読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



お探し物は図書室まで


いくつかの短編で構成されているのだが、図書室の司書補さんとレファレンスカウンターに居る謎の小町さんという司書さんは全編に登場する。

独立した短編ではなく、この司書さんのアドバイスをもらう人たちが入れ替わって行く。

総合スーパーの婦人服販売店の仕事が嫌で仕方ない。
ベテランのパートさんが怖く苦手で仕方がない。
もっとやりがいのある仕事を、と思うが何のスキルもない。
EXCELでも習いに行くかと思った区民向けの教室の横に図書室を見つける。

何をお探しですか?

そこで出会った小町さんという司書さん、イメージが強烈すぎる。
まるで「ベイマックス」を彷彿とさせるってどれだけ巨体なんだ。
この司書さん、誰にでもそうなのだが、お探しの目当ての本、この人の場合、初心者向けのEXCELの入門本を何冊か、と一見間違いじゃないかと思える本を一冊紹介する。

このスーパーの店員さんもその一冊からの展開で、やれることをやればいいんだ。
手に届くものから身につけて行けばいいんだ、と一廻り成長する。

アンティークシップをいつか開きたいと思いつつも、そのいつか、が本当に来るのか、自ら懐疑的になりつつある人への1冊は、何故か「植物のふしぎ」。

第一線で活躍していた女性編集者が妊娠・出産を経て職場復帰を果たすと、第一線から、閑散とした部署に異動させられ、憤る人に対する一冊。

イラストでメシを食って行こうと、専門学校まで行ったが、挫折してニートになった男への一冊。

定年退職をして、居場所の無くなった男への一冊。

「何をお探しですか?」

の回答からは程遠いタイトルばかりだが、
何故か、借りた人たちはその本をきっかけに何かを取り戻すのだ。
借りた人が自分でその本の中から見つけ出したのだ、と本人は言うが、きっかけを作った事は間違いない。

こちらも永年、図書館を利用しているが、いつも予約本の受け取りと返却をしている相手を司書さんだと思っていたが、 この本を読んでわかったが、司書になるには資格がいるらしい。
いつも受け取りと返却をしている相手は司書さんでも司書補さんでもないのだろう。

あの図書館で本当に本の相談などのってもらえるんだろうか。

小町さんみたいな人が居ることはまずないだろうが、今度行ったら、試しに司書さんいらっしゃいますか?と聞いてみよう。

「何をお探しですか?」って聞いてくれるだろうか。

お探し物は図書室まで 青山 美智子/著



流浪の月


なんだろうな。
加害者、被害者扱いされている人たちは一切、加害者でも被害者でもないのに、一旦、事件として扱われてしまうと、このSNS世界、未来永劫、加害者として蔑まれ、被害者として同情され、監視され続けなければならないのだろうか。

自由奔放な母親と父親の元で育った更紗という名の少女。
両親なきあと、堅苦しい規則で縛られた伯母の家に引き取られたことが、まず嫌で仕方ない。
堅苦しい規則と言っても伯母に言わせればそれが世間の常識。
伯母の家でたまらなく嫌だったことはそれ以上に、その家の息子、普段は厄介者、いそうろう扱いをすいるくせに晩になると更紗の身体を触りに来る。

それが嫌で伯母の家に帰らず、毎日暗くなっても公園でずっと一人で本を読んでいる更紗。
同じく公園で一人で過ごす大人の青年。青年と言っても大学生なのだが大人は大人だろう。

いくら一人ぼっちでさみしそうだからと言って、一人でいる女の子(彼女はまだ9歳だ)に大人の男がまず話しかける事は、今のご時世、まずアウトだろう。
いや、10年前、20年前でもアウトかもしれない。
「うちに来る?」これはもう完全にアウト。大人の方が男でも女でもアウトだろう。
この言葉だけで逮捕されるかもしれない。
彼の方も誘拐をしたわけでもなく、彼女も誘拐をされたわけでもない。
少女のやりたいようにさせてあげただけなのだが、少女がいくら「行く!」と言ってついて来たからと言って保護者への連絡もなく家の中に入れてしまった段階で、もしくは一泊させてしまった段階で、誘拐犯扱いされることはわかりきっていただろうに。
もちろん監禁もしていない。
彼女に指一本触れていない。
帰りたければいつでも帰ればいい、と毎日大学へ行くのだが、彼女の方が帰りたくないのだ。あの嫌な家へ。
心優しいこの青年が彼女の自由にさせた結果、それが一カ月になり2カ月になり、失踪事件としてとうとうテレビのニュースで名前と顔写真まで出てしまう。

案の定、青年は誘拐監禁容疑で逮捕され、少女は嫌な伯母宅から児童施設へ引き取られる。
さて、問題はその後なのだ。
一旦、名前が出て顔写真までさらされてしまった少女は成長した後も名前で検索を掛けると必ず、過去の事件が明るみに出てしまう。
心優しい親切心のある人でも誘拐されたかわいそうな女の子として扱い、そんな何カ月も監禁されてさんざん弄ばれたんだろうと想像を逞しく好奇の目で見られる事も。
可哀そうでも何でもない。彼は何もやってないんだから、などと一言おうものなら、やれ「ストックホルム症候群」だ。まだ、精神的後遺症が残っているんだ。と彼女の真実は誰にも伝わらない。

それは青年の方も同じで、というより加害者側なので当然もっとひどいだろう。
こうしてインターネット・SNSが普及した現代においては一旦世の中を騒がせてしまった事件の当事者になってしまうと、どこでどんな仕事につこうと、いくら転職しようがと、WEB検索で過去の事実とは違う出来事と今の彼女がいつも世間にさらされる。

以前、ある中学生が残虐な連続殺人事件を起こした、ある高校生がが残虐なレイプ殺人事件を起こしたなどのニュース、かなりセンセーショナルに取り上げられたりする。
が、本来死刑相当の犯罪なのに捕まった後は、少年法に守られ、10年もたてば、罪の意識も持たず、普通に社会人として幸せに暮らしているみたいな話がまことしやかにささやかれたりすることがあるが、それを聞くと亡くなった被害者との落差になんと理不尽な!と憤ったりするが、この本の主人公たちの様な事例は想像した事もなかった。
目新しい視点で、今のSNSの怖さをあらためて思い知った気がする。

流浪の月  凪良ゆう著



テスカトリポカ


ものすごい本に出会ってしまった。

序盤からものすごい迫力シーンの連続。
メキシコの麻薬密売組織の凄まじさは日本のヤクザ屋さんなんかのもはや比較対象にもならないな。

麻薬組織が牛耳っている町では、もはや観光客の姿はなく、海外から取材に訪れた記者とカメラマンは二度と国境を超えることなく、死体で発見される。

警察も検察も麻薬組織に立ち向かえる術を持っていない。
汚職警官だからではない。正義を貫こうにも彼らにも愛する家族が居るからだ。

家族に危機が及ぶことがわかりきった世界で、彼らに立ち向かえるものなどいようはずが無い。

あるとすれば、縄張り争いとなった別の麻薬密売組織だけだろう。

その密売組織同士の抗争でライバル組織からアジト攻撃され、四人兄弟の内、一人だけ生き延びた男。
彼の生きる力は凄まじい。

と同時に人の命を奪うことへのあまりの容易さにも驚くが、それは単に彼が残虐非道な麻薬密売組織を牛耳っていたからというだけでは無かった。

彼の祖母に由来する。かつて彼の祖母の先祖はいにしえのアステカの戦士の長だった
人の心臓を取り出して、その顔の上に心臓を置くという儀式もアステカの神に対するいけにえの儀式なのだった。

この話、後に舞台を日本に移してからの箇所はともかく、前段を読んでいて、この話どこからがフィクションなのだろう。と思うことしばしば。

登場人物はフィクションにしても麻薬の運び方、隠し方、麻薬の種類、価格、そういう組織の在り方、世界における麻薬密売組織の影響力、市場規模。中南米のみならずインドネシアあたりでも実在のテロ組織の名前まで出てきたりする。
この作者はいったい何者なんだ。
麻薬密売組織の幹部と親しくなって、取材させてもらったとか。
もしそうなら、散々取材はさせてもらえても、二度と国境を超えさせてもらってないはずだろう。

巻末に大量の参考文献が掲げられているので、本から得た知識も多々あるのだろうが、何か実際に自分で体験しているものでなければ書けないんじゃないか、みたいに思えてならなかった。

それだけ描写が見事ということなのか。

話は四人兄弟の内の一人だけ生き延びた男が復讐を誓いつつ、まずは資金集めと新たな組織づくりのために臓器売買に手を出し始め、やがて舞台を日本に移してくるわけだが、物語の中でどんどんエスカレートしてくるのが、アステカ王国の神話の様な話。
いくら祖母から聞かされていたといったって、その祖母だってまた聞きのまた聞きだろうに。
なにゆえ、学者でもない彼がそこまでアステカの歴史に詳しいんだ。
それにこの本のタイトル(テスカトリポカ)もそうだが、一応日本語のルビとして登場するアステカの言葉、数が多すぎて、というよりなじみがなさすぎてだろうか。読むには読めてもあらためて言葉として発音してみろと言われても絶対にできない自信がある。

読み手の一人としてはそのあたりがちょっと辛かったところでもあるが、この本が物語として成立するにはアステカ文明のことがマストなのでそこは我慢して受け入れるしかないだろう。

テスカトリポカ  佐藤究著