もっとやりがいのある仕事を、と思うが何のスキルもない。
EXCELでも習いに行くかと思った区民向けの教室の横に図書室を見つける。

何をお探しですか?

そこで出会った小町さんという司書さん、イメージが強烈すぎる。
まるで「ベイマックス」を彷彿とさせるってどれだけ巨体なんだ。
この司書さん、誰にでもそうなのだが、お探しの目当ての本、この人の場合、初心者向けのEXCELの入門本を何冊か、と一見間違いじゃないかと思える本を一冊紹介する。

このスーパーの店員さんもその一冊からの展開で、やれることをやればいいんだ。
手に届くものから身につけて行けばいいんだ、と一廻り成長する。

アンティークシップをいつか開きたいと思いつつも、そのいつか、が本当に来るのか、自ら懐疑的になりつつある人への1冊は、何故か「植物のふしぎ」。

第一線で活躍していた女性編集者が妊娠・出産を経て職場復帰を果たすと、第一線から、閑散とした部署に異動させられ、憤る人に対する一冊。

イラストでメシを食って行こうと、専門学校まで行ったが、挫折してニートになった男への一冊。

定年退職をして、居場所の無くなった男への一冊。

「何をお探しですか?」

の回答からは程遠いタイトルばかりだが、
何故か、借りた人たちはその本をきっかけに何かを取り戻すのだ。
借りた人が自分でその本の中から見つけ出したのだ、と本人は言うが、きっかけを作った事は間違いない。

こちらも永年、図書館を利用しているが、いつも予約本の受け取りと返却をしている相手を司書さんだと思っていたが、 この本を読んでわかったが、司書になるには資格がいるらしい。
いつも受け取りと返却をしている相手は司書さんでも司書補さんでもないのだろう。

あの図書館で本当に本の相談などのってもらえるんだろうか。

小町さんみたいな人が居ることはまずないだろうが、今度行ったら、試しに司書さんいらっしゃいますか?と聞いてみよう。

「何をお探しですか?」って聞いてくれるだろうか。

お探し物は図書室まで 青山 美智子/著



流浪の月


なんだろうな。
加害者、被害者扱いされている人たちは一切、加害者でも被害者でもないのに、一旦、事件として扱われてしまうと、このSNS世界、未来永劫、加害者として蔑まれ、被害者として同情され、監視され続けなければならないのだろうか。

自由奔放な母親と父親の元で育った更紗という名の少女。
両親なきあと、堅苦しい規則で縛られた伯母の家に引き取られたことが、まず嫌で仕方ない。
堅苦しい規則と言っても伯母に言わせればそれが世間の常識。
伯母の家でたまらなく嫌だったことはそれ以上に、その家の息子、普段は厄介者、いそうろう扱いをすいるくせに晩になると更紗の身体を触りに来る。

それが嫌で伯母の家に帰らず、毎日暗くなっても公園でずっと一人で本を読んでいる更紗。
同じく公園で一人で過ごす大人の青年。青年と言っても大学生なのだが大人は大人だろう。

いくら一人ぼっちでさみしそうだからと言って、一人でいる女の子(彼女はまだ9歳だ)に大人の男がまず話しかける事は、今のご時世、まずアウトだろう。
いや、10年前、20年前でもアウトかもしれない。
「うちに来る?」これはもう完全にアウト。大人の方が男でも女でもアウトだろう。
この言葉だけで逮捕されるかもしれない。
彼の方も誘拐をしたわけでもなく、彼女も誘拐をされたわけでもない。
少女のやりたいようにさせてあげただけなのだが、少女がいくら「行く!」と言ってついて来たからと言って保護者への連絡もなく家の中に入れてしまった段階で、もしくは一泊させてしまった段階で、誘拐犯扱いされることはわかりきっていただろうに。
もちろん監禁もしていない。
彼女に指一本触れていない。
帰りたければいつでも帰ればいい、と毎日大学へ行くのだが、彼女の方が帰りたくないのだ。あの嫌な家へ。
心優しいこの青年が彼女の自由にさせた結果、それが一カ月になり2カ月になり、失踪事件としてとうとうテレビのニュースで名前と顔写真まで出てしまう。

案の定、青年は誘拐監禁容疑で逮捕され、少女は嫌な伯母宅から児童施設へ引き取られる。
さて、問題はその後なのだ。
一旦、名前が出て顔写真までさらされてしまった少女は成長した後も名前で検索を掛けると必ず、過去の事件が明るみに出てしまう。
心優しい親切心のある人でも誘拐されたかわいそうな女の子として扱い、そんな何カ月も監禁されてさんざん弄ばれたんだろうと想像を逞しく好奇の目で見られる事も。
可哀そうでも何でもない。彼は何もやってないんだから、などと一言おうものなら、やれ「ストックホルム症候群」だ。まだ、精神的後遺症が残っているんだ。と彼女の真実は誰にも伝わらない。

それは青年の方も同じで、というより加害者側なので当然もっとひどいだろう。
こうしてインターネット・SNSが普及した現代においては一旦世の中を騒がせてしまった事件の当事者になってしまうと、どこでどんな仕事につこうと、いくら転職しようがと、WEB検索で過去の事実とは違う出来事と今の彼女がいつも世間にさらされる。

以前、ある中学生が残虐な連続殺人事件を起こした、ある高校生がが残虐なレイプ殺人事件を起こしたなどのニュース、かなりセンセーショナルに取り上げられたりする。
が、本来死刑相当の犯罪なのに捕まった後は、少年法に守られ、10年もたてば、罪の意識も持たず、普通に社会人として幸せに暮らしているみたいな話がまことしやかにささやかれたりすることがあるが、それを聞くと亡くなった被害者との落差になんと理不尽な!と憤ったりするが、この本の主人公たちの様な事例は想像した事もなかった。
目新しい視点で、今のSNSの怖さをあらためて思い知った気がする。

流浪の月  凪良ゆう著